「権威主義体制」は本当に効率的なのか――大久保利通が「ガラスの水差し」から導き出した「納得の結論」

執筆者:フォーサイト編集部 2022年12月1日
タグ: マネジメント
エリア: アジア
大久保利通は「独裁者」の印象が強かったが、再評価の声が高まっている

 民は由らしむべし、知らしむべからず。

 『論語』に由来するこの言葉は、本来、「人民を従わせることはできても、従わねばならない理由をわからせることは難しい」という意味であるが、それが転じて「政策を実施する際は、バカな民衆にはいちいち説明しないで、独断で進めてしまった方が良い」というニュアンスで使われるようになった。

 実際、自らの能力に自信があり、効率を重視する政治指導者ほど、「民に知らせない」政治を行いがちである。これは独裁体制あるいは権威主義体制をとる多くの国で見られる光景である。かつての日本で言えば、明治維新の立役者であった大久保利通が「有司専制」と呼ばれる権威主義体制を築き、独裁的な政治を行ったことが知られている。

 しかし、国際日本文化研究センター教授の瀧井一博氏は、近著『大久保利通――「知」を結ぶ指導者』で、そのような独裁者としてのイメージを一新する大久保像を描き、話題を呼んでいる。毎日出版文化賞を受賞した同書から、大久保が「民に知らせる政治」を心がけていたことを示す一節を紹介しよう。

*  *  *

 大久保は決して、強権的なリーダーシップでもって果断に国家経営を行おうとしたのではなく、むしろ人々を結び合わせ、その連結のなかから国民国家というものを立ち上げようとした。そのようにして人々を結び合わせようとするための媒体が、「知識」であった。知識が交流し合う公明な政治を大久保は希求し、そのために権力を行使しようとした。この点を指し示すひとつのエピソードがある。

 ある日内務省で腹心の前島密と松田道之の3人で昼食をとっていた際のことである。卓上にガラスの水差しが置かれていた。透明なガラス越しに、その内に細かなほこりが混じっているのが見えた。これを見て、松田は次のように言った。

 「ここに見るところのほこりのごときは、もとより飲んでも害はありません。ただ、ガラスがあまりに透明なので、これを見た人は咎めてしまいます。茶色か緑色の水差しのほうがよかったでしょう。蓋(けだ)し、政府の処置も、これに類するものと思われます」

 あまりに透明に過ぎると、瑕瑾(かきん)にまで目がいって咎められる。政治の内側はある程度ぼやけているに如くはない、との見解である。これに対する大久保の返答は、以下のようだった。

 「それはそうだが、ガラスの外からこれを透視するのならば害はまだ小さい。その内側で明かりを失うようなことは大いに避けなければならない」

 前島によれば、大久保はこの言葉の意図するところを、「民の側から政府をまじまじと観察できるようにするべきだ」と敷衍したという。外から見られることを恐れて内側まで暗く閉ざされることになるのは避けるべきであり、むしろ政治は透き通ったガラスとなって外と内から見通しやすいものでなければならない、というのが大久保の応答だった。そうやって、内と外が協働する政治を彼は志向したのである。

 このことを裏書きする大久保自らの筆も引いておこう。王政復古を成し遂げた直後の明治元年(1868)12月25日、大久保は新しい政府の政治指針を滔々と弁じる書簡を岩倉に送った。そのなかに、次のような彼の言葉がある。

 「ある書によれば、政府が自ら恐怖するのは、必ずや酷薄にして狐疑するところがあるからです。政府が安泰でないのは、必ずや何かに怯えているからなのです。これは、政府の根軸となるべき者がまさに肝に銘じておくべき名言と存じます。天下を中興するには、とりわけこの言葉の意味を弁え、胸襟を千里万里に開き、虚心坦懐でなくては成し遂げることは困難です」

*  *  *

 このように、大久保は「民に知らせる」政治を志しながら、明治維新の激動期に強力なリーダーシップを発揮し、日本の近代化への道筋をつけた政治指導者であったと、瀧井氏はその著作で高く評価している。

 近年は、情報公開と民主主義的な手続きを重視する西側諸国で政治の混乱が目立つ一方で、権威主義体制をとる国が勢いを増しているように見える。ともすれば、後者の政治手法が「効率的」に見えてしまいがちな中、瀧井氏の『大久保利通』は、あらためて政治のあり方、リーダーシップのあり方を考えなおす契機を与えてくれる一冊だろう。

 

---------

瀧井一博(たきい・かずひろ)

1967年福岡県生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程を単位取得のうえ退学。博士(法学)。神戸商科大学商経学部助教授、兵庫県立大学経営学部教授などを経て、2022年7月現在、国際日本文化研究センター教授。専門は国制史、比較法史。角川財団学芸賞、大佛次郎論壇賞(ともに2004)、サントリー学芸賞(2010)、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト賞(2015)受賞。主な著書に『伊藤博文』(中公新書)、『明治国家をつくった人びと』(講談社現代新書)、『渡邉洪基』(ミネルヴァ書房)他多数。

カテゴリ: カルチャー 政治
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top