28分増えた通勤時間での愉しみ

2022年 私の読書

執筆者:加藤弘士 2022年12月31日
カテゴリ: カルチャー
 

 2022年は本との関わりが劇的に変わった年だった。理由は二つある。

 一つは3月に初の著書『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)を刊行したことだ。本作りの当事者となることで、書籍が読者に届くまでのプロセスにおいて、“伴走者”たる編集者が著者と同じぐらいに汗をかき、知恵を絞っていることを実体験として感じた。装幀、宣伝、販売など様々な部署の方々が全力投球しているからこそ、全国津々浦々からの感想が書き手に届き(フランスからも届いた)、執筆の労苦は達成感や次作への意欲へと変わっていく。書店に並ぶ本の一つひとつに、クレジットには出ない多くの出版人の情熱が込められていると知り、本と接することの幸福が増した。

 

 もう一つは会社が品川から両国へと移転したことだ。電車に揺られる時間が28分増えた。この時間は丸々読書に充てている。人生は短い。スマホをいじっている内に老いぼれていくのはごめんだ。コロナ禍で夜の酒席が減り、友人と語らう機会も少なくなった。その分は本を読めばいい。新たな発想や、生きることの喜びと哀しみを教えてくれる。

 そんな良き友のような5冊を紹介したい。

 

 オカモト“MOBY”タクヤベースボール・イズ・ミュージック! 音楽からはじまるメジャーリーグ入門(左右社、2022年)はメジャーリーグの魅力を音楽の視点から解き明かした他に比類なき一冊だ。筆者のMOBYは熱狂的なファンを有するライブバンド「SCOOBIE DO」のドラマー。ややもすれば学術書的なアプローチになりがちなテーマであるが、まるでビートを刻むように楽しく、軽やかに謎を解き明かしていく。

 自身を形成する三大要素という「音楽」「野球」「アメリカ」を掛け合わせた意欲作。全328ページには「好き」が充満している。「好き」は強い。「好き」は人の心を動かすことができる。

 

 カルロス矢吹『日本バッティングセンター考』(双葉社、2022年)も野球ファンの心を鷲づかみにする一冊だ。全国津々浦々のバッティングセンターを訪ね歩き、オーナーに直撃取材を敢行しながら、バッティングセンターの歴史とその存在意義を描いていく。

 ほとんどの人々にとって、バッティングセンターはどうでもいいことかもしれない。しかしそんな場所にも、魂を燃やし続ける人々がいる。丹念な取材でそのような小さき声を拾い、世に放つことの尊さを噛み締める。

 初めて快音を響かせたあの日の両手の感触が甦るとともに、再びコインを投入して初球を待つドキドキを再び体感したくなる。無数の軟式ボールが転がる自由な空間が、無性に愛おしくなる快作である。

 

 今年も新型コロナの蔓延は止まらず、私も秋には1週間の自宅療養を余儀なくされた。その間、夢中になって読み進めたのが細田昌志『沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社、2020年)である。筆者の「これを書き残さずに死ねるか」という情念や切実さが全編を覆い、ページをめくる手が止まらなくなる。

 「格闘技本」かと思って読み始めると、いい意味で期待は裏切られる。舞台は政財界や裏社会にも及び、筆者の興行界や芸能界への深い知見にも圧倒される。取材と執筆に10年を要したという。その長き歳月に思いを致す。取材対象は難しい方々ばかりだ。著者がそれらの困難を丁寧に、時には豪快に乗り越え、こうして出版された奇跡に感謝する。

 

 熱量においては福留崇広『昭和プロレス 禁断の闘い「アントニオ猪木対ストロング小林」が火をつけた日本人対決』(河出書房新社、2021年)も凄まじい。スポーツ紙の記者である著者は、とにかく当事者に会いに行く。万全の準備をした上で、浮かび上がった疑問を本人にぶつける。問いかける者の熱情が対象の胸を打ち、真相が明かされる。よきノンフィクションはその蓄積で完成されていく。真っすぐに取材を続けることの重要さを思い知る。

 そして小林も猪木も天国へ旅立った。もう話を聞くことは叶わない。だからこそ、聞けるときに聞いておくことの大切さを痛感する。それでもこの一冊をひもとけば、小林も猪木も生きている。昭和49年の蔵前国技館の喧騒が脳内に浮かび上がってくる。これだから、読書という営みは最高の娯楽であるのだ。

 

 エッセイ集ではふかわりょう『ひとりで生きると決めたんだ』(新潮社、2022年)を読むことに幸せを感じた。嫉妬するぐらい文章が上手い。「重箱の隅に宇宙を感じる」「誰もが素通りする場所で足を止め、ゆっくり眺めることが『使命』」と記すふかわの眼差しは実に面倒くさく、人間味にあふれ、温かい。

 自身を「敏感中年」と称し、「人生は弱火で」と呼びかける。そんな同世代の48歳が生き馬の目を抜く芸能界で独特のポジションを築きあげ、日々を美しく生きようとする姿勢が眩しく映る。私は私で、それなりに優しく生きていこうと思い、胸いっぱいになってページを閉じた。

 本は凄い。一冊に携わる、心ある出版人の息吹を感じながら、2023年も過ごしていきたい。本を広げれば、増えた通勤時間の28分は、楽しさへと変わる。

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執筆者プロフィール
加藤弘士 1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。水戸一高、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスクを経て、2022年3月現在はスポーツ報知デジタル編集デスク。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のメインMCも務める。著書に『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)。
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