医療崩壊 (86)

「魚は頭から腐る」を地で行く韓国の医師大規模スト、エリート劣化は日本も同じ

執筆者:上昌広 2024年5月8日
タグ: 韓国
エリア: アジア
若手医師の大量離職により閑散としたソウルの病院受付 (C)Luke W. Choi/shutterstock.com
先進国最低レベルの医師不足にある韓国で、医学部の定員増が打ち出されたことから研修医の9割が職場離脱、医学部教授3000人超が辞表を出す大混乱が発生した。エリート叩きで人気取りを狙った政権の思惑もあるようだが、多くの国民は医師の利権確保に冷めた目を向けている。この患者視点と国際感覚の欠落は、日本の医療界にも共通する問題だ。

 韓国での研修医の集団ストライキが世界中で話題となっている。我が国のマスコミは勿論、4月4日、米『ニューヨークタイムズ』紙も長文の解説記事を掲載した。なぜ、韓国でこんなことが起こったのだろうか。本稿では、その背景について解説したい。

10万人当たり医学部卒業生数はOECDで「下から3番目」

 韓国と日本の医療状況は似ている。韓国の合計特殊出生率は0.78(2022年)で、日本の1.26(2022年)を下回る。高齢化率(65才以上人口の割合)は17.5%(2023年)で、2030年には24%に達すると考えられている。日本の29.1%(2023年)ほどではないものの、高齢化の進行は深刻だ。

 高齢化が進めば、医療需要は増加する。ところが、韓国の医師数は少ない。人口1000人あたりの医師数は2.6人(2022年)で、経済協力開発機構(OECD)加盟国の平均(3.7人)を大幅に下回る。トルコ(2.2人)、メキシコ(2.5人)、チリ(2.9人)、ポーランド(3.4人)と並ぶ医師不足国の一つだ。

 少子高齢化により、地方都市は衰退する。大都市圏に人口が流入し、地方の過疎化が進む。韓国の人口は約5160万人だが、約960万人(約19%)がソウル市内に住んでいる。日本の人口に占める東京23区の人口の割合は約8%だから、韓国の一極集中は日本の比ではない。

 医師偏在は深刻で、ソウルの人口1000人あたりの医師数は3.5人で、東京都とほぼ同レベルだ。一方、ソウル近郊の京畿道は1.8人と約半分だ。

 韓国の地方都市の医師不足を改善するには、医師の絶対数を増やすしかない。ところが、当面、改善されそうにない。それは韓国の医師養成数が少ないからだ。OECDの「Health at a Glance 2023」によれば、韓国の人口10万人当たりの医学部卒業生数は7.3人で、イスラエル(6.8人)と日本に次いで下から3番目だ。トップのラトビア(27.3人)の約26%に過ぎない。

 ちなみに、日本は7.2人で、下から2番目だ。高齢化率を考えれば、日本の方が事態は深刻だが、そのような議論は国内からは全く出ない。「医師は不足していない。偏在が問題である」という厚労省の見解を踏襲しているのだろうが、国際感覚からはかけ離れている。

 財務省は4月16日に財政制度等審議会財政制度分科会に提出した資料の中で、医学部定員について、「大幅な削減が必要になる」と主張した。こうなると、最早、道化としかいいようがない。

日韓に共通する「既得権者の拒否権」

 話を韓国に戻そう。韓国は医師養成数を増やさねばならなかった。韓国の医師養成は、我が国同様、政府の統制下にあるが、政府は無策を続けてきた。医学部定員は1998年以来増員されていない。

 勿論、政府も問題は認識していた。2022年5月までの文在寅(ムン・ジェイン)政権では、国立公共保健医療大学の新設が検討された。日本の厚労省にあたる保健福祉部が管轄する医師養成機関で、学費は無償だ。その代わり、医師偏在を是正するため、医師免許取得後は10年間、公務員として地方勤務が義務付けられる。

 この制度は、日本の自治医科大学や医学部地域枠と類似しており、参考にしたのだろう。医師不足・偏在が問題となれば、日韓ともやることは同じだ。ただ、この程度で、韓国の医師不足が改善されることはない。

 医療大学新設の議論は、コロナパンデミックが始まったことにより中断した。コロナ対応で手一杯で、大学新設どころではなかったのだろう。ところが、コロナ流行で韓国の医療は逼迫し、地方の医療過疎の深刻さが改めて浮き彫りとなった。

 このため、2023年度の大学入試から医学部定員を拡大する議論が始まり、現状の定員数(約3000人)から500名程度を増員することが議論されたが、強力な政治力を有する大韓医師協会などの医療関係団体との合意には至らず、医学部定員は据え置かれた。このあたりも、医学部定員増には必ず反対する日本医師会の対応と似ている。韓国の国民のことを考えれば、医師養成数は増やさねばならない。ところが、韓国では既得権者が拒否権を持つ。このあたりも日本とそっくりだ。

現場は大混乱、過労死が疑われる死者も

 議論が迷走する中、2月、韓国政府は、来年度から医学部定員を3058人から5058人に増やし、2035年までに最大で1万5000人に増員する方針を打ち出した。これで人口10万人あたりの医学部卒業生数は4.7人となり、OECD加盟国で下から10番目程度となる。そして、この調子で増員を続ければ、2035年にはOECD加盟国でトップとなる。ただ、これは無理筋だ。1年間で、前政権と比べ4倍の増員を一気にやるのは不可能だ。

 当然のごとく、医療界は猛反対した。韓国各地の研修医が一斉に辞表を提出し、3月上旬には研修医全体の9割にあたる約1万2000人が職場を離脱した。

 研修医が勤務するのは、基本的に地域の基幹病院だ。韓国では、基幹病院の勤務医に占める研修医の割合は約4割である。研修医が一斉に職場を離れたことで、医療現場は大混乱に陥った。

 残された医師たちには大きな負担がかかる。3月24日には、研修医に代わり診療業務を担っていた釜山大学病院に勤務する40代の眼科教授が脳出血で死亡した。韓国メディアは、「教授は先月の研修医集団離脱後に外来診療、当直、救急患者の手術まで担当し、周囲に疲労を訴えていたという」(韓『朝鮮日報』3月25日)など、過労死の可能性を報じている。3月25日、3000人を超える医学部教授が集団で辞表を提出し、さらに混乱は深まった。医学生たちも、一斉に医師国家試験の受験拒否や休学を表明するなど、このような流れに追随した。

 韓国の医療現場は大混乱に陥ったが、政府は方針を撤回しなかった。2月末には、ストライキなどを行った医師の自宅に警告書類を送り、3月から3カ月間の免許停止などの懲戒処分を実施した。そして、3月20日には、従来の方針どおり、来年度からソウル以外の地方の医学部の定員を約2000人増員する方針を決定したことを発表した。

政権による「人気取り」の側面もあるが……

 では、韓国の国民は、この事態をどのように見ているのだろうか。知人の韓国メディアの記者に聞くと、「どっちもどっちです」という。

 今回の医学部定員増が、尹錫悦(ユン・ソンニョル)政権の政治的パフォーマンスであることは明らかだ。韓国では、4月10日に総選挙(一院制の国会議院選挙)が行われ、与党の「国民の力」は現有議席を割り、最大野党「共に民主党」が過半数を上回る議席を獲得した。

 尹政権の人気取りのため、「医師がスケープゴートにされた」(知人)というのが真相らしく、「来年度から4割の定員増と無茶苦茶な要求を突きつけて、あえて反発させようとした可能性すらある」という。

 我が国で、医学部定員増が閣議決定されたのは2009年だ。この年、自民党の支持率は低迷し、総選挙で民主党に政権が交代する。当時、医療崩壊が国民的関心事項で、日本医師会の反発があったとしても、支持率アップのため、当時の麻生太郎政権には魅力的な政策に映ったのだろう。

 医師は社会的なエリートだ。多少、冷遇しても、国民から反発されることはない。特に韓国では、この傾向が顕著だ。2021年のOECDの統計によれば、韓国の医師の平均年収は19万2000ドル(購買力平価ベース)で、ドイツやオランダを抑えてトップだ。これこそが、研修医や大学教授が集団で反発しても、尹政権が医学部定員増を強行した理由だろう。

 最終的に、この問題は4月19日に、韓国政府が、国立大学総長らの建議を受け入れるという形で決着した。増員分を割り当てられた国立大学が、大学別増員分の50~100%の範囲内で自律的に2025年度の新入生を募集するというものだ。政府は、「医学部定員2000人増員」方針を事実上撤回した。今後、どの程度増員されるかは、世論次第だ。総選挙が終わり、ほとぼりが冷めれば、お茶を濁すだけではなかろうか。

患者視点と国際感覚の欠如は日本も同じ

 なぜ、韓国は迷走するのか。それは、一連の議論に患者視点と国際的な感覚がないからだ。患者の命を盾に、医学部定員増に反対するなど、医師としてあってはならないし、他国と比較した場合、韓国の医師不足は明らかだ。

 実は、この状況は、日本も全く同じだ。いや、医学部定員に関する対応では、日本の方が酷いだろう。

 問題は、なぜ、日韓の医師が患者視点と国際感覚なしで、これまでやってこられたかだ。それは、その必要性がなかったからだ。日韓の医療体制は政府の厳格な統制下にある。前述のように医学部定員数は、国家が厳密に管理し、医療保険の点数は、政府やその関連団体が決定する。これまで医師は増員されず、高額な保険点数が保証されてきた。医師にとって恵まれた護送船団方式だったといっていい。

 これは、欧米を中心とした医師のあり方とは違う。医師は弁護士や聖職者と並ぶ古典的プロフェッショナルだ。ギリシャ・ローマ時代から、時の権力と様々な軋轢を経験し、独自の職業規範を形成してきた。チェ・ゲバラをはじめとして、医師に国家権力と戦う革命家が多いのは、このような歴史を反映している。

 日韓の医師が、西欧とかけ離れたメンタリティを持つようになったのは、その近代史に負うところが大きい。日韓の医療の雛形を作ったのは明治政府だ。近代化を急いだ明治政府は、東京帝国大学をはじめとした帝国大学を設立し、国家、つまり政府にとって有為な人材を育成しようとした。日本の植民地となった韓国も、その影響を受けた。

 法学部と医学部が中核を担ったのは、欧米の大学と同じだが、その教育の根底にあるのは古典的プロフェッショナリズムではなかった。教会や世俗権力と対立しても、自らの顧客を守ることを使命とする価値観は育たなかった。日韓は、欧米先進国から大学という教育システムは取り入れたが、その精神は受け継がなかった。彼らが最重視するのは、国家の意向だ。このあたりのメンタリティは、開発独裁の後進国のリーダーに近い。

 この方法は、日韓が「後進国」の間はうまくいった。だからこそ、明治維新や漢江の奇跡を実現できたのだろう。

 ただ、今となっては弊害が大きい。医師を含め古典的プロフェッショナルといわれる職種は、社会のエリートだ。彼らにこそ、国家権力と対峙してでも、社会を改革してもらいたい。ところが、日韓ともに、その気配はない。韓国の医師のストライキも、社会の支持を集めているとは言い難い。多くの韓国の国民は、医師の利権確保だと冷めた目で見ている。今回の韓国の医師ストライキは、韓国のエリートたちの退廃を象徴している。魚は頭から腐るというが、まさにその通りだ。

 これは他人事ではない。日本の医師に対する国民のイメージも全く同じだろう。我々は、韓国のケースを他山の石として、自らのあり方を反省すべきである。

カテゴリ: 医療・サイエンス
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執筆者プロフィール
上昌広(かみまさひろ) 特定非営利活動法人「医療ガバナンス研究所」理事長。 1968年生まれ、兵庫県出身。東京大学医学部医学科を卒業し、同大学大学院医学系研究科修了。東京都立駒込病院血液内科医員、虎の門病院血液科医員、国立がんセンター中央病院薬物療法部医員として造血器悪性腫瘍の臨床研究に従事し、2016年3月まで東京大学医科学研究所特任教授を務める。内科医(専門は血液・腫瘍内科学)。2005年10月より東京大学医科学研究所先端医療社会コミュニケーションシステムを主宰し、医療ガバナンスを研究している。医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」の編集長も務め、積極的な情報発信を行っている。『復興は現場から動き出す 』(東洋経済新報社)、『日本の医療 崩壊を招いた構造と再生への提言 』(蕗書房 )、『日本の医療格差は9倍 医師不足の真実』(光文社新書)、『医療詐欺 「先端医療」と「新薬」は、まず疑うのが正しい』(講談社+α新書)、『病院は東京から破綻する 医師が「ゼロ」になる日 』(朝日新聞出版)など著書多数。
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