暗殺された「大久保利通」と「リンカーン」の共通点――なぜ2人は政治的憎悪の犠牲となったのか

執筆者:フォーサイト編集部 2022年12月8日
タグ: マネジメント
エリア: アジア
大久保利通――「知」を結ぶ指導者』著者・瀧井一博氏は、大久保利通(左)と第16代アメリカ大統領のリンカーン(右)の共通点を指摘している

 2022年の夏は、暗殺された安倍晋三元首相の「国葬」問題に注目が集まった。その際、日本における事実上の「国葬」の始まりとして、大久保利通の名前が挙がったことを覚えている人も多いだろう。

 大久保もまたテロによって非業の死を遂げた政治家であった。その政治スタイルは果断で、時に非情な独裁者のイメージがつきまとう。倒幕と維新をリードしていくなかで、徳川家を含んだ公議政体の創出を説く諸侯の声を封殺し、かつての主君・島津久光を裏切って廃藩置県のクーデタに加担、さらには盟友・西郷隆盛ら不平士族の反乱に対して苛烈な鎮圧を断行した。

 しかし、そのような非情な独裁者としてのイメージを覆す新たな大久保像を描き、毎日出版文化賞を受賞したのが、国際日本文化研究センター教授の瀧井一博氏の近著『大久保利通――「知」を結ぶ指導者』である。

 瀧井氏は同書で、大久保と第16代アメリカ大統領のエイブラハム・リンカーン(リンカン)の共通点をいくつか指摘している。同書から一部を再編集してお届けしよう。

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 西南戦争のさなかの明治10年5月2日、大久保は後の京都府知事北垣国道から次のような注進を受け取った。

「こい願わくは、警察予防の法を緊密にして、乱の後に刺客などの変事が無きよう注意専一と存じ上げます。かのリンカンのごときも南北戦争の後、刺客の難に遭いましたが、それが無ければアメリカの開明はなお一層盛んとなったものと思われます」

 大久保の身を案じ、警備を厳重にして、もしものことを未然に防ぐべきとの忠言である。ここで北垣はリンカンを引き合いに出している。あのアメリカの偉大な大統領も、南北戦争という内戦の直後に暗殺された。北垣は、リンカンと大久保を重ね合わせ、不吉な思いにとらわれたのだろう。そして、歴史はその通りに運んだ。

 大久保とリンカンには似通った点がいくつか指摘できる。両者ともに細面で瘦身な外観であり、峻厳で内省的な雰囲気を醸し出している。実際に、リンカンは有名なゲティスバーグの演説に代表されるように、省察に富み、聞く人の魂を静かに揺さぶる言葉で人々に呼びかけた。これに対して大久保は、寡黙で決して言葉の人ではなかったが、理に基づいた公論への強い拘りの持ち主であり、ある種の哲人性を備えていた。政治に対する強い理念の持ち主という点で、大久保は決してリンカンに劣るものではなかった。

 このような2人の人生に幕を降ろすきっかけとなったのは、ともに内戦であった。同胞と思われていた同じ国民同士が戦い合ったのである。もとより、西南戦争と南北戦争を同列に論じることはできないだろう。前者は日本の西南地方における一部の不平分子による局地的な内乱に過ぎない。これに対して、後者はまさに国内が南部と北部に分裂して全面的な戦争状態に陥ったのである。

 南北戦争では、死者数も60万人を超えた。実に、50人に1人のアメリカ人が命を落としたと言われる。その数は、両次世界大戦やベトナム戦争の死者数を凌ぎ、それどころかこの内戦以後に起こったアメリカが関わる全ての戦争の死者数の総計をも上回る。それは、アメリカ史に甚大な刻印を与えた凄惨な記憶である。かたや西南戦争の犠牲者は1万数千人であり、比較にはならない。

 そのようなスケールの差は歴然としてあるものの、内戦時の指導者として、リンカンも大久保も、それによってもたらされた政治的憎悪の犠牲となったという点では共通している。それは、彼らが抑え込み解消しようとして、ついに果たせなかった政治勢力によるテロである。リンカンの場合、それは南部の分離独立派であり、大久保の場合は彼によって地位と威厳を剝奪されたと信じる不平士族である。これらの勢力と戦い、それを葬り去るというのが、2人の追求したことであった。そのために両者が共通して掲げたもの、それはナショナルな価値だった。

 リンカンも大久保も国民国家の建設に殉じた。州や藩という単位を越えて、国家(ネーション)というより包括的な政治的まとまりを作り出すことが、彼らの宿望であった。リンカンは、諸々の州の連邦としてのアメリカが、大統領の強力な執政権のもとでより統合された国家となることを目指し、南北戦争を戦った。「人民の人民による人民のための政治」で知られるゲティスバーグの演説では、短いスピーチのなかに「国家/国民(ネーション)」の語が五回出てくる。それまでの連邦(ユニオン)に代えて、リンカンはこの言葉を用いた。国民という一体的な政治意識をもった人民(ピープル)による統治こそが、リンカンの希求するものだったのである。

 このパトス(情熱)を大久保も共有する。彼が生涯をかけて追求したものもまた国民国家であった。人々が藩という帰属性から解き放たれて、日本という統一国家の構成員となることが、自らに課した政治的使命であった。この点で何よりも示唆的なのは、いわゆる不平士族の憤懣が、維新を主導した藩において勃興したことである。肥前における佐賀の乱しかり、長州における萩の乱しかり、そして薩摩における西南戦争しかりである。

 勝者であったはずの彼らは、新政府のもとでむしろ不遇をかこち、ないがしろにされているとの鬱積を募らせた。薩長を中心とする藩閥政府との謗りを受ける傍ら、明治新政府は敵対した勢力との宥和に努め、それらを包摂した国家の建設に邁進したからである。それを主導したのが大久保だった。彼は、内務省にかつての幕臣などを能力重視で登用し、オール・ジャパンの布陣で殖産興業を推進する姿勢を見せ、また戊辰戦争で最後まで抵抗した東北地方の振興と発展に日本の可能性を見ていた。

 その一方で彼は、自らの出自である薩摩藩の旧態な指導層に対しては、非情な態度で臨んだ。そこには、国民国家という理念に照らして、徹底して公正であろうとする政治理性の姿が認められる。

※『大久保利通――「知」を結ぶ指導者』より一部を再編集

 

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瀧井一博(たきい・かずひろ)

1967年福岡県生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程を単位取得のうえ退学。博士(法学)。神戸商科大学商経学部助教授、兵庫県立大学経営学部教授などを経て、2022年7月現在、国際日本文化研究センター教授。専門は国制史、比較法史。角川財団学芸賞、大佛次郎論壇賞(ともに2004)、サントリー学芸賞(2010)、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト賞(2015)受賞。主な著書に『伊藤博文』(中公新書)、『明治国家をつくった人びと』(講談社現代新書)、『渡邉洪基』(ミネルヴァ書房)他多数。

カテゴリ: カルチャー 政治
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