
【前回まで】祖父の桃地を説得して防大に進み、海自の幹部候補生となった樋口梓二佐。IMFから転じて、桃地財団の理事となっていた中小路流美。二人は周防の訪問を待ち構えていた。
Episode3 リヴァイアサン
7
東急田園都市線池尻大橋駅を出た磯部の眼に、派手派手しい幟の文字が飛び込んできた。
“軍拡反対!“
“憲法九条を守れ!“
“軍拡増税 許さない!“
「みなさん、我々日本人は平和を愛する国民であるという誇りを、置きざりにしていませんか」
マイクを握りしめる女性が必死で訴えているが、誰も足を止めない。
「軍拡」という文字に磯部は違和感を覚えた。実際、防衛費を増やそうとしているのだが、今回の場合、「軍拡」とは捉えていない。
むしろ、遅れに遅れていた安全保障の備えを少しは充実させるための防衛費増だ。言ってみれば、穴だらけの防衛力を補強するという方が的確だった。
しかし、自衛隊の実状を知らない国民が、防衛費を増やすことは、すなわち「軍事力を拡大する」という意味だと考えるのは、間違いではない。
にもかかわらず、磯部は、その考えを強く否定している。
他国と戦争をするための装備を厚くするならば、「軍拡」と言えるかもしれない。あるいは、今なお燻っている核武装までいけば、認めざるを得ない。だが、今回はそうではない。
だから、磯部たちも、「軍拡」という表現に対しての方策を考えていなかった。
しかも、北朝鮮のミサイルが、本土に弾着しそうになってからは、対抗策を強化せよという世論の方が強くなっている。
しかしながら、そんなムードは、些細な出来事で一変する。だから、驕ってはいけないし、国の安全と防衛力強化について、国民に正しく理解してもらう必要があった。
「自国を守るためなら、相手の国を攻撃してもいいなどという暴論を、私たちは本当に許していいのでしょうか」
かん高い声で叫ぶ主張を聞きながら、磯部は駅の南にある防衛装備庁次世代装備研究所を目指した。
駅から南へしばらく歩くと、自衛隊中央病院が見えてくる。その構内を抜けると、防衛装備庁次世代装備研究所に至る。防衛装備における先端技術の研究開発を行う施設だが、今日の目的は、非公式の会議に出席するためだ。
研究所通用口で、海自の二佐が磯部を待っていた。
海上幕僚監部の早瀬[はやせ]と名乗る二佐の案内で、会議室に通された。
磯部を待っていたのは、4人だった。その中で唯一面識のある、友利雄介[ともりゆうすけ]一佐が、他の3人を紹介した。海上自衛隊潜水艦隊第二潜水隊群司令の秋築護[あきづきまもる]一佐、防衛装備庁長官官房海上担当装備官・谷村勲[たにむらいさお]、同プロジェクト管理総括官(海上担当)・堀内一則[ほりうちかずのり]という顔ぶれだった。
3日前に、「防衛力整備計画策定で、どうしても聞いてほしい要望がある」と、友利から連絡を受けた。詳細を尋ねると、「潜水艦艦隊に関する構想」と返ってきた。
それだけで、内容は予想できた。だから、参加したくなかったのだが、厄介事を避けると、必ず後悔するので、仕方なく応じたのだ。
場を仕切っている友利は、海幕副長の補佐役を務めているが、筋金入りの潜水艦乗り[サブマリナー]でもある。
そして、横須賀を拠点にした第二潜水隊群のトップに加え、装備庁から海自担当の幹部という顔ぶれが、潜水艦隊について議論しているのであれば、目的は一つだった。
日本初の原潜導入――。……

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