パブリックトイレから考える「都市空間を生きる」ということ

執筆者:藤山真美子 2024年5月19日
タグ: ジェンダー
公共空間においては、そこにいる人たちの性差、ジェンダー、年齢、セクシュアリティー、障がい、経済的状況などが交差した社会であるということ、すなわち「交差性」を理解することが不可欠だ。(VTT Studio / Shutterstock.com)

「トイレ」は生物として根本の営みとプライバシーや安全が密接に関わる場所だ。それが公共空間に置かれるなら、本当に「だれでも使えるトイレ」にする必要がある。性差と交差性の視点を組み込む「ジェンダード・イノベーション」の観点は、社会の公平性にかかわる課題を構造的に考え、都市をアップデートする手がかりを与えてくれる。

* * *

 パブリックトイレは、公共空間の一部であるという位置づけから、すべての人々に開かれた場所であり、誰に対しても利用が保障される必要がある。しかし、近年、社会の包摂性に対する議論が深まる中で、パブリックトイレにおける課題や利用者のニーズは、単純な分類では把握できない広がりを持ち、従来の男女区画をベースとしたパブリックトイレを再考する必要性も徐々に指摘されはじめている。

 多様化する現代社会におけるパブリックトイレの再考は、利用者属性をあらかじめ想定した既成概念による設えでは充分でない場合もある一方で、慣習の安易な変化は利用者の戸惑いへの配慮を欠く結果にもなりうる。パブリックトイレに対する細やかな機能や空間の充足への期待や需要は、時代と共に拡大するが、建築・都市空間には面積的制約や予算的制約が付き物であり、千差万別のニーズを、ひとつのかたちにまとめなければならない難しさがそこには存在する。以下、現代におけるパブリックトイレに必要な視点を考えてみたい。

「都市への権利」

 パブリックトイレは、広義には住宅など個人トイレ以外のトイレを示し、オフィスや学校トイレなど特定の集団が利用するものから、公衆トイレや公共交通機関、商業施設のトイレなど不特定多数が利用するものまであり、幅広い役割を持つ。自宅から一歩外へ出て、公共空間である都市を移動しようとするとき、もしくは都市で活動を行うとき、排泄を支える機能が当たり前に住宅の外に準備され、利用可能であることは、私達の身体の自由な移動や活動を可能にすること、そのものであると言っても過言ではない。

 このようなパブリックトイレを含む、都市を構成する様々な要素を利用する権利は、“The Right to the City”とも呼ばれ、2016年に開催された「住宅と持続可能な都市開発に関する国連会議(Habitat Ⅲ)」でも示されている。都市化の社会的価値を支える“The Right to the City”とは、都市そのものをコモンズ(共有地)と捉え、すべての人々、特に社会的少数派が、都市の資源、サービス、商品への平等な機会とアクセスを持つべきであることを意味する1

 誰もが当たり前に使用可能な共有空間において、わざわざこのような宣言が必要とされる背景には、都市計画や建設の過程で、政治、経済、社会、文化等に起因した、時代ごとの意思が空間に反映されるからに他ならない。計画された空間は、“誰か”によって生産された風景であり、すべての人にとっての当たり前という“The Right to the City”の絶対的客観性は、計画と実態の公平で絶え間ないフィードバックによってのみ、更新しながら持続される。

都市環境と交差性(インターセクショナリティ)

 The World Bank(世界銀行)は、都市環境に未だに存在する脆弱性へのアプローチとして、2020年に「HANDBOOK FOR Gender-Inclusive Urban Planning Design」を示している2。同ハンドブックでは、現状の都市が、女性、少女、セクシュアル・マイノリティ、ジェンダー・マイノリティ、障がい者に対する以上に、異性愛者、健常者、シスジェンダーの男性に対して巧く機能していることを挙げ、都市計画決定に関わる者の画一性がもたらす社会構造の再生産が影響を与えてきたことを指摘している。そして、今後の都市計画にジェンダー・インクルージョンの視点を含め、都市空間の公平性をめざす、計画上のガイドラインを示している。

 このような、公平性に不足していた視点を、新たな社会の展望に繋げようとする方法論的取り組みとして、「ジェンダード・イノベーション」が挙げられる。ジェンダード・イノベーションとは、科学・技術分野において、性差と交差性(インターセクショナリティ)の視点を組み込んでいくことで、科学、保健・医療、工学、政策、実践においてイノベーションを実現しようという概念であり、建築設計や都市計画のプロセスも対象として挙げられる3

 ジェンダード・イノベーションは、2009年にスタンフォード大学でプロジェクトがスタートした。その後、欧州委員会や米国国立科学財団が研究とイノベーションへのジェンダー視点の推進をめざすなど、研究や開発を社会の新たな価値創造に繋げようとする方法論として注目されている。

 いずれの取り組みも「ジェンダー」が標題として使われているが、内容を具体的に読み進めると、交差性の視点が根幹にあるということが分かる。交差性とは「ジェンダー」課題も内包する、広範かつ難解なキーワードであるが、差別や不利益が、単純で単一の分類では定義できない複雑性を持つことを示す用語である。つまり、交差性の視点とは、すべての人々が、性差、ジェンダー、年齢、セクシュアリティー、障がい、経済的状況等が様々に交差した社会的立場を持つことを認識し、差別や不利益の問題を構造的に理解しようとする枠組みである。

 交差性が重要視されていることは、あらかじめ想定される利用者属性のような、既成概念によるカテゴリーに依拠した空間の創出手法では、社会の将来を考える計画に不十分であることの指摘に他ならない。つまりパブリックトイレの今後においても、交差性への理解は重要な視点であり、利用者のカテゴリーだけで議論するのではなく、多様な利用者にとって生理的・心理的ハザードが最小化された空間のあり方を考える必要がある。

交差性から見るパブリックトイレの男女区画と男女共用トイレ

 では、日本におけるパブリックトイレの変遷から、交差性について考えてみたい。日本におけるパブリックトイレは、商業施設などを筆頭に民間施設におけるパブリックトイレの改善が進み、後に男女雇用機会均等法の施行やバリアフリー法制定などの行政による法整備と共にパブリックトイレ全般の充実が図られてきた。

 しかし、長年、生物学的男女に分けた利用者数を基に、排泄回数上、適切な衛生器具数に準じた建築計画学基準を参考として設計が行われてきたこともあり、性差、年齢、障がいの有無に対する整備は充実した一方で、ジェンダー、セクシュアリティーの課題については、設計者による現状把握や空間的配慮に委ねられ、パブリックトイレ全般が一律に細やかな配慮を持っているとは言えない現状がある。例えば、小さな子供を連れた性別の異なる親子での利用、性自認の問題で従来の男女別トイレに抵抗がある人の利用、異性による介助を受けている人の利用などは、利用者個々の対応に委ねられ、社会的にはやり過ごされてきたとも言え、交差性の観点からは、パブリックトイレの不十分な現状と新たな課題が見えてくる。

 近年、これらの新たな課題に対して、男女共用トイレが各所で提案されたが、慣習の急激な変化は、従来のトイレに慣れ親しんだ利用者の混乱を招いた事例もあった。交差性とは、すべての人々が個々の社会的立場を持つことを構造的に理解しようとするものであり、トレードオフを容認するわけにはいかない難しさがある。

 実際、国内におけるパブリックトイレ空間の快適性への動きは1995年頃からとされるが、パブリックトイレにおける4k(暗い・臭い・怖い・汚い)等の改善プロセスでは、多くの利用者調査や実態調査が行われ、当時要望が多かったものが男女区画であり、現在に至る4。男女共用トイレの提案では、主に女性や子供に対する安全面への懸念等が指摘されるが、これも交差性の観点から見れば、前述の国連会議やThe World Bankの指摘にもあるとおり、未だ女性や子供にとって十分な都市環境ではないことに関係し、トイレを男女共用にすることで起こりうる不利益への憂虞と言える。

多目的トイレ・だれでもトイレ-男女が共用する唯一のトイレ

 飲食店などにおける個室トイレを除き、従来の男女区画をベースとしたパブリックトイレに併設される「多目的トイレ・だれでもトイレ」は、公共空間のあらゆる場所に設置された男女が共用する唯一のトイレである。国内における多目的トイレのはじまりは、車いす専用トイレであった。

 車いす専用トイレが公共空間に登場した当初は、一定程度の広さを有する閉じた個室空間という性質上、排泄等のトイレ以外での利用や犯罪等の懸念が挙げられていた。このため、車いす専用トイレを常時施錠して管理するという対応が各所で行われ、車いす利用者は、トイレ利用の度に管理事務局に解錠を申し出なければならないという不便な状況を抱えていた。

 そのような状況を解決するために検討されたのが、「多目的トイレ・だれでもトイレ」であり、従来の車いす対応トイレに、高齢者や乳幼児対応等の機能を付加するとともに、「多目的・だれでも」という名称に変更することで車いす利用者に限定しない幅広い利用者需要に繋げることが試みられた。これらの結果、利用対象者を増やすことで、衆人環視によるトイレ環境形成を誘導することができ、適切な利用状況に繋げていったとされる5

 現在に至るまで「多目的・だれでもトイレ(以下、多目的トイレ)」の普及は続いているが、性差、ジェンダー、セクシュアリティーの課題など、多様な課題を抱える利用者にとっての受け皿ともなってきた状況が調査等で指摘されている6。筆者は、このような「多目的トイレ」の歴史や現状を知る中で、多目的トイレの柔軟性・適応性は、インクルーシブなトイレ環境形成のヒントになるようにも思えていた。しかし、近年、多目的トイレは、健常者も含めた様々な利用を促した結果、使用頻度が増え、本来の目的であった車いす利用者等の円滑な利用を妨げているという点で、新たな課題になっている。

 この課題に対処するため、国土交通省が2021年に示した「高齢者、障害者等の円滑な移動等に配慮した建築設計標準」の改正では、重度の障害、介助者に配慮したバリアフリー設計等に関する考え方・留意点の充実7を進めることが示され、多機能便房の機能分散化や個別機能を備えた便房の適正利用の推進、案内表示の追加が推奨されている8。しかし、利用者分類に基づく設計基準の精細化によって、あらかじめ想定された利用者属性である車いす利用者・高齢者・障がい者・乳幼児保護者などへの利用改善が期待される一方で、計画上想定されない課題を抱えた利用者は、精細化されたトイレの利用に戸惑わないだろうかという懸念もある。

 また、性差、ジェンダー、セクシュアリティーの課題を抱える利用者の一部にとっては、細分化した案内表示は利用を躊躇するハードルにもなりうる難しい問題である。想定される利用者属性の課題を分化して解決することも必要であるが、同時に、多目的トイレが都市環境で担ってきた空間の在り方や利用者の経験を検証し、多目的トイレというひとつのかたちが複数の課題を担っていた包摂的な空間の可能性を、新しいトイレの提案に発展させる視点も重要ではないだろうか。

パブリックトイレを考えることは、都市を生きること

 都市地理学を専門とするレスリー・カーンは、著書『フェミニスト・シティ』で、今後の都市空間における公平性の更新において、交差性への理解が、あらゆる課題を持つ個々人の連帯に繋がる重要性を指摘すると共に、都市の更新に、新規計画は必然ではなく、私たちが街を生き・育んできた方法を学び、実践することでも成し遂げられると指摘している9。つまり、現代におけるパブリックトイレを考える上で、新しいかたちの提案も必要であるが、計画と実態の絶え間ないフィードバックや、誰しもが日常的に経験するトイレ難を、既存の都市環境の中でどうやってサバイバルしたかという実践の共有も重要になると考える。

 排泄とは、人が生きる証しでもあり、都市で生きるには必ず排泄の場所が必要となる。しかし、都市環境は、合理化・高度化の中で形成されてきた背景から、ものごとが細分化・単純化される側面が未だにあることも否めない。排泄という生物としての基本的な営みさえ、“誰か”によって整理され、計画されるのが都市である。複雑なものを安易に単純化せずに、かつ多様な利用者にとって生理的・心理的ハザードが最小化された空間のあり方は、私たちの都市に新たな魅力と包摂性を与えてくれるのではないだろうか。決して一元化できない複雑な交差性への視座は、準備された都市に生かされることを享受するだけではなく、建築や都市という連続的な空間を自ら生きるための相互理解や寛容の醸成も含めた両輪によって、新たな展開を導くのではないかと期待する。

 

1 The Right to the City and Cities for All, HabitatⅢ Policy Papers, 2016

https://habitat3.org/documents-and-archive/preparatory-documents/policy-papers/

2 HANDBOOK FOR Gender-Inclusive Urban Planning Design, The World Bank, 2020

https://documents1.worldbank.org/curated/en/363451579616767708/pdf/Handbook-for-Gender-Inclusive-Urban-Planning-and-Design.pdf

3 Gendered Innovations, Stanford University, お茶の水女子大学ジェンダード・イノベーション研究所(日本語版運営)

https://genderedinnovations-ochanomizu-univ.jp/what-is-gendered-innovations.html

4 ディテール第238号,彰国社,P50-51,2023,『オールジェンダートイレのあり方を考える』小林純子

5 今を映す「トイレ」,彰国社,P07-13,2018,『ユニバーサル・デザインの視点から見たトイレの変遷』川内美彦

6 『オフィストイレのオールジェンダー利用に関する意識調査報告書(公開用資料)』, オフィストイレのオールジェンダー利用に関する研究会(編), 国立大学法人金沢大学・コマニー株式会社・株式会社LIXIL, 2019.05
https://iwamoto.w3.kanazawa-u.ac.jp/Report_on_Office_Restrooms_for_All_Gender_Use_all.pdf

7 国土交通省報道発表資料(令和3年3月16日) https://www.mlit.go.jp/report/press/house05_hh_000868.html(閲覧:2023.03.14)

8 改正の中では、『高齢者障害者等用便房(バリアフリートイレ)の表示は、「多機能」「多目的」等、利用対象とならない方を含め、誰でも使用できるような名称ではなく、利用対象及び個別機能を表示するピクトグラム等のみで表示する、又は機能分散がなされている個別機能を備えた便房であれば、主な利用対象者を明確にする名称やピクトグラム等で表示する工夫を行う』との記載があり、誰でも使用できるような名称を避け、利用対象者を明確化する必要性が示されている。

9フェミニスト・シティ』レスリー・カーン,東辻賢次郎訳, 晶文社, 2022

カテゴリ: 社会
フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
藤山真美子(ふじやままみこ) お茶の水女子大学共創工学部人間環境工学科准教授。専門分野は、都市・建築デザイン、デザイン工学。九州大学大学院芸術工学府芸術工学専攻修了後、建築設計事務所勤務。東北大学工学研究科都市・建築学専攻助教などを経て、2021年にお茶の水女子大学に着任。2022年より、お茶の水女子大学ジェンダード・イノベーション研究所兼担。ジェンダード・イノベーション研究所では、従来の都市・建築デザインを、交差性(インターセクショナリティ)の視点から改めて検証することで、包摂性の高い空間の可能性を模索することを目指し活動を行なっている。現在は「インクルーシブなトイレ環境の形成に関する研究」を進めている。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top