昭和12(1937)年の夏が終わる頃、義江はアメリカやヨーロッパよりももっと遠い南米への音楽旅行に旅立つことになった。ニューヨークから戻り、わずか2カ月半の日本帰郷であった。南アフリカ経由の船で、モンバサ、ケープタウンでも歌う。義江は南アフリカの美しさに心奪われる。
南米各地では現地にいる多くの日本人のために慰問音楽会を開いていくのだ。南米での第一声「リオデジャネイロ国立劇場」での歓声は義江を感動させた。日本大使のアテンドで優遇される演奏旅行だ。
この続きは会員登録をすると読むことができます。
「フォーサイト」は、月額800円のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。
フォーサイト会員の方はここからログイン