対中国「デリスキング」で乱れるEUの足並み

執筆者:熊谷徹 2024年5月20日
エリア: ヨーロッパ
ドイツのショルツ首相は、自国経済を優先して中国への宥和的態度を示した[2021年撮影](C)Alexandros Michailidis/shutterstock.com

 中国経済への依存度を減らすデリスキング(リスク低減)政策をめぐり、自国経済優先のドイツとフランス・欧州委員会の間に足並みの乱れが目立っている。欧州連合(EU)の不協和音は、中国を利しかねない。

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 5月5日、中国の習近平国家主席が5年ぶりに欧州を訪れたが、この訪問は対中政策をめぐる欧州内の亀裂を改めて浮かび上がらせた。そのことは訪問国の選択に表れている。最初の訪問国は、対中強硬派フランス。次いで習主席は、中国と友好的な関係にあるセルビアとハンガリーを訪れた。この両国を選んだことは、「欧州の全ての国が中国に対して厳しい態度を取っているわけではない」という中国のメッセージだ。

EUが打ち出した対中強硬姿勢

 まず習主席はパリのエリゼー宮でエマニュエル・マクロン仏大統領と、欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長と会談した。中心的なテーマの一つは、貿易摩擦である。マクロン大統領とフォン・デア・ライエン委員長は、習主席に対し、割安の電気自動車(EV)や太陽光発電モジュール、鉄鋼などの欧州への輸出量を減らすよう求めた。

 特にフォン・デア・ライエン委員長の舌鋒は鋭かった。同氏は、「我々は自由競争を阻害する輸出政策を見過ごすことはできない。集中豪雨的な輸出は、欧州の製造業界を荒廃させる。世界は中国の生産過剰によって作られた大量の製品を吸収することはできない」と語った。そして同委員長は、「中国の生産過剰と集中豪雨的輸出が終わらない場合は、EUは必要な措置を取らざるを得ない」と述べ、制裁措置を取るという方針を明確に打ち出した。

 焦点は、中国からのEVである。フォン・デア・ライエン委員長は2023年9月13日、「中国が欧州に輸出するEVの価格が、政府補助金により不当に安くされている疑いがある」として、調査を開始したことを明らかにした。欧州委員会の調査の結果が「クロ」となれば、中国で生産されて欧州に輸出されるEVについて、EUが制裁関税を課す可能性が大きい。

 EUによると、中国のEVの平均価格は欧州企業のEVの平均価格よりも約20%低い。EUは「欧州のEV市場で中国車のシェアは現在約8%だが、2年後には15%になる可能性がある」と指摘する。中国のBYDなどは、ドイツを中心に販売体制の構築を着々と進めている。ドイツでEV販売数が伸び悩んでいる最大の理由は、高価格だ。現在ドイツでは約150車種のEVが売られているが、価格が3万ユーロ(510万円・1ユーロ=170円換算)未満の製品は3車種しかない。高い人件費や他社から電池を調達しなくてはならないことが原因だ。BYDはそこに着目して、割安のEVで欧州市場に斬り込むことを狙う。

 ドイツの日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)によると中国政府は2022年までに、バッテリー電気自動車(BEV)を購入する市民のために2000億人民元(約260億ユーロ)の税制上の優遇措置を実施した。ドイツ自動車工業会(VDA)によると、中国の自動車業界は2023年、約1464万台のEVを生産した。だが中国でのEV販売台数は655万台に留まっている。中国のEV市場では、生産能力過剰のために、激しい価格競争が起きてメーカーの収益性が下がっている。このためEUは、中国のEVメーカーが国内でだぶついたEVを将来欧州に輸出することを恐れている。

 しかしEUの制裁関税は両刃の剣だ。中国がEU加盟国からの輸出品に報復関税をかけたり、同国内での欧州企業の活動に何らかの制限を加えたりする可能性があるからだ。

 習主席は、EU側の非難に反駁した。彼は中国国営新華社通信によれば、「中国の生産過剰問題は存在しない。割安の製品は欧州におけるインフレ圧力を引き下げることに役立つ。中国とEUは、貿易によって互恵関係にある」と述べた。したがって中国政府がEVや太陽光発電パネルなどの対欧輸出にブレーキをかけるとは考えにくい。EU・中国の前途には本格的な貿易紛争の暗雲がたちこめつつある。

中国の欧州における橋頭堡セルビアとハンガリー

 実際、習主席がパリ訪問の後に、セルビアとハンガリーに向かったことは象徴的である。中国の一帯一路構想に参加している両国は、いわば中国が欧州に構築した橋頭堡だ。習主席がセルビアを訪れた5月7日は、1999年のコソボ戦争において、米軍が首都ベオグラードで中国大使館を誤爆した事件から25年目にあたった。この訪問には、中国の米国および北大西洋条約機構(NATO)に対する非難と不信感が表れている。セルビアはアルバニア系住民が多いコソボの独立を今も承認していないが、習主席はセルビアの立場を支持する姿勢を表明した。

 またハンガリーは、EU加盟国の中で、欧州委員会の難民政策や対ロシア政策について最も批判的な姿勢をとっている他、中国寄りの立場を最も鮮明にしている。ハンガリーはEUで最初に一帯一路構想に参加した国だ。BYDは2023年12月、ハンガリー南部のセゲドにEV工場を建設する計画を発表した。同社はこの工場で2026年以降、欧州諸国向けに毎年20万台のEVを生産する方針だ。このことは、中国の自動車業界がEUによる制裁関税の導入に備えていることを示す。EU域内に生産拠点を持てば、EUの制裁関税の影響を受けないからだ。この戦略的に重要な工場の建設地として、中国がハンガリーに白羽の矢を立てたことは象徴的である。つまり親中派ビクトル・オルバン首相は、EUの対中制裁が始まる前から、その効果を減衰させることに協力している。ある意味でハンガリーは、フォン・デア・ライエン委員長にとって獅子身中の虫だ。

 EUが中国に対して厳しい姿勢をとっているのは、EVだけではない。EUは、2022年のロシアのウクライナ侵攻によって、重要な資源の輸入について特定の国に依存することの危険を学んだ。このためフォン・デア・ライエン委員長は、中国などEU域外国への依存度を減らすために、2023年に「グリーン・ディール産業計画(GDIP)」を公表。欧州理事会は今年3月にその一環である重要資源法案(CRMA)を承認した。この法案は、EVや太陽光発電設備、風力発電設備などの生産に必要な、レアアース(希土)やコバルト、銅など17の物質を戦略的資源(SRM)と位置づけ、域外の特定の国への依存度を2030年までに65%未満に減らすことを加盟国に義務付ける。

 また今年2月に欧州議会と経済閣僚理事会が合意したネットゼロ産業法案(NZIA)によって、EUは太陽光発電、原子力、風力発電、水素生産、蓄電などに関する設備の域内調達率を、2030年までに少なくとも40%に引き上げることを目指している。EUはこの2つの法案によって、中国からの製品や原材料に対する依存度を下げようとしている。いわばデリスキング戦略の一環である。

ショルツ首相が訪中で示した宥和的姿勢

 ところがEUのデリスキング政策に水を差すかのような態度を取る国が現れた。それがドイツだ。マクロン大統領とフォン・デア・ライエン委員長が習主席に対し厳しい態度を示したのに対し、EU最大の経済パワーの首相が、中国に対して宥和的な態度を見せた。

 ドイツのオラフ・ショルツ首相(社会民主党=SPD)は今年4月14日から16日まで、中国を訪問した。彼は1年半前にも北京を訪れ、G7加盟国としてはコロナ禍発生後初めて中国の土を踏んだ。実はショルツ首相が、一国に3日間続けて滞在したのは、中国が初めて。これらの事実には、彼がいかに中国との関係を重視しているかが表れている。

 ショルツ首相は今回の訪中にBMWやメルセデスベンツなどドイツの大手メーカーの社長たちを同行させた。そして習主席や李強首相との会談では、両国間の経済関係を拡大させることに力点を置いた。デリスキング政策や人権問題にはほとんど触れなかった。彼の態度は、中国との貿易や投資を重視したゲアハルト・シュレーダー元首相やアンゲラ・メルケル前首相と極めて似ていた。ドイツ政府は2023年に中国戦略を初めて公表し、中国を「パートナー、競争相手、そして社会システムをめぐるライバル」と位置付けて、戦略的に重要な製品や原材料については中国への過度な依存を減らすデリスキング政策をとると明記した。ショルツ首相が北京で見せた態度は、この中国戦略と矛盾する。

 実はドイツの自動車メーカーは、EUが中国からのEVに制裁関税をかけることを警戒している。世界の自動車業界で、ドイツのメーカーは世界で最も中国への依存度が高い。フォルクスワーゲン・グループなど大手メーカーが世界で売る車のほぼ3台に1台は中国で売られている。彼らは、EUが中国製EVに制裁関税をかけた場合、中国での生産活動などに悪影響が出ることを恐れている。このためショルツ首相もEUが中国製EVに制裁関税をかけることに反対している。

 ドイツ連邦統計局によると、独中間の2023年の貿易額(輸出額と輸入額の合計)は2544億ユーロ(43兆2480億円)。中国は8年連続でドイツにとって最大の貿易相手国だったことになる。ドイツで直接的・間接的に中国ビジネスに依存している就業者の数は、約100万人にのぼる。ドイツはロシアのウクライナ侵攻以来深刻な景気後退に悩んでいる。2023年のドイツの実質GDP(国内総生産)成長率はマイナス0.3%と、G7で最低だった。このためショルツ首相は、「自国経済ファースト」を打ち出さざるを得なかったのだ。

ショルツ訪中で減殺された対中国の「梃子」

 ドイツの論壇では、「ショルツ首相は今回の訪中で、中国ビジネスを重視するドイツの大手企業の意向を代弁した」という見方が有力だ。つまり習主席は、ショルツ氏の訪中を通じて、EU最大の経済パワー・ドイツがデリスキングについて真剣でないことを確信したはずだ。その意味で、パリでマクロン大統領とフォン・デア・ライエン委員長が習主席に対して示した対中強硬姿勢は、会談が始まる前から効果を削がれていた。

 実はマクロン大統領は、ショルツ首相をパリでの習主席との会談に招待していた。しかしショルツ首相は「他の日程との兼ね合いで困難」として断った。中国で宥和的態度を見せたショルツ首相は、マクロン大統領とフォン・デア・ライエン委員長とともに習主席と顔を合わせることを避けたのだろう。エリゼー宮で習主席から、「あなたは北京で私に対し、独中経済関係を深めたいと言ったではないか」と指摘されると、ショルツ首相の面目はつぶれる。ショルツ首相がパリでの会談に参加しなかったことも、ドイツとフランス・EUの間の歩調の乱れを示唆する。

 不動産不況や若年失業率の増加、内需の減退に悩む中国は、約5億人の人口を持つEU市場を必要としている。その意味でEU加盟国がもしも団結すれば、中国の行動に影響を与えるための「梃子(レバレッジ)」を持つことができる。だがドイツの態度は、EUが一枚岩ではないことを世界中に示した。今回ドイツ政府が自国経済を優先して、中国に宥和的な態度を示したことは、EUがこの梃子を利用する可能性が減ったことを意味する。習主席にとって、今回の訪欧は「EU与し易し」という印象を与えたに違いない。

カテゴリ: 政治
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執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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