クールでクレイジーでファンタスティックだからね――球場に「音」が戻ってきた

執筆者:加藤弘士 2023年3月12日
タグ: 新型コロナ
球場のにぎわいが、選手にも観客にも力を与えてくれる(写真はイメージです)( David / Pixabay

 コロナ禍で封印されてきたプロ野球の声出し応援が復活した。不要不急と言われても、やはり応援はナマに限る。長くプロ野球の担当記者を務め、シダックス時代の野村克也監督を描いた『砂まみれの名将 野村克也の1140日』の著者が、応援の至福を再確認する。

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 今から10年前、私が埼玉西武ライオンズの担当記者をしていた頃の話だ。

 米国出身のある外国人選手が、夏休みに両親を日本に招くと明かしてくれた。日本への旅行は初めてだという。観光の計画を立てる中で、彼は鼻息荒くこう言うのだった。

 「両親には、千葉マリンスタジアムのロッテ戦をぜひ見せたいと思っているんだ。あの統率の取れたライトスタンドの応援は最高にクールでクレイジーでファンタステックだからね。きっとビックリすると思うよ」

 プロ野球担当として日常的に眺めていたロッテの応援は、実は日本が世界に誇るポップカルチャーであると、初めて気づいた。ロッテだけではない。12球団それぞれに趣向を凝らした個人応援歌、チャンステーマがある。ファンの祈りにも似た想いが込められたメロディーはスタジアムを覆い、独特の色へと彩っていく。メジャーリーグにはない、日本プロ野球独自の文化だ。

 大切なものに気づくのは、いつも失ってからである。2020年3月、未知のウイルスによる恐怖が日本列島を覆っていった。球場に鳴り響くトランペットの生音と、熱き声援は専門家から「飛沫感染リスク高」と判定された。荒ぶる音色は「不要不急」の名のもと、スタジアムから消えた。

声援が力を与えてくれた

 あの2020年シーズンは、それでもやりきったことに意義があるのだと思う。各球団は試行錯誤を繰り返し、120試合を戦い抜いた。開幕は6月19日。7月9日まで無観客だった。7月10日からは5000人上限、9月19日以降は収容人員の50%上限と緩和されたが、記憶に残るのは開幕当初、無観客試合の味気なさだ。

 興味深い事象は、あるにはあった。記者はネット裏から試合を見ることができたが、マウンドに立つ投手の独り言が鮮明に聞こえた。「えー、今の反応しないんだ!」。ピッチャーは、こんなにも喋りながら仕事をするものなのかと知った。打者の「ブルン」というスイング音もしっかりと耳に入ってきた。それまでは球場の歓声にかき消されていたが、プロの力強さを再認識した。

 それでも寂しさが上回った。ある選手がふと漏らした、こんな言葉が忘れられない。

 「僕はプロですから、無観客でも勝利に向かって100%、全力でプレーします。でもね、100%なんです。お客さんの応援は、これを120%や200%にしてくれる。自分でも驚くような力が湧き上がり、限界を超えられるんです。よくヒーローインタビューで、『みなさんの声援のおかげで打てました!』とか言うでしょ。あれってリップサービスでも何でもない。真実なんですよ。お客さんも一緒に戦っている。貴重な戦力なんです」

声出しNGで発明された新たな応援スタイル

 あの頃の応援団にもできることがあった。横断幕にメッセージを掲出することだ。中でも福岡を拠点に活動する西武ライオンズの応援団「博多激獅会」のそれは、忘れられない。

 「博多激獅会」は不思議な応援団である。活動範囲は福岡に限らない。全国津々浦々、西武の応援となればどこにでも出撃し、たった一人でも活動を行う。その存在は1軍キャンプ地の宮崎・南郷や2軍キャンプ地となる高知・春野、あるいは北海道・函館オーシャンスタジアムなどでも発見できた。圧巻はオフの期間、大阪で開催されたパ・リーグ6球団のチアリーダーによるダンスフェスにも参戦していたことだ。西武を応援できるなら、野球でなくてもよいとの覚悟がにじむ。無償の愛にも程がある。

 あの2020年シーズン。白地に黒で、彼らはこんな文言を書いた。

 「俺達みんな地(野)球人! 無病息災 博多激獅会」

 もはや「西武の応援」の枠を超えていた。野球を愛する人々、いや人類がみんなで助け合って、この難局を乗り越えていこう。そして再びでっかい声で応援歌を歌える日が来ることを願おう。そんな熱い意味が込められていると受け取った。

 今、再びメッセージを見つめる。思えばロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まってから1年が経つ。ロシアの空もウクライナの空も、ここ日本の球場上空と確かにつながっている。

 平和を祈りながらも、何もできない自分がもどかしい。球音こそ平和の象徴である。プロ野球という、いつもすぐそばにある喜びが未来永劫、当たり前に見られることを願わずにはいられない。

 「博多激獅会」は2月18日、西武の2軍キャンプ地、高知の春野で3年ぶりにトランペットを使用しての応援を行ったと聞いた。

 「無病息災」。それに尽きる。生きる上で、他に何を望むというのか。

 できることならこれからも、ずっと掲げて頂きたい、大切なメッセージだと思う。

ライブ配信では得難いものがここにある

 この3年間のコロナ禍で人々の行動様式は大きく変わった。エンタメ界ではライブ配信が充実した。地方在住者はかつて、東京で行われるイベントに休暇を取った上で、往復の交通費と宿泊費をかけて馳せ参じていたことを思えば、便利な世の中になった。我々は3年間、ただ失っただけではない。

 しかしナマの興奮は、不変だ。私がそれを体感したのは今年2月21日、東京ドームで行われたプロレスラー・武藤敬司の引退試合だった。

 興行の開始は午後5時。武藤の登場は夜になるにもかかわらず、最寄りのJR水道橋駅近辺の中華料理店では昼間からアラフォーのおっさんたちが一杯ひっかけて、プロレス談議で盛り上がっていた。みんな一様にいい顔をしている。平日だから有給休暇を取って、わざわざ来たのだろうか。

 武藤が「闘魂三銃士」として華麗なファイトを展開していた90年代前半、私たちはガラスの十代だった。こわれそうなものばかり集めていたが、いつの間にか僕らも若いつもりが年をとった。暗い話にばかり、やたらくわしくなったもんだ。

 いろいろあったけど、みんな生きてきた。60歳の武藤が登場曲とともに花道に姿を現し、リングにゆっくりと歩を進める。その瞬間、場内が一体となってこう叫んだ。

 「ムットウ! ムットウ! ムットウ!」

 マスク越しの声出し応援は解禁されていた。それでも一瞬、いいのかなと逡巡した。いや、考えるよりも先に叫んでしまった。

 スーパースターを目の前に、私たちは平常心でなんかいられない。愛するものへの熱情と記憶がこみ上げて、自然と声が出る。心の奥から湧き上がるような感情を制御できず、その名を叫ぶ。声援を送る。

 スマホの画面越しでは体感できない、懐かしい一体感が耳にこびりついて、離れない。

 さあ、次は野球だ。

 3年分、待ったんだ。もう我慢はいらない。重厚なトランペットの音色に合わせて、愛する選手たちに思う存分、声援を送りたい。その声は、恍惚と不安を胸にバットを握る男へと、確かな勇気を与えることになるだろう。

 クールでクレイジーでファンタステックな12球団の応援団の皆さん、応援しています。いざ、プレイボール。

カテゴリ: スポーツ
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執筆者プロフィール
加藤弘士(かとうひろし) 1974年4月7日、茨城県水戸市生まれ。水戸一高、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後、1997年に報知新聞社入社。2003年からアマチュア野球担当としてシダックス監督時代の野村克也氏を取材。2009年にはプロ野球楽天担当として再度、野村氏を取材。その後、アマチュア野球キャップ、巨人、西武などの担当記者、野球デスクを経て、2022年3月現在はスポーツ報知デジタル編集デスク。スポーツ報知公式YouTube「報知プロ野球チャンネル」のメインMCも務める。著書に『砂まみれの名将 野村克也の1140日』(新潮社)。
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