揃って評価を下げたマクロン批判者、逆に好感度を上げたのは?
結束が揺らいだのは、大統領与党連合にとどまらない。右派「レピュブリカン」も、一致団結にはほど遠い状態だった。
党首ルタイヨら党内の主流は、連立政権を離脱することで吹っ切れて、マクロン批判を展開した。ただ、「レピュブリカン」から入閣した4人のうち、ルタイヨを除く3人は彼に従わず、内閣に残留する道を選んだ。党は10月10日、内閣に残留する人の党籍を剥奪する決定を下したが、3人は翻意することなく、最終的に第2次ルコルニュ内閣にも参加した。
シャルル・ドゴール(1890-1970)の流れを引き継ぎ、シラク、ニコラ・サルコジ(70)両大統領の与党だった「レピュブリカン」は、支持層を右翼に奪われるなどで近年衰退ぶりが激しく、国民議会でも右翼、左派左翼、大統領与党連合に続く第4勢力に過ぎない。それでも2024年にはバルニエ内閣を成立させたが、支えきれずに早々の崩壊を許してしまった。総選挙が実施されるとさらに議席を失う可能性が高く、政府に対して強い態度に出られない。その立ち位置も、中道に寄り過ぎると大統領与党連合に吸収されかねず、かといって強硬路線に走ると今度は右翼と区別がつかなくなる。このように窮屈な立場のまま野党としてやっていくぐらいなら、内閣に参加して権力を行使した方がいい。3人の態度には、そのような計算が働いていただろう。実際、党自体も強硬派と穏健派との間で方針が定まらず、迷走を続けていた。
3人の態度は、あるいは政治危機の発端をつくったルタイヨに、指導者としての限界を見たからだったのかもしれない。ルタイヨに対しては、入閣メンバーの引き揚げという啖呵を切ったことへの評価よりも、混乱の発端をつくった責任が問われるようになっていた。
10月8日夕、ルコルニュはマクロンと1時間あまり会談した後、出演したテレビで「私のミッションは終わったようだ」と述べた。各党との間で最低限のコンセンサスが得られたことを示唆していた。
「解散総選挙は避けられそうで、48時間以内に首相を任命できる状況にあると、大統領に報告した」
彼はまた、「新内閣は2027年大統領選の野望から完全に切り離された布陣となるべきだ」とも付け加えた。その言葉の背後には、ルタイヨの行為を批判する意図が込められていた。ルコルニュにとって、ルタイヨの派手な内閣離脱劇は、大統領選に向けて自らを売り込むパフォーマンスと映っていただろう。ルタイヨだけではない。マクロンを批判したアタルや、予算成立後の辞任を求めたフィリップの振る舞いの陰に、次期大統領選への個人的野望が潜んでいると、少なからずの人が感じ取っていた。だからこそ、彼らは有権者の支持を失うことになったのである。
一夜明けた10月9日と翌10日に実施された大手調査会社Ipsosの世論調査(公表は11日)7によると、政治家の満足度でバルデラとルペンがともに33%でトップを占め、ルペンの姪で右翼政党「アイデンティティー・自由」を2024年に立ち上げたマリオン・マレシャル(35)が24%で続いた。その下に4位フィリップ22%、5位ルタイヨ20%、6位アタル19%が並んだが、特筆すべきはこの3人の人気の低下ぶりである。9月に比べルタイヨが7ポイント、アタルが5ポイント、フィリップが3ポイントを失った。
フィリップはそれまで、マクロン後継の筆頭とみられてきた。にもかかわらず、マクロンに事実上辞任を求めたその態度が評価を下げたのは間違いない。つまり、フランス国民は確かに、マクロンにうんざりしているが、マクロン降ろしのごたごたを見るのはもっと嫌なのである。
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