戦争が済んで六十年近く経つのに、シナ人は日本を軍国主義だと見ている。ことあるごとにそう言い、いわゆる「歴史カード」を執念深く切る。人間が記憶をそんなに長く引きずっていいのなら、私が昔の「上海の電信柱」を語るのも許されるだろう。 この間まで中国政府に招かれる政治家や言論人は、みな親中派だった。北京空港で学童の「熱烈歓迎」を受け、人民大会堂で周恩来総理と会談(というより引見され)、当時すでに横浜では珍しくなかった「本場の中華料理」を供され、感激して帰ってきた。それは彼らの政治上、言論上の実績になった。
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