やっぱり残るは食欲 (22)

始まりはシェルター

執筆者:阿川佐和子 2024年5月9日
タグ: 日本
エリア: アジア
台所は子どもにとっての遊園地(写真はイメージです)

 初めて自覚的に台所へ足を踏み入れたのは、おそらく四、五歳のことだったと思う。

 別に料理に関心が高かったわけではない。人のすることは何でもかんでも真似したい性分だったせいだ。私にとって台所は、いわば遊園地のような魅力溢れる場所だった。母がまな板の上でトントン音を立てて野菜を切っていると、

「佐和子もやる~」

 即座に飛んでいった。

 母が流しの前に立ち、背中を丸めてシャカシャカお米を研いでいると、

「佐和子もやりたい~」

 椅子を持ってきてその上によじ登り、母と同じ背丈になって横からお釜に手を伸ばした。

 そのとき、母が、「じゃ、やってごらんなさい」と私に許可を出したのち、

「お水が澄んでくるまで研ぐのよ」

 そう教えられたのをはっきりと覚えている。おかげで長い年月、母の教えを律儀に守り、毎回、水が透き通るほどになるまで指先で米を洗い、手の腹でもみ、水を替えて五回も六回も研ぎ続けた。ところが、大人になると、各方面から非難されるようになる。

「アガワがお米をいじめてる」

「今のお米はそこまで研がなくてもきれい」

「そんなに研いだら米が潰れてしまいます」

 そしてあるとき、我が母が娘の米研ぎ姿を見て言った。

「ずいぶんしつこく研ぐのねえ」

 私は驚いて振り返った。

「え? 母さんが教えてくれたんだよ。お水が透き通るまで研ぎなさいって」

 すると母は、

「そんなこと言った? とにかくそれは研ぎすぎ」

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
阿川佐和子(あがわさわこ) 1953年東京生まれ。報道番組のキャスターを務めた後に渡米。帰国後、エッセイスト、小説家として活躍。『ああ言えばこう食う』(集英社、檀ふみとの共著)で講談社エッセイ賞、『ウメ子』(小学館)で坪田譲治文学賞、『婚約のあとで』(新潮社)で島清恋愛文学賞を受賞。他に『うからはらから』(新潮社)、『正義のセ』(KADOKAWA)、『聞く力』(文藝春秋)など。
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