「政経分離」を修正するドイツの試金石は「中国」――元反戦政党はなぜプーチンとの「交渉による解決」を撤回したか(後篇)

執筆者:熊谷徹 2022年7月29日
エリア: ヨーロッパ
対中政策の見直しを迫られるオラフ・ショルツ首相(Franz / Pixabay)
かつてNATO脱退まで要求した緑の党には、一方で「アウシュビッツを繰り返すな」という人権重視の思想も同居する。ロシア・ウクライナ戦争が欧州の政治経済の座標軸を変える中、現実路線を強めた同党は中国にも厳しい視線を向けている(前篇はこちらからお読みになれます)。

 1980年に結党された時、緑の党は様々な主張を持つ左派勢力の集合体だった。「従来の政党を否定する政党」を標榜し、環境保護、原発廃止、動物愛護、男女同権とともに核兵器の廃絶や西ドイツのNATO(北大西洋条約機構)からの即時脱退も要求していた。当時欧州では米ソの中距離核ミサイルの配備などをめぐり東西間の緊張が高まっていたため、緑の党にとって、反戦・絶対平和主義はその主張において重要な位置を占めていた。

 第二次世界大戦の結果、東西に分断されたドイツは、米ソ間で戦争が始まった時に最初に戦場になる危険が高かった。1980年代に米国大統領だったロナルド・レーガン氏は、「ドイツでの限定的な核戦争はあり得る」と言って、ドイツ人たちの反感を買ったことがあった。

 ただし、緑の党は急速に政策を穏健化していく。党内左派と実務派の間で繰り広げられた激しい路線闘争の結果、後に外務大臣兼副首相になるヨシュカ・フィッシャー氏ら実務派が優勢になり、ラディカルな左派の影響力は弱まった。緑の党はNATO脱退、原発即時停止などの過激な要求を引っ込め、次第に連邦議会選挙や州議会選挙での得票率を増やしていった。政策を穏健化したことで、中小企業経営者などの支持も得られるようになったのである。元々ドイツ人の環境問題への関心が強かったことから、同党の環境保護政策は多くの人々を引き付けた。

コソボ戦争への参戦を決定

 緑の党にとって、平和主義をめぐる最初の踏み絵となったのが、1999年3月に始まったコソボ戦争である。当時コソボではイスラム教徒・アルバニア系住民がセルビア系武装勢力に殺害される事件が発生していた。NATOは、「コソボでも、ボスニア・ヘルツェゴビナと同じように、セルビア系武装勢力による民族浄化や大量虐殺が起きる危険がある」として軍事介入を決定。コソボにいたセルビア系武装勢力だけではなく、セルビアの首都ベオグラードでも空爆を実施した。国連安全保障理事会の承認も得ない、NATOの一種の「予防戦争」だ。この戦争ではコソボのアルバニア系住民約1万人が死亡した他、セルビア側にも約2200人の死者が出た。

 これはNATOが域外で行った初の軍事攻撃であり、空爆の約90%は米軍が担当した。ドイツも電子偵察が可能なトルナード戦闘機を投入して、米軍を支援した。同国の連邦軍が主権国家に対する戦争に参加したのは、初めてのことである。

 NATOがコソボ戦争を始めた背景には、1991年以来旧ユーゴスラビア、特にボスニア・ヘルツェゴビナで続いた内戦で、10万人近い死者が出ていたという事実がある。欧米はコソボでもボスニア・ヘルツェゴビナのような惨劇が繰り返された場合、NATOの危機管理能力が疑問視され、信用性が落ちると判断した。

 特に米国は、ソ連消滅後に一極化した世界での「権威」を示す必要があった。だからこそ、コソボという欧州の「僻地」での紛争に介入したのだと言える。この戦争は、東西冷戦終結による旧秩序(ステータス・クオ)崩壊がどのような混乱をもたらすかをヨーロッパ人たちに示した、最初の局地紛争である。

 緑の党は1998年9月の連邦議会選挙で、社会民主党(SPD)、キリスト教民主同盟(CDU)に次ぐ第3党の座に躍進した。緑の党は、同年10月にSPDのゲアハルト・シュレーダー首相が率いる左派連立政権のパートナーとして、初めて政権に参加した。

 緑の党は初めての政権参加早々、戦争に直面したのだ。党内では、「NATOのセルビアに対する軍事攻撃に参加するかどうか」をめぐって、侃侃諤諤の議論が行われた。第二次世界大戦後ドイツは、外国に対する軍事攻撃に加わったことが一度もなかった。「平和主義を貫くか、それとも他のNATO加盟国との団結を重視するか」というテーマは、多くの党員たちの心を悩ませた。

 緑の党は反戦・平和主義だけではなく、人権重視も重要な目標に掲げている。1995年にボスニア・ヘルツェゴビナ東部のスレブレニツァで約8000人のイスラム系市民(ボスニア人)が、セルビア系武装勢力に虐殺された事件の記憶は、当時生々しかった。フィッシャー外務大臣は、「スレブレニツァやアウシュビッツのような虐殺がコソボで起きることを防ぐため、NATOの一員としてセルビアと戦うことは必要だ」と党員たちに訴えた。フィッシャー氏の「アウシュビッツを繰り返すな(Nie wieder Auschwitz)」というスローガンが、多くの党員を現実路線に突き動かした。この結果、緑の党はNATOの軍事攻撃を是認した。党員たちの中には、「せっかく初めて与党になれたのに、戦争を理由に連立政権から脱退するべきではない」と判断した者もいた。

 だが左派勢力の中には、コソボ戦争への参加を「緑の党の反戦思想に対する裏切り」と考える者も多かった。ある時フィッシャー外務大臣は、演説会場で聴衆から赤い液体が入ったビニール袋を投げつけられ、顔面が真っ赤に染まった。執行部が参戦に踏み切ったことに対する、党内左派の不満は覆うべくもなかった。

的確だったハーベック氏の見通し

 不思議な偶然だが、緑の党が政権に参加した年の翌年には、なぜか大きな戦争が起こる。2022年、つまり緑の党が連立政権に加わった2021年の翌年にも、ロシアのウクライナ侵攻が起きた。しかもこの戦争は、コソボ戦争とは比較できないほど、欧州全体の安全保障に深刻な影響を与える。1939年9月にナチス・ドイツがポーランドに侵攻して以来最悪の侵略戦争である。ロシアが民間人のいる施設を攻撃したり、占領地域で市民を拷問したり虐殺したりするなど、国際法を一顧だにしない「無法国家」であることも判明した。

 前篇でお伝えしたように、現在緑の党の主流派は、オラフ・ショルツ首相(SPD)の背中を押して、ウクライナに対空戦車や自走榴弾砲などの重火器を送ることを認めさせた。緑の党は、3つの連立与党の中で、ウクライナへの重火器供与に最も積極的だ。

 だが2021年春の時点では、緑の党の主流派の態度は今とは大きく違っていた。たとえば現在副首相でもあるロベルト・ハーベック経済・気候保護大臣は、2021年5月に緑の党の共同党首(当時)の一人として、ウクライナ東部・ドンバス地区の最前線を視察した。これは、緑の党が政権に就く6カ月前、アンナレーナ・ベアボック外務大臣がドンバスを視察する8カ月前である。

 彼は緑の党の実務派に属する政治家で、当時ベアボック共同党首(当時)と首相候補の座を争っていた。ハーベック氏は、ドンバス地区で戦場と化した町の様子を見て、強い衝撃を受けた。事態の深刻さを感じたハーベック氏は帰国後に、「ドイツは、ウクライナを支援するために、防衛用兵器を供与するべきだ」と発言した。

 すると、党内からハーベック共同党首に対する厳しい批判の声が上がった。ドイツの法律で禁止されている紛争地域への武器供与を、緑の党の共同党首が提案するとはもっての外だというのだ。同党の左派勢力は、2021年9月の連邦議会選挙を控えて、ハーベック共同党首の発言が、リベラルな有権者の顰蹙を買うと考えたのだ。ハーベック氏は当時「私が供与を提案したのは、攻撃的兵器ではなく、地雷探知器や夜間暗視装置などの防衛用兵器だ」と弁解した。

 その同じ党が、政権発足から4カ月後には、「ウクライナに重火器を送るべきだ」と要求するようになった。連邦議会が4月28日にショルツ政権のウクライナへの重火器供与を承認した時、緑の党の議員たちも賛成した。同党は4月30日に代議員集会を開き党員たちに発言の機会を与えたが、代議員たちは正式にウクライナへの重火器供与を承認した。約11カ月前にハーベック共同党首(当時)の武器供与提案を厳しく批判した党が、大きく路線を転換した。これは、ウクライナ戦争が欧州の政治状況を大きく塗り替えるだけではなく、左派リベラル勢力の間でも発想の転換が起きつつあることを示している。

 去年5月の時点でウクライナへの武器供与を提案したハーベック氏には、先見の明があったと言うべきだ。その後ウラジーミル・プーチン大統領が始めた侵略戦争は、彼の見通しが的確だったことを示している。

SPDの「政経分離主義」への批判

 先述のとおり、緑の党は平和だけではなく、人権擁護をも重んじる党だ。同党は2021年6月に公表した、連邦議会選挙向けマニフェストの中で、すでにロシアについて一項を割いている。同党は「ロシアは権威主義的国家に変貌しつつあり、EU(欧州連合)およびロシアの周辺国の民主主義、安定、平和を軍事的もしくはその他の手段によって、益々脅かしている」として、プーチン政権が欧州にとって脅威となりつつあると指摘。さらに「ロシアでは勇敢な市民運動家たちが、クレムリンに抵抗して民主主義や法治主義の強化、人権擁護を求めているが、我々はそうした動きを支援するとともに、市民運動家たちとの交流を深めたい。ロシアによるクリミア併合後にEUが実施した経済制裁措置を強化するべきだ。ロシア政府は、2014年以来ウクライナ東部で続く内戦に関するミンスク合意の内容を遵守するべきだ」と主張している。

 また緑の党はマニフェストの中で、プーチン大統領と、ドイツのシュレーダー政権・メルケル政権が進めてきた海底ガスパイプライン、ノルドストリーム2(NS2)の建設計画にも触れている。同党は、「このパイプライン建設プロジェクトはウクライナの安定を脅かし、EUのエネルギー政策や地政学的な利益を危険にさらすものであり、即刻建設計画を止めるべきだ」と要求している。

 ウクライナ戦争が勃発する約6カ月前に、連邦議会選挙のマニフェストでこれほどはっきりロシアを批判し、特にNS2の建設中止を要求したのは、緑の党だけである。

 これに対しショルツ首相は、プーチン大統領が10万人を超える兵力をウクライナ国境沿いの地域に配置し、侵攻準備を着々と整えていた今年1月にも、「NS2は純粋に民間経済のプロジェクトであり、政治には関係ない」と主張して、建設計画を擁護していた。

 彼はかつて、プーチン大統領の親友ゲアハルト・シュレーダー元首相の派閥に属していた。ショルツ首相は、政経分離主義の傾向が強く、波風を立てたがらないという点で、アンゲラ・メルケル前首相に似ていた。ショルツ首相がNS2建設計画を中止させたのは、プーチン大統領が戦車部隊をウクライナに向けて進撃させる2日前だった。つまりウクライナや東欧諸国の警告に耳を傾けた緑の党は、ロシアの危険性についてショルツ首相よりも的確に判断していたことになる。

 緑の党は、1970年代から親ロシア政策を続けてきたSPDに比べると、ロシアとのしがらみは少ない。シュレーダー元首相のように、プーチン大統領を擁護し続ける「走狗」となった党員もいない。去年11月にショルツ政権が公表した連立協定書は、香港、台湾、新疆ウイグル自治区についても言及し、中国の姿勢をはっきり批判しているが、これは緑の党の筆跡である。ベアボック外務大臣は、「香港、台湾、新疆ウイグル自治区での人権侵害については、中国と話し合うべきだ。メルケル政権のように、経済関係を重視してこれらの問題について沈黙するのは誤りだ」と明言している。

 政経分離主義を重んじるSPDは選挙マニフェストの中で、緑の党ほど中国を批判しなかった。だがウクライナ戦争勃発後、ドイツの政界・経済界ではプーチン大統領を擁護する中国に対する見方が厳しさを増しつつある。対ロシア政策の失敗に基づき、ドイツそしてEUが政経分離主義の修正を迫られる次の国は、中国である。

 地政学的リスクが重要性を増した、2月24日以降の世界では、ドイツ政府に緑の党が加わっていることはこの国にとって大きな幸運と言うべきかもしれない。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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