習近平勝利にみる「毛王朝」の血脈(上)

執筆者:藤田洋毅 2010年11月10日
エリア: アジア
敵を作らない男・習近平 (c)AFP=時事
敵を作らない男・習近平 (c)AFP=時事

「何か違うなあ……」――ふと感じる瞬間がある。能弁で饒舌だったり、物静かで言葉数が極端に少なかったりと表向きは様々だが、今や中国では普遍的なギラギラとした金銭欲や物欲を、つゆほども感じさせない。笑顔を絶やさず、辛抱強く相手の話に聴き入る。そして、自らの父母に対する思慕は、尊敬を超え、ほとんど崇拝と表現しても過言ではない。そんな共通点がある。

「太子党」とは何か

 筆者が古くから交流している中国の友人には、高級幹部の子弟、いわゆる「太子(プリンス)党」と呼ばれる面々もいる。中でも、特に長く深く付き合っている2人は、建国元勲の2世と3世。鄧小平や江沢民の時代にのし上がった高級幹部ではなく、2世氏の父、3世氏の祖父ともに、簡易な中国近現代史の本を繙いてもその名が散見される、毛沢東とともに新中国を打ち立てた、革命本流の血筋を誇る。
 2世氏は人民解放軍創設に関わった父の後押しで軍務に就いた後に第一線から退いたが、依然、運転手付き軍ナンバーの公用車を駆り、電話やメールは秘書任せ。レストランやカラオケから連絡があり駆けつけると、毎回、個室に陣取っている。深夜に呼び出された時には「将軍が突然、あなたと話したいと言い出したので……」と、秘書は申し訳なさそうに告げたが、本人は遠慮するどころか普段通りニコニコ。そしていつものように取り留めもない話題を振ってきた。
 もう1人の3世氏は、当時、中南海の中にあった高級幹部専用の診療所(現在は中南海北門を出て徒歩5分余りの場所に移転した軍305医院)で生まれた、文字通り中南海で「産湯につかった太子」である。祖父は党最高幹部に名を連ね、中南海で執務し、家族と住んでいた。兄弟の1人には、近代化以降の重大な歴史の転換期に最高指導者の片腕として活躍した有力幹部もいる。
 2人に、もうひとつの共通点があることに気づいたのは、知り合ってしばらく経ってからだ。1958年の大躍進に始まり、1966年からの文化大革命へと急進的な政策に走った毛沢東と対立した2世氏の父と3世氏の祖父は失脚し、家族はばらばらに。2世氏は農村に下放されて辛酸を嘗め、3世氏は遠縁の農民に預けられ大学進学など自らの未来を切り開く可能性を閉ざされてしまったのだ。
 鄧小平の時代に入り、2世氏の父は再び軍務の第一線に返り咲いた。だが3世氏の祖父は、幽閉されたまま僻地で既に亡くなっていたことがわかった。その後、祖父の名誉は回復された。遺族は、看取る家族もないまま、たった1人で逝った祖父の遺骨を捜し出して追悼式を開き、北京・八宝山革命公墓にある幹部向けの骨灰(遺骨)堂に納骨。悪夢の時代に、ようやくけじめをつけたのだった。
 くどくどと個人的な体験や感想を紹介したのは、ほかでもない。10月18日に閉幕した中国共産党第17期中央委員会第5回全体会議(5中全会)において、序列6位の習近平・政治局常務委員が党中央軍事委員会副主席に就き、次期トップの座をほぼ固めたからだ。
 温厚、慎重、律儀、おおらか、そして目立たない、他人の話に耳を傾ける、敵を作らない……内外の報道が一致して伝える習の人物像は、まさに筆者が知る2人の太子党に似る。太子党筆頭格である習の躍進に、2人とも笑顔で「とても歓迎だよ」と口をそろえるのである。

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