歴史に学ぶ「有事の出口戦略」の論じ方(中)――日米同盟はどのように戦争を終わらせるか

執筆者:千々和泰明 2023年8月15日
エリア: アジア
交戦相手側は日米の一方に対して単独講和の揺さぶりをかけてくるかもしれない[浜田防衛相との会談に臨む米国のオースティン国防長官(左)=2023年6月1日、東京都新宿区の防衛省](C)時事
「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」という二つの「極」の間のどこに終結を位置付けるか。それは、想定しうる「将来の危険」といま直面する「現在の犠牲」の比較考量から導かれるべき結論だ。日米同盟をとりまく環境を改めて検証した場合、想定できる交戦相手が核を持つこと、自衛隊の専守防衛原則、憲法9条による交戦権の否定など、この比較考量にはいくつかの重要論点が浮かび上がる。そして何よりも大きなリスクは、日米間の認識が不一致に陥ることだろう。(本稿前篇の〈戦争の「終わり方」から目を逸らした日本〉はこちらからお読みになれます)

 それでは、万が一不幸にして有事が発生した際の日米同盟の出口戦略について、前節で見た〈「紛争原因の根本的解決」と「妥協的和平」のジレンマ〉という分析レンズを用いて考えてみよう。

「核」の壁、課題としての「専守防衛」「憲法9条」

 まずは日米同盟側が交戦相手に対し優勢の場合で、なおかつ「将来の危険」と「現在の犠牲」のバランスをめぐる認識が日米両国で一致することを想定してみる。

 この時、もし日米同盟側にとっての交戦相手の「将来の危険」が極限まで大きく、逆に自分たちの「現在の犠牲」がきわめて小さい場合、理論上は交戦相手政府・体制の打倒が追求されることになる。2015年ガイドラインでいえば「平和及び安全を回復するような方法で、この地域の環境を形成するための行動をとる」こと、また2022年国家安全保障戦略が述べる「国益を守る上で有利な形で終結させる」ことが、最大限追求されるような状況がイメージされる。

 しかし交戦相手がナチス・ドイツやフセイン体制などとは異なり、核保有国である場合、相手側の核戦力を弾道ミサイル迎撃システムで完全に無力化するか、あるいは緒戦ですべて破壊するかして、こちら側に犠牲が生じないようにできることが前提になる。それができない場合、核保有国を相手に「紛争原因の根本的解決」を追求することは、核の報復を受けることを考慮すれば「現在の犠牲」が大きすぎて不可能である。

 また日本が「紛争原因の根本的解決」を図ることには、軍事上のみならず政治的な制約もある。有事における自衛隊の作戦行動は、「専守防衛」の原則にのっとったものでなければならない。専守防衛とは、相手からの攻撃を受けて初めて武力を行使し、その場合も必要最小限の武力行使にとどめるとする姿勢を指す。一方、専守防衛原則は、それにより「将来の危険」が残るのではないかとか、結果的に彼我双方の「現在の犠牲」が増大するのではないかといった、戦争終結論的な発想を必ずしも踏まえたものではないことには注意が必要であろう。

 専守防衛原則に加えて、憲法第9条が交戦権を認めないとしていることについての政府の憲法解釈との整合性を図る必要がある。ここでは、「敵が攻めて来た場合、ずっと敵を追い詰めて行って、そうして将来の禍根を断つために、もう本国までも全部やつけて(ママ)しまうというようなことが卑近な例として考えられますれば、交戦権があればそれは許されるであろう、併しないからそれは許されない」(1954年5月25日、佐藤達夫内閣法制局長官答弁)とされている。ただしこれについては国際政治学者の篠田英朗が、日本国憲法は現代国際法で否定されている交戦権を改めて認めないとしているにすぎないとの重要な指摘をおこなっているので、あわせて付記しておきたい(篠田英朗『憲法学の病』新潮新書、2019年)。

 いずれにせよこのような局面では、「現在の犠牲」を恐れるあまり、許容できないような「将来の危険」を残し、短期間で平和が崩れることがないように注意しなければならない。

「将来の危険/現在の犠牲」の比較考量に大戦時日米からの手がかりも

 逆に、日米同盟側にとっての「将来の危険」が小さく、「現在の犠牲」が大きい場合、「妥協的和平」が図られることになる。2022年国家安全保障戦略以前の、速やかな終結と被害の最小化を最重要視するかたちである。そのなかでも日米同盟側の優位性が高ければ、それに見合った休戦の条件を交戦相手に呑ませることができるかもしれない。たとえば、兵器の種類や配置などについて、戦後こちら側がある程度安心できるような制約(非核化など)を相手に課すことが考えられる。

 あるいは、「現在の犠牲」の回避を重視した結果、当面の脅威を撃退するのみで、戦後も緊張状態の継続を受け入れるようなかたちの休戦が選ばれる可能性も否定できないであろう。

 そこでは、「将来の危険」を過大評価して、不必要な「現在の犠牲」を払うことは避けなければならないということになる。

 加えて、日米同盟側から見て、「将来の危険」と「現在の犠牲」が拮抗することも考えられよう。この場合、戦争終結の形態は不確定となる。交戦相手側から見れば、日米同盟側に付け入るスキが生じる。日米同盟側は、相手側の反応を見きわめて実際の戦争終結形態を選んでいくことになる。

 太平洋戦争において、もともとアメリカは1941年12月7日(ハワイ時間)の真珠湾奇襲で自国に直接攻撃を加えた日本軍国主義をナチズムと並ぶ脅威とみなし、「妥協的和平」では取り除くことのできない「将来の危険」を除去するために、ドイツに対するのと同様に無条件降伏政策を掲げていた。しかし日本側の抵抗は激しく、日本本土侵攻を実行すればアメリカ側にも甚大な損害が出ることが予想された。ドイツでおこない、大量の血が流されるのを実際に目にした本土戦を、日本を相手に繰り返したくはなかった。

 一方の日本側は、「現在の犠牲」に対するアメリカ側の懸念に乗じて徹底抗戦に出て、少しでも有利な「妥協的和平」を得ようとしたと説明できる。

 そこでアメリカは、ポツダム宣言によって、「戦争終結に引き続く占領は連合国の目的が達成され日本国民の自由意思による平和的傾向を有する責任ある政府が樹立されるあいだにとどまる」との戦後の展望を示すことにした。一方、日本側が最重要視していた「国体護持」(天皇制存置)までを保証することは、日本に対し、日本が連合国側にさらなる譲歩を求めるインセンティブを与えることになって逆に戦争が長期化する可能性があると判断され、盛り込まれなかった。……

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
千々和泰明(ちぢわやすあき) 千々和泰明(ちぢわ・やすあき)1978年生まれ。防衛省防衛研究所主任研究官。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士課程修了。博士(国際公共政策)。内閣官房副長官補(安全保障・危機管理担当)付主査などを経て現職。この間、コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。専門は防衛政策史、戦争終結論。著書に『安全保障と防衛力の戦後史 1971~2010』(千倉書房、日本防衛学会猪木正道賞正賞)、『戦争はいかに終結したか』(中公新書、石橋湛山賞)、『戦後日本の安全保障』(中公新書)など。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top