野党も対イラン攻撃を支持、「ハマスとは別問題」と考えるイスラエル世論の論理

執筆者:曽我太一 2025年6月24日
エリア: 中東
イスラエル国民によるイラン攻撃への支持は、必ずしもネタニヤフ首相への信頼を意味しない[イランのミサイル攻撃を受けたイスラエル中部テルアビブの集合住宅=2025年6月22日](C)EPA=時事
イランの核関連施設への攻撃については、議会解散をめぐり直前までネタニヤフ首相と激しく争っていた野党各党も支持を表明した。かつて諜報機関モサドの長官は「武力攻撃でイランの核開発を中止に追い込むことは不可能」だと警告したが、今年4月の世論調査ではイスラエル国民の45%が「アメリカの支持がなくともイランを攻撃すべき」と答えている。こうした傾向は、イスラエル国内で「テヘランの虐殺者」と呼ばれたライシ大統領時代の2021年から続いており、ハマスとの戦争とは別問題と捉えているようだ。

「影の戦争」からエスカレート

 2025年6月13日が、イスラエル軍事史の重要な一頁として刻まれることになるのは間違いないだろう。イランの体制奥深くにイスラエル諜報機関の工作員が入り込み、核関連施設から革命防衛隊や軍の幹部にまで同時多発的な複合奇襲攻撃を成功させた。イスラエル国内はイランの報復によってかつてないほどの被害に衝撃を受けつつも、この歴史的な成功の秘訣がメディアで連日取り上げられるなど「戦術的成功」に酔いしれている。しかし、これがイランの核開発能力の排除というイスラエルの戦略的な目標につながるかは不明だ。

 イスラエルとイランは近年「影の戦争」の状態にあると言われてきた。ホルムズ海峡を通過するイスラエル関係船舶が攻撃を受けるたびイスラエル側はイランによる仕業だと糾弾し、逆にイラン関係の船が攻撃を受ければイラン側がイスラエルを糾弾。ただ、双方ともに自らの関与を明言せずに対立が先鋭化していた。 

 そのフェーズが変わったのが、2023年10月以降のイスラエルとハマスの軍事衝突だ。なかでも転機となったのは2024年4月、イスラエルが混乱に乗じ、シリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館の施設を空爆し、革命防衛隊のナンバー2を殺害。イランは史上初めて、ヒズボラやフーシ派といった代理勢力を通してではなく、本国からの対イスラエル直接攻撃に乗り出した。その後、武力攻撃の応酬は同年10月にも行われ、イスラエル・イランの緊張が次なる高みに達したが、今年6月13日のイスラエルの奇襲攻撃により、両国はかつてないほどの全面的な軍事衝突に発展した。

モサドも反対していたイランとの全面衝突

 イスラエルが武力によって中東の敵国の核開発能力を阻止しようとしたのは、これが初めてではない。1981年にはイラクのオシラク原子力発電所を戦闘機による空爆で破壊。2007年には、シリアのアサド政権がデリゾール県で極秘裏に進めていた核開発施設を、これまた戦闘機による空爆で破壊した。

 シリアの核開発施設の破壊においては、事前にイスラエルの諜報機関モサドからアメリカのブッシュ(子)政権に情報共有が行われ、国連などを通じた外交手段に訴えるか、アメリカが武力攻撃を実施するか、それともイスラエルが攻撃を実施するか、議論が行われた。最終的に、ブッシュ大統領が再び中東での戦争に巻き込まれることを恐れ、カウンターパートのエフード・オルメルト首相に「どうぞ、ご自由に。我々は邪魔をしません」と、イスラエルの攻撃を認めた。

 イランの核開発を武力によって阻止すべきだという議論は2008年ごろから行われてきた。しかし当時、イラン核関連施設への攻撃に懐疑的な見方をしていたのが、当時のモサド長官メイル・ダガン氏だった。2002年から2011年の史上2番目の長さにわたり長官を務めたダガン氏はイスラエル軍事史の中でも特に輝かしい功績を持つ伝説的な軍人で、イランの核科学者の暗殺により開発計画を遅延させるという作戦を考案した。ダガン氏は、「暗殺という手段は全面戦争よりも『はるかに道徳的だ』」という持論を持っていた。

 ベンヤミン・ネタニヤフ首相は第二次政権時の2010年、イラン攻撃の準備を命じたが、当時のダガン長官はこれに反対した。ロネン・バーグマン氏の著書で、ダガン氏は当時の状況について、「武力を行使すれば、耐え難い結果をもたらす。軍事攻撃でイランの核開発計画を全面中止に追い込むことが可能だという考え方自体が間違っている。(中略)イスラエルが攻撃すれば、(イランの最高指導者)ハーメネイーはアラーに感謝するだろう。攻撃を受ければ、核開発計画を支持するイラン国民が団結し、ハーメネイーも、イスラエルの侵略からイランを守るために原子爆弾を手に入れなければならないと言えるようになる」と語っている。

 ダガン氏は、「剣先を喉元に突きつけられた場合」を除き、全面的な軍事衝突は起こすべきではないという信念の持ち主だった。

2002年、首相官邸で乾杯するアリエル・シャロン首相(中央)と退任直前のモサド長官エフライム・ハレヴィ氏(右)、メイル・ダガン次期長官(左)。肩書はいずれも当時(C)SA'AR YA'ACOV / Government Press Office

 今回の攻撃のタイミングについて、イスラエルが果たして、「喉元に剣先を突きつけられた」状態だったのかは疑問が残る。イスラエル側は、イランが持つ濃縮ウラン約400キロが兵器となるまでのブレークアウトタイムは数週間から数カ月だったと主張していた。一方、CIAのトゥルシ・ギャバード長官は25年3月、「イランはまだ核兵器を製造していないという評価を下している。2003年に凍結した核兵器製造計画を承認していない」と証言していたが、トランプ大統領が今回、「彼女(ギャバード氏)が言うことは関係ないと意見の相違も見られる。

 イラン情勢に詳しいテルアビブ大学のメイア・リトバク教授は、今回のイスラエルの攻撃こそがイランの核保有へのリスクを高める可能性があると指摘し、イランの核兵器開発を阻止するという戦略的な目標を達成するかどうかについては懐疑的な見方を示す。

カテゴリ: 政治 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
曽我太一(そがたいち) エルサレム在住。東京外国語大学大学院修了後、NHK入局。北海道勤務後、国際部で移民・難民政策、欧州情勢などを担当し、2020年からエルサレム支局長として和平問題やテック業界を取材。ロシア・ウクライナ戦争では現地入り。その後退職しフリーランスに。
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