ファイブ・アイズはいかに成立したか――語られ始めたスパイ秘史
存在自体が秘密だった諜報同盟
ロシア・ウクライナ戦争におけるウクライナの善戦の背景に、アメリカを中心とする諜報同盟の支援が存在する。この諜報同盟とは、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの5カ国で構成される「ファイブ・アイズ」である。5カ国は、安全保障関連情報の共同の収集と共有を定めたUKUSA(ユークーサ)協定に基づき、世界中に通信傍受施設を展開してシギント(電波などの信号情報)収集を行っている。加盟国の協力範囲はシギント共有だけでなく、ヒューミント(人的な情報源から収集された情報)、情報評価、スパイ技術のノウハウ、訓練など幅広い。ヒューミントに関しては基本的に情報共有ではなく情報交換が主体だが、加盟国のシギント機関は事実上一体的に機能しているようだ。間違いなく世界最強の諜報同盟である。
UKUSA協定とは、もともとは第二次世界大戦中に英米が対独および対日通信傍受のために作った情報共有の枠組み(BRUSA協定)を、1946年、冷戦に備えて目的と活動範囲を見直したものだ。実際には英米2カ国間の諜報協力は第二次世界大戦前に遡るが、UKUSA協定締結から数えても70年を超える歴史があり、国際情勢に様々な影響を与え続けている。
だがファイブ・アイズは、存在自体が2010年まで秘匿されていた。今では関連文書が一部公開されているものの、ほぼ3分の2が「黒塗り」である。
こうした中で、2022年秋、ファイブ・アイズの通史、『The Secret History of the Five Eyes: The Untold Story of the International Spy Network (ファイブ・アイズ秘史:国際スパイ・ネットワークの語られざる物語)』(未邦訳)が刊行された。
著者のリチャード・カーバージ氏は2010年から2020年まで『サンデー・タイムズ』紙の安全保障問題特派員を務めたジャーナリストで、テロ対策や防諜が情報機関に与える影響に関する記事を数多く執筆してきた。本書は、2年間の文献調査と、10年がかりで行われた多数の関係者への取材に基づいている。取材対象には、情報機関の幹部や現場の工作責任者、身元を秘匿したスパイ、外交官、警察の捜査官、暗号解読者のほか、イギリスのテリーザ・メイ元首相、デービッド・キャメロン元首相、オーストラリアのジュリア・ギラード元首相、マルコム・ターンブル元首相も含まれている。
本書はファイブ・アイズ各国情報機関の組織や政策よりも人々を重点的に描くことによって、ファイブ・アイズの歴史を浮き彫りにする、魅力的な物語になっている。英情報機関MI6幹部(秘密情報部)でソ連スパイだったキム・フィルビー、ドイツの暗号「エニグマ」を解読したアラン・チューリング、アメリカに孤立主義を捨てさせて第二次世界大戦に参戦させるべく大工作を行った、暗号名「イントレピッド(豪勇)」ことウィリアム・スティーブンソンといった、20世紀のインテリジェンス史によく登場する人物はもとより、暗号解読官としてソ連のスパイ工作を暴いた片田舎の元家庭科教師、ハンガリー動乱のときに唯一ブダペストに駐在していたCIA(米中央情報局)士官、アメリカ大統領選に対するロシア工作の情報をFBI(米連邦捜査局)にもたらしたオーストラリアの外交官、ISIS(「イスラム国」)メンバーとの結婚を志願するイギリスの十代の少女たちをシリアに送り込んだ、カナダ情報機関の協力者など、様々な人物が登場する。
彼らについて詳しくは本書をお読みいただくとして(そのためにはぜひとも邦訳されてほしいが)、ここでは本書に基づき、英米2カ国から始まった諜報同盟がどのように拡大して今日のファイブ・アイズになっていったかを辿っていきたい。
アメリカを圧倒していたイギリスのインテリジェンス
英米の諜報協力は、1938年、英国内の防諜を担当するMI5(保安部)が、ドイツのスパイによる米陸軍の軍事機密奪取計画を探知し、アメリカに通知したことをきっかけに始まった。
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