受難の日々を乗り越えたカンボジアの華人

執筆者:樋泉克夫 2011年11月15日
エリア: アジア

 温州商人といえば最近では超バブル気味の不動産ビジネスから夜逃げ同然に撤退していると報じられているが、温州は日用雑貨の一大生産基地でもある。その温州産のゴザが遠く元の時代に、すでにカンボジアで流行していたから驚きだ。カンボジアと中国の間には長い関係があったのだ。

 カンボジアの都市在住華人は、1970年代半ばのロン・ノル政権崩壊までの間、同郷会や同業会などの組織を軸に結束し、カンボジア経済を押さえていた。一方、共産主義革命の輸出を国是としていた北京は活動家を送り込み、華人社会内部に革命組織を作り上げ、「現地人民の反米救国闘争」を熱く支援した。やがて“民族解放闘争”が勝利しポル・ポト政権が成立すると、華人は「歴史的に長期に亘ってカンボジア人民を搾取した犯罪者」と断罪され、親北京系華人であったとしても例外なくキリング・フィールドに送り込まれた。毛沢東は「華人をカンボジア革命に使ってくれ」とポル・ポト政権に申し入れたとも伝えられる。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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