SBIがエジプトのクイックコマースに投資:アフリカの大都市で「時間を買う」消費革命が進行中
“時間を買う”という発想が、いまアフリカの都市を変え始めている。
アフリカ北岸の巨大都市カイロでは、スマートフォンひとつでパンや牛乳、日用品が30分以内に届く。この即時配送モデル──クイックコマース(Q-commerce)は、かつて「物流が未整備」と評されたアフリカにおいて異例の進化だ。
だが、その本質はスピードではなく、「限られた時間と所得をどう利用するか」という社会の成熟そのものにある。
都市集中、中間層の拡大、キャッシュレス化といった社会変化を背景に、クイックコマースはアフリカ経済の新たな成長軸となりつつある。中でもエジプトは、このモデルが最も早く定着した国の一つであり、ナイジェリアをはじめとするサブサハラ諸国との比較からも、その独自の発展構造が見えてくる。
持続的消費を支える中間層の厚み
エジプトのGDPは約3891億ドル(世界銀行 2024年)と南アフリカに次ぐアフリカ第2位、一人あたりGDPは約3338ドル(同上)で、ナイジェリア(約806ドル:同上)の約4倍やケニア(約2206ドル:同上)の約1.5倍に達する。この差は単なる所得水準の違いにとどまらない。
エジプトでは給与振込や銀行口座の普及が進み、月単位で安定した収入を得るフォーマル層が厚い。つまり「安定してお金を使える中間層」が可視化されており、定期利用型サービスが成立する基盤が整っていると言える。エジプト経済の強みは、所得の高さだけでなく、「安定性」と「見える化」にある。
アフリカ全体でEコマース市場は拡大しているが、その内実は地域によって大きく異なる。エジプトでは「消費の近代化」、サブサハラでは「流通の近代化」がキーワードだ。
ナイジェリアやケニアにおけるEコマースは、いまだ「モノを届ける社会をつくること」自体が目的であり、道路や倉庫、住所制度など基礎的インフラの整備が課題である。
一方エジプトでは、物流や決済の基盤がすでに一定整っており、焦点は「いかに効率的に届けるか」へと移っている。その結果、エジプトのEコマースはラストマイル最適化とデジタル消費の高度化によって単価を引き上げる方向に進むのに対し、サブサハラでは生活必需品の流通拡大によって取扱量を増やす方向に進んでいる。
言い換えれば、エジプトのEコマースは「デジタル消費革命」、サブサハラのEコマースは「社会インフラ革命」なのだ。
時間を買う層と時間を売る層──ロジスティクスが支える新しい分業構造
エジプトでクイックコマースが急速に拡大したのは、社会的・経済的条件が重なり合った結果である。そこには次の四つの要素がある。
1. 人口の都市集中
カイロやギザなどの大都市に人口が集中し、配達密度が高く配送コストを抑えられる。
2. 中間層の時間価値意識
共働き家庭を中心に「時間をお金で買う」層が増え、利便性への支出を合理的とみなす文化が形成された。
3. 低コスト労働力の供給
若年層の高失業率(約19%:世界銀行2024年)がもたらす、豊富な配送ドライバー層の存在。
4. 都市型ロジスティクス基盤の整備
小規模倉庫(ダークストア)やマイクロハブ、デジタル決済インフラなど、配送と決済を支える仕組みが都市内に整っている。
クイックコマースが成立する社会とは、一定の格差を前提に、物流と決済の制度が整った社会である。欧米や中東でも似た構造が見られる。ロンドンやニューヨークでは移民労働者が即時配送を支え、ドバイやリヤドでは外資資本と低賃金労働が共存する。この意味でエジプトは、アフリカの中でもっとも早く「クイックコマース社会」の条件を十分に満たした国だといえる。
パンの配達から生活インフラに進化したBreadfast
「エジプトではクイックコマースは富裕層の嗜好ではなく、都市生活の基盤になりつつあります」と、Breadfast創業者のMostafa Amin氏は語る。
「従来は肉屋や八百屋に個別で電話注文をする“断片的な配達文化”でしたが、Breadfastはそれを一体の生活動線として再設計しました。プライベートブランドだけでなく、配送ドライバーの採用・教育・評価まで自社で行う徹底した内製型モデルで、生活インフラとしての信頼性を何より重視しています」
カイロでは交通渋滞が常態化し、買い物に出かけること自体が時間の浪費となる。共働き家庭の増加も相まって、時間を節約できる選択肢が自然に生活に溶け込んできた。
Breadfastは、もともと早朝に焼きたてのパンを届けるベーカリー配達から始まった。この小さな実験はやがて、食料・日用品・医薬品までを網羅する都市生活インフラへと拡張していく。
現在では6000点を超える商品を扱い、30万人以上の利用者を抱える。月間注文数は約100万件、2024年の年間経常収益(ARR)は1億5000万ドルを超え、評価額は3億8000万ドルに達する。単なる宅配アプリではなく、日常そのものを再構築する生活プラットフォームとしてBreadfastは進化を遂げている。
同社はすでに複数都市に展開し、食品・医薬品・日用品をカバーする総合クイックコマースプラットフォームへと成長した。Talabatなどの競合と異なり、プライベートブランドを中心に、自社在庫を都市内のダークストア(一般客の入らない小型倉庫)に分散配置している。
こうした「プライベートブランド × サプライチェーン内製化」の潮流は、グローバル小売でも進んでいる。日本のコンビニやイオン、ドン・キホーテ、アメリカのTrader Joe’sやコストコなども、プライベートブランドを自社物流網に組み込み、価格競争力と供給安定性を両立させている。Breadfastも同様に、エジプトという新興市場で同じ構造を実装しつつある。
さらにダークキッチン(デリバリー専用の調理拠点)を設けることで、即時配送網を都市単位で最適化している。
このような“見えない都市インフラ”を基盤に、在庫・配送・調理を自社で一体運営する垂直統合(Vertical Integration)モデルを採用し、配送スピードと在庫精度、品質と価格の両立を実現している。さらにAIによる需要予測やダイナミックプライシングを導入し、配送効率を高めながら粗利率の改善にも成功した。
金融への進出で将来は「エジプトの楽天」に?
実際に利用してみると、アプリのメニュー構成は細かく分かれすぎており、欲しい商品のカテゴリーを探すのにやや時間がかかる。スクリーンの反応が敏感すぎて誤操作になることもあり、全体の操作感にはまだ洗練の余地がある。
配送状況も「準備中」「向かっています」といった簡易表示にとどまり、Talabatのように地図で到着時刻を把握できる仕組みはない。ドライバーからの連絡もアラビア語が中心で、外国人利用者にはややハードルが高い。
さらに、商品は密封された袋にまとめられて届くため清潔感は高いが、袋を再利用できず、日常の“生活感”との距離を感じる。それでも、この粗削りさこそが、サービスが生活に浸透していく過程を物語っている。(最近のアプリケーションのアップデートで配送状況等の上記課題は一部改善)
そして2025年10月には、自社の決済事業「Breadfast Pay」からクレジットカード「Breadfast Card」を発表し、Fintech領域への本格的な展開を開始している。
次の段階では、Fintechとの統合(Commerce × Finance)によって、決済・ポイント・クレジット機能を融合した“生活スーパーアプリ”へと進化していくとみられる。
さらに、楽天のようにEC事業から出発し、蓄積した顧客基盤とデータを活用して銀行・証券のような金融領域へと拡張できれば、Breadfastはさらに大きな成長軌道に乗る可能性が高い。金融サービスを通じてリピート購入やサブスクリプション型利用を促進すれば、同社にとって第二の成長エンジンが生まれることになる。
エジプト国内では銀行・証券などの金融業に参入するには一定のライセンスハードルが存在する。それでも、この統合が実現すれば、将来的にはBreadfastはエジプトにおける「楽天経済圏」のような存在──すなわち、購買・金融・生活サービスを包括的に支える都市型プラットフォームへと成長する可能性が高い。
Mostafa氏は「エジプトで構築したサプライチェーン運用はすでにリヤドで実証を進めており、中東だけでなくアフリカ諸国にも適用可能だと確信している。重要なのは都市全体ではなく、街区ごとに最適なプロダクト市場適合(PMF)を見出すことだ」と語る。
今後はエジプト国内にとどまらず、中東・アフリカへ大きく展開していく。
日本企業の進出にも利用できるネットワーク
インドではいま、クイックコマースが最も熱を帯びた消費市場の一つとなっている。
Zepto、Blinkit、Swiggy Instamartといったスタートアップが急成長し、2025年にはついにAmazonも「10分以内配送」を掲げた新サービス「Amazon Now」で本格参入を果たした。つまり、世界最大級のEコマース企業ですら出遅れて参入するほど、クイックコマースがインドで確立したビジネスモデルになりつつある。
既存の広域物流網を都市単位で再編し、スピードとスケールの両立を狙うインド型モデルは、今後エジプトをはじめとする新興国都市でも普及が加速するとみられる。人口密集、共働き世帯の増加、キャッシュレス化など、条件は揃いつつある。
こうした変化は単なる模倣ではなく、都市構造に即した適応として進む。Breadfastにとってこの流れは明確な追い風だ。クイックコマースの本質は、単なる「配送速度」ではなく、どの都市で、どの密度で、いかに早く生活に溶け込めるかというスケール戦略にある。Breadfastは地場ネットワークを活かし、渋滞や生活動線、購買習慣まで踏まえた都市単位の最適化を積み上げることで、インドで確立したモデルをアフリカの都市構造に適合させる先駆者となっている。
巨大資本による一律展開ではなく、地域密着型のスケール設計にこそ、アフリカ発クイックコマースの進化がある。
Breadfastには2025年6月、日本のSBIインベストメントが出資した。同社の芦澤幸四郎氏はこう語る。
「エジプトは購買力のある中間層が非常に厚く、SBIとしては他国展開も期待しつつ、エジプト単体でも十分に利益を出せる市場と見ています。Breadfastは単なる宅配アプリではなく、都市生活のインフラを再構築する企業です」
芦澤氏はさらに、「Breadfastの垂直統合モデルは、物流、デジタル決済、リテール運営など多分野にわたるため、製造業や小売業、テック企業など幅広い産業が参入余地を見いだせるでしょう」と続ける。投資先を連携プラットフォームとして位置づけ、現地市場のハブ化を狙う視点だ。
同社の正山りさ氏も補足する。
「Breadfast社の販売網・ネットワークを活用し、日本企業進出の足掛かりにしていきたい。日本企業がこれほど大きな市場に十分に入り込めていないのはもったいない。店舗もあるため、アニメグッズなど日本の製品・サービスを現地消費者に届ける多様な展開が可能です」
Breadfast創業者のMostafa Amin氏も、日本の“カイゼン”文化に強い関心を持ち、現地のオペレーション改善や人材育成にその思想を取り入れ始めている。日系企業との協働にも前向きであり、こうした文化的親和性が、日本企業との共創の入口を確実に広げつつある。
SBIと対アフリカ投資で提携している英Novastar社の山内理希氏も、Breadfastを単なる配送ビジネスではなく、生活そのものを再設計する産業として捉えている。
「Breadfastは直営店舗も展開し、日本のコンビニが薬局と連携するように、異業種との協働モデルを積極的に取り入れています。すでに韓国の化粧品など他国の商品も扱っており、越境ブランドの受け皿としてのポテンシャルも高い」
山内氏はさらに、「Breadfastが蓄積したデータを活用し、将来的にはリテールと金融を結ぶ“データ企業”にもなり得る」とも指摘する。
Breadfastは、IPO(新規株式公開)だけでなく、MENA(中東・北アフリカ)地域のスーパーアプリや大手小売との統合、さらにFintechによる付加価値拡大を視野に入れている。こうした動きは、エジプト発スタートアップが地域プラットフォーム化へ進む新しい局面を象徴している。
スタートアップが構築した販売網を都市の新たなインフラと見なし、日本企業の技術や品質と結びつける。この構造が今後、日本のアフリカ市場進出の王道パターンの一つになるだろう。
ナイジェリアやサブサハラが「課題を解決する市場」であるなら、エジプトは「生活を洗練させる市場」だ。“時間をどう価値化するか”を軸に成長するこの国は、日本企業の強みが最も発揮されるフィールドとなりつつある。
“消費革命”はエジプトからアフリカ全体に波及
エジプトはいま、インドが歩んだ軌跡を数年遅れで進んでいる。
人口の都市集中、キャッシュレス化、物流整備、中間層の拡大──。これらの条件が揃ったとき、「時間を売買する経済」が成立する。クイックコマースとは、時間という新たな消費財を生み出した産業革命である。言い換えれば、この構造は、GDPや所得水準の高低だけでは説明できない“時間価値経済”の出現を意味する。
Breadfastのような企業は、地場主導の都市消費型エコノミーを築いている。それは単なる利便サービスではなく、エジプトの消費社会を支える新たな基盤であり、経済の重心が「供給」から「消費」へと移行する転換点を示している。
成長を支えたのが“モノを作り、売る力”だった時代から、可処分時間と可処分所得をいかに最適化するかが競争軸となる時代へと変わりつつある。それは単なる市場拡大ではなく、社会の価値創造の重心そのものが変わる構造転換である。
この変化を支えるのは、企業間の健全な競争と、それを促すエコシステムだ。こうした健全な競争と挑戦の芽を後押しし、スタートアップ、大企業、行政が共に挑戦し合う「共創の場」を育てていきたい。
その象徴が、JICA(国際協力機構)の「Project NINJA(Next Innovation with Japan)」だ。アフリカ各国で政府や企業、投資家と協働し、単なる資金提供ではなく課題解決を通じた共創を進めている。エジプトでもITIDA(情報技術産業開発局)などとの連携を視野に、Breadfastのような地場スタートアップを支えるエコシステムづくりの構想が検討されている。
エジプト発のデジタル消費革命は、すでに始まっている。いずれラゴスやナイロビといったサブサハラの大都市にも、この構造は波及していくだろう。
日本に求められるのは、援助でも輸出でもない。アフリカの次なる消費革命との関係において、日本はもはや「支援者」ではなく、ともに新しい生活価値を設計する「共創者」なのだ。