現金一律給付は、なぜ減税や限定給付より望ましいのか?:ベーシックインカム不要論が陥る「選別主義」の錯覚

執筆者:井上智洋 2025年9月22日
タグ: 日本
エリア: アジア
公約として「現金給付」を掲げるも、参院選は自民党の大敗に終わった[投開票の翌日、会見に臨んだ石破茂首相=2025年7月21日](C)新潮社
“選挙前のバラマキ”とのイメージが浸透してしまった「現金一律給付」への悪評を受けて、自民党内でも「低所得者への限定給付」を唱える声が高まっている。「金持ちに給付は必要ない」という主張には一定の理があるようにも見えるが、こうした選別主義はいくつかの「錯覚」を前提にしてしまっている。ベーシックインカムの実効性を測るには、その錯覚を取り除いて考える必要があるだろう。

現金給付を掲げて大敗した自民党

 2025年7月の参議院選挙では、現金給付と減税のどちらが望ましいかが、最も大きな争点の一つになっていた。現金給付を掲げた自民党が大敗して、減税を掲げた国民民主党と参政党が大幅に議席を伸ばしたので、国民は減税の方をより支持した可能性がある。

 実際、様々な世論調査で、減税に賛成する意見の方が圧倒的に多かった。現金給付は、一時的なものと考えられていたり、バラマキというようなマイナスのイメージを抱かれていたり、選挙向けのパフォーマンスと見られたりしていて、評判が良くないのである。

 だが、今回の自民党案がいいかどうかは別にして、一般的に現金給付、特に「現金一律給付」は、景気を回復させるうえでも、窮乏した国民生活を支えるうえでも、優れた手段になり得る。

4万円の定額減税と現金給付のどちらが望ましいか

 岸田政権は2024年に、4万円の定額減税を実施した。ただし、子供などの扶養家族がいる納税者には、一人につき減税額は4万円加算される。税額が4万円に至らない納税者については、差額が給付される。住民税非課税世帯については、1世帯あたり7万円給付され、子供1人につき5万円加算される。

 このような煩雑極まりない政策だったので、多くの国民にとって正確に理解するのが難しかったし、何よりも企業の経理部に多大な作業負担をもたらした。こんなことならば、国民全員に一律に4万円を給付する方が良かった、という意見が少なくなかった。

 一人の人に4万円減税するのも、4万円給付するのも、結果としては何も変わらない。50万円納税する予定の人であれば、

(1)4万円減税⇒46万円納税
(2)4万円給付⇒50万円納税+4万円受給

 となる。

(1)と(2)の間で、この人の損得に何か違いがあるだろうか? いずれであっても、「純負担」(租税-給付)が46万円となり、「可処分所得」(個人が自由に使えるお金、手取り+給付)が、46万円減るということには変わりないはずだ。

 たとえて言うと、460円の牛丼を買うのに460円払うのと、500円払って40円のお釣りをもらうのを比べるようなものだ。手続きが異なるだけで、結果には違いがない。

お金は使っても無くならない

 4万円給付する方が政府支出が多いので、効率が悪いなどと考えてしまうのも、よくある錯覚だ。4万円を1億2000万人に給付すれば、手続き費用を除いても、4兆8000万円の政府支出が必要だが、この4兆8000万円をコストと見なして「費用対効果」を考えてはいけない。

 個人にとっての費用対効果は、支出に対してどれだけの便益(満足)が得られるかということだ。1000円のラーメンを食べても、相応に美味しくなければ費用対効果は低く効率が悪いということになる。

 それに対して、政府にとっての費用対効果は、政府支出に対する政府の便益ということにはならない。なぜなら、政府は政府自体のためにあるわけではなく、国全体のために存在する組織だからである。政府を個人と同列に扱ってはならないというわけだ。

 したがって、政府は支出を検討する際に、国全体の「社会的コスト」と「社会的便益」を考慮しなければならない。その際の社会的コストというのは政府支出ではないので注意が必要だ。なぜなら、一般にお金を使うということは、お金が移動しているだけであって、この世から消滅するわけではないからである。

 お金は使っても無くならない。そう言われるとギョッとする人が多いかもしれないが、俯瞰した位置から世の中を眺めて欲しい。私がコンビニで使ったお金は私の手元から無くなっても、それはコンビニ店舗の収入になるだけだ。

「金は天下の回りもの」という言葉が表すように、お金は人から人(企業)へと持ち主を変えていくだけで、支出によって消滅するわけではない。したがって、国全体の社会的コストを考える場合に(少なくとも国内でお金が回っている限りは)、支出額それ自体はコストにはなり得ない。

 だが、お金とは違って、労働力や機械の生産能力、エネルギー資源といった実物リソースは、生産活動などに利用すれば、その分費消されて失われてしまう。労働者が働くと、労働者自体が消えて無くなるわけではないが、労働力を一日使えば、他のことに使えるはずの労働力が一日分失われる。機械についても同様に考えて欲しい。

 それゆえ、私達は実物リソースを有効活用しなければならない。お金の支出ではなく、このような費消される実物リソースこそが、国全体にとっての社会的コストの正体だ。

移転支出と非移転支出の違い

 そうすると、一口に政府支出と言っても、生活保護給付のような「移転支出」とインフラ整備のような「非移転支出」に分けて考えなければいけないことに気付かされる。

 移転支出の場合は、基本的にはお金を移動させているだけで、実物リソースを直接費消しているわけではない。また、橋や道路などの便利なインフラを作っているわけではないので、直接便益が発生するわけでもない。したがって、費用対効果という概念を当てはめることができない。政策を評価する際の基準は効率性ではなく、公平性であるべきだ。

 例えば、貧しい人に給付することが公平なのかどうかが問われるということである。何が公平かは、人の価値観によって異なってくるので、明確な答えは得られない。だからと言って、公平性以外の基準で比較することは不適切だろう。

 ただし、事務手続きなどのコストは掛かるので、4万円の給付と4万円の減税のように公平性において等しい場合は、手続きコストの低い方を選ぶべきだ。

 他方で、非移転支出の場合には効率性が基準となる。すなわち、より少ない実物リソースを使って、より便益の高い橋や道路などを建設すべきである。実物リソースをコストとして計算する際に、政府支出額を参照することになるだろうが、非移転支出の場合も政府支出額がそのまま国全体のコストにはならないので注意が必要だ。

 例えば、高校を無償化しようがしまいが、高校生の人数や学校が提供するサービスなどに変化がないとするならば(実際には変化するだろう)、社会的コストは全く変わらない。「高校を無償化した方が政府支出は増大するので、費用対効果が低い」などと考えてはならないのである。

 なお、高校無償化の例から分かるように、非移転支出であっても、公平性は問われることになる。高校を無償化して高校生(の親)が利得を得ることが、公平なのかどうかが議論の対象になるということだ(その点は、ここでは議論しない)。

 以上をまとめると、政府支出の際に評価の基準にすべきなのは、

 移転支出:公平性(手続きコスト)
 非移転支出:効率性・公平性

 ということになる。

現金給付が減税より優れているのはなぜか

 話を元に戻すが、4万円の減税と4万円の現金給付を比較するならば、(全員が納税者であれば)公平性においては同じはずなので、手続きコストの低い方を選ぶべきということになる。手続きコストについても、そのための政府支出の額ということではなく、労働力などの費消がどの程度であるのかを目安にすべきだ。

 現金給付は今のところ、自治体の負担が大きく、それ相応の労働力が必要とされる。だが、全国民の「公的給付受取口座」をマイナンバーに紐付けできれば、給付手続きは極めて簡便になるだろう。

 ヨーロッパでは多くの国々で、社会保障番号などと国民の銀行口座が紐づけられている。日本は、そうした行政を効率化する制度の導入で後れを取っており、まずはそれを実施すべきだろう。

 そのような効率的な制度の導入が図られたならば、減税よりも現金給付の方が、手続きコストが低くなるので、景気回復や生活支援のための、より優れた手段になり得る。参院選の際に、与党の現金給付案に対して「配るくらいなら、最初から税金とるな!」という批判が多く寄せられた。減税よりも給付の手続きが簡単になれば、そのような批判は妥当しなくなるだろう。

 現金一律給付は、所得減税のみの場合と異なって、納税していない貧しい人にも恩恵が及ぶ。貧しい人の生活を支援すべきではないという方針を取るのであれば、所得減税のみで構わない。

 しかし、物価高などで国民生活が圧迫されている時に、「納税者のみ減税によって支援すべきであり、税金を納められない貧しい人は放っておけばいい」という非人情はまかり通らないだろう。

選別主義の錯覚とは

 あるいは逆に、貧しい人だけを支援すればいいという「選別主義的給付」(限定給付)を推す声も出てくるかもしれない。社会保障論の分野では「ターゲット効率性」という用語がある。これは必要な人にだけどのくらい効率よく給付できるかを意味しており、選別主義的給付はターゲット効率性が高いと見なされている。

カテゴリ: 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
井上智洋(いのうえともひろ) 駒澤大学経済学部准教授、慶應義塾大学SFC研究所上席研究員。博士(経済学)。2011年に早稲田大学大学院経済学研究科で博士号を取得。早稲田大学政治経済学部助教、駒澤大学経済学部講師を経て、2017年より同大学准教授。専門はマクロ経済学。特に、経済成長理論、貨幣経済理論について研究している。最近は人工知能が経済に与える影響について論じることが多い。著書に『人工知能と経済の未来』(文藝春秋)、『ヘリコプターマネー』(日本経済新聞出版社)、『AI時代の新・ベーシックインカム論』(光文社)、『純粋機械化経済』(日本経済新聞出版社)、『MMT』(講談社)、『「現金給付」の経済学』(NHK出版)、『AI失業』(SBクリエイティブ)などがある。
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