軍事的メリットは「牽制抑留」と「士気高揚」 ウクライナ越境攻撃は戦局の大転換となるか
ロシアへの国境を越えたウクライナの攻撃は、8月13日で1週間経った。これはウクライナ正規軍地上部隊による初めてのロシア領内への攻撃であり、また、2023年秋以降、ロシア軍に取られていた作戦の主導権を一部取り戻したことにもなる。僅か1週間で国境から30キロの地点まで進軍し、ウクライナ軍のオレクサンドル・シルスキー総司令官が表明する約1000平方キロの地域を支配した奇襲作戦は、ここまでは成功しているかに見える。その勢力は、5個旅団、約1万人と推定され、ストライカー装甲車(米)やマルダー歩兵戦闘車(独)など西側供与の兵器を装備する4個の独立機械化旅団に加え、1個空中強襲旅団が戦闘に加わっているとされる。これらを国境から数十キロ後方のウクライナ領内において、高機動ロケット砲システム(HIMARS)を含む2個の砲兵旅団が火力支援している模様であり、精鋭部隊による本格的な攻撃と言えよう。
ウクライナを動かしたと考えられる「3つの事情」
この作戦の目的は、政治的には、今後やむを得ず停戦にもつれ込んだ場合に備え、停戦交渉を有利にするための条件作為と見ることができる。この背景として3つの事情が指摘できる。まず、西側の支援も含めたウクライナ軍の継戦能力が、中国・イラン・北朝鮮に支援されたロシアの継戦能力を上回ることが難しく、領土奪回の可能性が今年1年は見通せないこと。また「キーウ国際社会学研究所」が実施した国内の世論調査からは、領土の一部割譲を容認するウクライナ国民が、2月から5月の3カ月間で6%増加し、32%まであきらめ感が広がっていること。そして、11月の米国大統領選挙においてドナルド・トランプ氏が大統領となった場合、そのまま停戦を強要される懸念があること。事実、ヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、7月、BBCのインタビューにおいて、「すべての領土を武力で取り返す必要はない。ロシアに圧力をかけ、外交的な解決に合意することは可能だ」とも述べており、領土奪還前における交渉開始の可能性を示唆していた。
加えて、ロシア国内を混乱させ、ウラジーミル・プーチン大統領の指導力を低下させる狙いもあるだろう。クルスク州知事代行が、州内でこれまでに約12万人が避難し約6万人が避難準備を始めていると説明しており、ロシア国民からすれば、これがプーチン大統領の言う「特別軍事作戦」ではなく「戦争」状態にあることを認識させることにつながる。また、既にウクライナ軍が占拠している国境から10キロの町スジャは、欧州向け天然ガス輸出量の半分を占めるガスパイプラインの拠点である。中期的ではあるが、ロシア経済にも打撃を与えることが可能となる。さらに、スジャの北東60キロにはクルスク原発がある。ロシア軍が防御態勢を整えつつあると報道されており、この原発の占領は難しいかもしれないが、占拠できれば、停戦交渉において、ロシア軍が占拠している南部ザポリージャ原発との交換条件とする可能性も出てくる。
さらに、クルスク州に隣接するベルゴロド州のビャチェスラフ・グラトコフ知事は、国境地域でウクライナ軍による砲撃や無人機による攻撃が相次いでおり、12日だけで国境付近の住民約1万人が避難したと説明しており、今後ベルゴロド州での戦闘が生起し、避難民が増加してくれば、プーチン政権にとってもさらに痛手となることが予測される。
想起される朝鮮戦争の「仁川上陸」
軍事的には、ロシア軍が主力を持って連日攻撃を仕掛けている東部ドネツク州地域への圧迫を弱めるため、ロシア軍の兵力をこのクルスク地域へ転用させて引き留める「牽制抑留」の目的を持っていると考えられる。
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