ドイツのボリス・ピストリウス国防大臣(社会民主党・SPD)は、2026年に兵役義務を復活させる法案の骨子を公表した。原則的には志願制が中心だが、兵士が不足する場合には強制召集も可能にする。だがSPD左派からは強制化に反対する声も出ている。
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2026年からの「社会奉仕年」導入を目指す
これまで戦争は、ドイツ人にとって遠く離れた出来事だった。だが今戦争の足音がドイツ社会に近づいている。兵役義務が、重要な政治的テーマとなっている。
7月7日夕刻、ピストリウス大臣は兵役義務に関する法案の骨子について、SPDの連邦議会の議員団に説明した。ドイツ政府は2011年に「欧州での戦争の可能性は遠のいた」として、兵役義務を一時停止した。しかし、2022年のロシアのウクライナ侵攻以降、北大西洋条約機構(NATO)加盟国に対するロシア軍の脅威が高まっている。このためピストリウス大臣は、抑止力を大幅に増強するために、「社会奉仕年(Dienstjahre)」と呼ばれる制度の導入を目指している。
この制度では、東西冷戦の時代と同じように、市民に一定の期間にわたって、社会への奉仕、つまり兵役または介護施設や病院などでの労働を義務付ける。法案が今年8月に閣議決定され、その後連邦議会と連邦参議院で可決されれば、2026年から社会奉仕年制度がスタートする。
連邦軍は2008年1月1日以降に生まれた18歳になるドイツ国籍保有者全員に、質問票を送る。男性は回答する義務があり、拒否すると罰金を科される。女性は任意だ。市民は、健康状態、学歴、資格、技能などに加えて、兵役に就く意思があるかどうかを連邦軍のウェブサイトで答える。連邦軍によるこのオンライン調査の目的は、召集可能な人数をつかむことである。
2027年以降、18歳から25歳の市民を対象として、身体検査を含む適性検査が実施される。兵役に就く意思があると答えた市民は、少なくとも6カ月にわたって基礎訓練を受ける。
現役兵士は8万人不足
ピストリウス大臣は、「基本的にこの制度では、まず志願者によって連邦軍の兵員数を満たすことを目指す。そのために、兵役志願者には給料の引き上げを含めて、魅力的な待遇を用意する」と説明している。一説によると、6カ月の兵役期間の手取りの給料を少なくとも月額2000ユーロ(34万円・1ユーロ=170円換算)にする他、職業軍人の給料も引き上げる。メルツ政権を構成するキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)とSPDの連立協定書にも、「我々は新しい、魅力的な兵役義務を導入する。この制度はまず志願制(任意性)に基づく」と明記されている。
現在ドイツ連邦軍の兵員数は、職業軍人と、一定の年数だけ兵役に就く「期間軍人」を合わせて18万人である。だがピストリウス大臣は、NATOに対して、「2035年までに現役兵士の数を26万人、予備役兵士の数を20万人に増やす」と約束した。つまり現役の兵士は現在の時点で8万人不足している。
予備役の兵士とは、職業軍人または期間軍人として兵役に就いた後退役した者が、連邦軍の予備役システムに登録して、連邦軍の要請があれば兵役に復帰する義務を負った市民だ。
志願者不足の場合は強制召集も
問題は、ピストリウス大臣が言う「任意性を基本とする志願制の軍隊」で、46万人の兵力を構築できるかどうかだ。そこでピストリウス氏は、法案の中に、「強制召集」の可能性を盛り込んだ。
第1の可能性は、連邦軍が想定するスピードで、十分な数の志願兵が集まらない場合だ。たとえば大半の市民が病院や介護施設での労働を希望し、兵役を拒否するような場合だ。このように志願兵が不足するケースでは、連邦軍は適性検査を受けた市民を、強制的に軍務に就かせることができる。
ドイツでは、外国軍による攻撃が差し迫っていると考えられる場合などに、連邦議会の投票総数の3分の2以上の承認で「緊急事態(Spannungsfall)」を宣言することができる。たとえば、ロシア軍がドイツの主要都市へ向けて弾道ミサイルを発射しようとしていることが、諜報機関によってキャッチされた場合や、ロシア軍の空挺部隊がドイツ領内に強行着陸しようとしていることがわかった場合などが、緊急事態にあたる。
さらに、ドイツが実際に外国軍によって攻撃を受けた場合には、「防衛事態(Verteidigungsfall)」と見なされ、連邦軍は自国を防衛し、場合によっては反撃する態勢を取らなくてはならない。ドイツが直接攻撃されなくても、ポーランドやバルト三国など、他のNATO加盟国がロシア軍に攻撃された場合にも、ドイツにとって防衛事態が発生する。その理由は、ドイツが北大西洋条約第5条に基づいて、他の加盟国への攻撃を、自国への攻撃と同等と見なして、攻撃された国を支援しなくてはならないからだ。この緊急事態と防衛事態には、適性検査を受けた市民は軍への出頭を命じられる。
ピストリウス大臣の法案によると、志願兵の数が不十分である場合には、緊急事態や防衛事態が起きなくても、連邦軍は市民を強制的に召集できる。ただしピストリウス大臣は、いつまでに何人の志願兵を集める目標を持っているかは明らかにしていない。
これに対し、CDU・CSUの連邦議会議員団のノルベルト・レットゲン副院内総務は、「ピストリウス大臣の法案の内容はまだ不十分だ。志願制から強制召集に移行する時期や、必要とされる兵士の数も法案の中に明記するべきだ。ドイツは、兵役義務を復活させるために、時間をこれ以上無駄にしてはならない」と批判する。
連邦軍幹部やドイツの諜報機関は、「ロシアは現在急ピッチで軍拡を進めており、2029年もしくは2030年には、NATO加盟国と戦争を遂行する能力を持つ」と予想している。レットゲン氏が、兵役義務を早急に復活させるべきだと主張するのはそのためだ。
ちなみにスウェーデンも2010年に兵役義務を廃止していたが、ロシアが2014年にクリミア半島を併合して以来ロシアの戦略が大きく変わったと判断し、2017年に兵役義務を復活させた。ソ連との戦争で領土の一部を失ったフィンランドは、ロシアに対する警戒を緩めず、1991年にソ連が崩壊して東西冷戦が終わった後も、兵役義務を停止しなかった。欧州で軍と民間の戦争に対する備えが最も整っているのは、フィンランドだと言われる。
「強制召集が始まったら、息子を外国へ逃がす」
さてピストリウス大臣にとって最も難しい課題は、SPD内部で、強制召集の可能性を伴う「社会奉仕年」について同意を得ることだ。
左派的傾向が強いSPDの青年部は「完全な志願制にするべきだ」と主張し、強制召集の可能性に難色を示している。第二次世界大戦後の西ドイツの学校では、ホロコースト(ユダヤ人虐殺)を始めとするナチス・ドイツによる犯罪を反省し、平和を重視する教育に力が置かれてきた。このためドイツ人の若者の間には、平和主義者が多い。「Nie wieder Krieg(戦争は二度といやだ)」という平和運動のスローガンは、多くのドイツ人の心に刻まれている。
東西冷戦時代の西ドイツでも、兵役の人気は低かった。1957年から1962年の兵役期間は12カ月だったが、1962年から1972年には18カ月に延長された(代替任務つまり介護施設や病院での勤務は、兵役期間よりも長かった)。
特に知識階級に属する家庭の息子たちからは、「兵営では知的刺激に乏しく、学校で習ったことを忘れてしまう」とか「冬の雪原で野営させられて風邪を引いたが、上官が医者にかからせてくれなかった」などの苦情を聞いた。
多くのドイツ人の若者は自由時間と休暇に慣れているので、軍隊生活はつらかったようだ。特に東西冷戦が終わった後のドイツでは、平和は空気のように当たり前のものになった。兵役義務が停止されてからは、連邦軍は人々にとって疎遠な存在となった。
彼らは今日、欧州で地政学的リスクが高まっているからといって、制約が多く、自由時間が少ない軍隊へ行く道を選ぶだろうか。しかも有事となれば、彼らはドイツ社会の中で最も早く前線に送られる可能性がある。私は、「兵役か、介護施設や病院での労働か」という選択を迫られた時、兵役を選ぶドイツ人は少数派になると予想している。
実際、若者の間では、兵役義務復活に反対する人が多い。若者は優先的に召集されて、有事に戦場に行かされる可能性が高いからだ。公共放送局・西ドイツ放送(WDR)が7月3日に発表した世論調査(1312人を対象)の結果によると、全回答者の55%が、男性と女性に兵役か介護施設・病院での労働を義務付けるべきだと答えた。兵役・労働義務に反対する回答者の比率は23%と大幅に低かった。
ただし18歳から34歳までの回答者の間では、45%が兵役・労働義務の復活に反対した。戦争に行かされる可能性が低い65歳以上の回答者の間では、兵役義務の復活に反対する者の比率は18%に留まった。つまり実際に戦場に行かされる可能性が高い世代の間では、兵役義務の再開に反対する人が多いのだ。
市民の意見も大きく分かれている。ある銀行員は、「13歳の息子が心の準備をできるように、将来は兵役か介護施設・病院での労働のどちらかを行わなくてはならないんだぞと言い聞かせている」と語った。これに対しある企業経営者は、「私は息子を絶対に戦場には行かせない。強制召集が始まったら、息子を外国へ逃がす。すでにそのための準備を始めた」と語った。
SPD左派が軍拡反対を訴えた「マニフェスト」
6月中旬には、ピストリウス大臣にとって都合の悪い動きがあった。SPD左派に属する、ロルフ・ミュッツェニッヒ元院内総務を含む議員ら約100人が、「戦争の危険をことさらに強調するのではなく、ドイツは軍備管理、緊張緩和と平和を目指し、ロシアとの対話も重視しなくてはならない」とする書簡を公表した。署名者には、SPDの元共同党首や、元財務大臣も含まれていた。
「マニフェスト」と名付けられたこの公開書簡は、「ロシアとは外交交渉は困難なので、軍事的勝利が先だ」とするフリードリヒ・メルツ首相(CDU)やラルス・クリングバイル財務大臣(SPD)のタカ派的路線を批判するものだ。SPDの左派議員たちは米国の中距離ミサイルのドイツへの配備に反対し、ロシアを巻き込んだ国際秩序の再構築を要求するなど、ハト派的路線を打ち出した。ミュッツェニヒ氏はSPDの中で親ロシア派議員として知られている。
ミュッツェニヒ議員らは、マニフェストの中で兵役義務には言及しなかった。だが防衛支出のGDP(国内総生産)比率の5%への引き上げや、ロシアとNATOの軍拡競争に反対していることから、彼らが新しい兵役義務制度の中の、強制召集の可能性にも反発する可能性が強い。
メルツ政権は憲法改正により、GDPの1%を超える防衛支出については、無制限に国債を発行して資金を調達することを可能にした。しかし資金だけでは、ロシアに対する抑止力は高まらない。高価な戦車や戦闘機も、搭乗する兵士がいなくては無用の長物だ。メルツ政権は、平和と娯楽が空気のように当たり前になったドイツ市民に、将来国を守るために自分の時間を犠牲にし、生命を危険にさらすことを求める。政府にとっては、若者たちに国を守ることの重要性を理解させることが、相当難しい課題になるだろう。
メルツ首相とピストリウス大臣は、ドイツの若者たちをどのように説得するのだろうか。兵役義務に関する法律が施行されるまでには、まだ紆余曲折が予想される。