最初に取り上げたいのは『日本国紀』である。前回述べたような本連載の基本的な視点からすると、『日本国紀』は決して「面白い」歴史叙述ではない。しかし、なぜ「面白くない」かを考えることには、面白い歴史叙述とは何かを考えるにあたり大きな意味がある。また、日本史の通史を書くということがいかなる意味を持っているのかについても、重要な手がかりを与えてくれるだろう。なお、ここで「面白くない」というのはあくまで『日本国紀』という歴史叙述についてであり、小説家である著者の小説の面白さとはまた別である点は最初に確認しておきたい。
『日本国紀』、著者は百田尚樹。百田尚樹は1956年生まれ、同志社大学を中退後、放送作家としてテレビ制作に携わる傍ら、2006年特攻隊員をテーマにした『永遠の0』で作家としてデビューし、以後、保守的文化人としての立場を鮮明にした。安倍晋三元首相との個人的な親密さでも知られており、2013年には安倍晋三との対談本『日本よ、世界の真ん中で咲き誇れ』を出版している。2007年に屈辱的な形で辞任に追い込まれて以降の安倍を支えた「雨天の友」(野田佳彦)としての自負と、2012年末の劇的な勝利で安倍が政権を奪還したことの喜びが、そこには満ち溢れている。
『日本国紀』は2018年11月に幻冬舎から刊行された。著者がいま手にしているのは2019年1月刊行第9刷及び2021年刊行の文庫版第2刷である。文庫版の方は「新版」と銘打たれ、「大幅に加筆修正した」旨の注記がある。引用は手元の初版9刷から行うが文庫版との異同がある場合にはその都度注記する。
2019年1月刊行第9刷に付された帯には「累計100万部突破」とあるので(但し「関連本」含む)、発売直後から相当の売り上げがあったことは間違いない。ただし、これについては同書が刊行前からすでにある種の物議を醸しており、そうした話題性の高さに起因するものであることは考慮すべきだろう。「発売前に二刷合わせて三〇万部」というのが本人談であり(『「日本国紀」の副読本』、産経セレクト、2018年12月、21頁)、読まずに注文した人も相当な数に上ったことになる。「アベ友」の保守言論人が「日本史」を描く。内容以前にまずこうした要素が、「反アベ」派の人々を刺激し物議を醸すことで、保守・右翼的な著作を好む層の関心を惹きつけたのであろう。
淡々と書かれた「近代以前」に違和感
以上のいわば「釣書き」からさぞや煽情的なナショナリズムが鼓吹されているのだろうと期待して購入した読者の期待は、だが、肩透かしを食らうことになる。もちろん、冒頭に「日本ほど素晴らしい歴史を持っている国はありません」(「序にかえて」、2頁)とあるので、一瞬、そうした読者の期待は充たされるように見える。また、近代史の部分において「世界に打って出る日本」と題された第9章(文庫版では10章)では韓国併合の手続き的合法性と朝鮮半島の近代化に果たした「功」が強調され、第11章(文庫版第12章)のタイトルに至っては「大東亜戦争」である。
だが他方、近代以前、古代から江戸時代に至る1000年以上にわたる期間の記述に目をむければ、それはむしろ淡々としていることに気づかされる。この感じを表現するのは難しいが、淡々としたちぐはぐさとでもいうべきものがそこにはあるのだ。
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