【Explainer】ガザをめぐる米大学デモは「ベトナム戦争時代」の再現か
[ワシントン発/ロイター]世代間の深い断絶、大学キャンパスでの反戦運動、そして近づくシカゴでの民主党大会――こうした現状を見ると、今起きているイスラエルによるガザ攻撃に対する抗議活動とベトナム反戦運動を重ねて考えたくなる。
5月4日は、オハイオ州のケント州立大学で1974年に銃撃事件が起きてから54年目の日だった。キャンパスでの反戦活動を鎮圧すべく投入されたオハイオ州兵が13人の学生に発砲して4人が殺害されたことから、全米に抗議運動が広がるきっかけとなった。
この2週間ほど、全米各地の大学で起きている反戦運動は、当時とは規模も動機も違う。学生たちの気質は変わり、民主党も変化した。だが、現職のジョー・バイデン大統領(民主党)とドナルド・トランプ前大統領(共和党)の接戦の再現となりそうな今年の大統領選では、大学の抗議運動が政治的影響力を持つかもしれない。
死者数
1970年までに、ベトナム戦争はすでに5年続いていた。共和党の大統領リチャード・ニクソンはカンボジアへの戦線拡大を発表していた。1970年の終わりまでに、180万人近い若きアメリカ人男性が入隊し、3万人近くが死亡していた。
一方、ガザ地区におけるイスラエルの戦争に米軍は参加していない。だが、多くのアメリカ国民がガザで親族を失っている。イスラエルによる今回のガザ攻撃は、昨年10月7日、イスラム組織ハマスの武装勢力がイスラエルを攻撃したことがきっかけだった。
ハマスによればイスラエル人1200人が死亡し、253人が人質となった。それに続くイスラエルによる爆撃では、35000人以上が犠牲になり、ガザ地区230万人の住民の大半が自宅を追われたとパレスチナの保健当局は言う。
全米各地の10を超える大学で、学生たちはデモを行ったり野営をしたりして、イスラエルのガザ攻撃に抗議している。この戦争を支持する企業と関わるのをやめるよう、学生たちは大学当局に要求している。警察はこれまでに2000人以上の抗議活動参加者を逮捕した。
戦争への支持の変化
ガザ地区の犠牲者の数が増え、破壊の様子が広く報じられるにつれ、世論の風向きは変わった。ギャラップ社の世論調査によると、イスラエル軍の攻撃への支持は、昨年11月の50%から今年3月末には36 %まで落ちた。
4月にイスラエルへの追加支援140億ドルを決めた法律に署名したバイデン大統領への批判は高まっている。最近の民主党予備選挙では、政権に不満を持つ数十万の有権者が「支持者なし」と抗議票を投じた。
バーニー・サンダース上院議員(民主党)も、ベトナム戦争への怒りが高まる1968年に不出馬を決めたリンドン・ジョンソン元大統領の例をあげながら、ベトナム戦争を引き合いに出した。「イスラエルとガザでの戦争に対するバイデン大統領の考えは、若者だけでなく、民主党支持者の多くを疎外しているのではないかと、とても心配している」。サンダースはCNNの取材にそう語った。
規模、範囲、激しさ
1970年までに、反戦運動は規模と激しさを増していた。集会によっては数万、数十万の人を引き寄せたとプリンストン大学のケヴィン・クルーゼ教授は言う。当時は徴兵制がある中で、多くの学生にとってベトナム戦争は他人事ではなかった。
ガザ攻撃を巡るデモがこれまでのところ概ね平和的であるのと違って、当時の反戦運動は時に暴力を伴ったとクルーゼは言う。「ケント州立大学銃撃事件の前夜、学生たちはキャンパス内のROTC(予備役将校訓練課程)の建物を焼き討ちにした。芝生にテントを張って座り込んでいる学生の集まりとは違っていた」。
ケント州立大学での事件は、アメリカ全土のみならず遠く離れた地での反戦運動にも新たな火をつけ、オーストラリアのメルボルンでは10万人の集会が開かれた。事件の数日後には首都ワシントンDCでも10万人近い人々が集結した。
規模では比べものにならないが、4月初めの学生たちの抗議に対してコロンビア大学が取った措置が連帯デモを誘発したとクルーゼは言う。そして、コロンビア大学が夏休みまで静観していれば、学生の抗議活動は自然消滅していたかもしれないと付け加えた。
鈍感さとヘルメット
ガザ攻撃への反対運動が始まった頃、バイデンは言った。「抗議する権利はある。だが、混乱を起こす権利はない」。このコメントが新たな反発を呼んだ。大統領は鈍感で、在米アラブ人社会やイスラム教活動家が「イスラエルへの支援には問題がある」と指摘したことに、ホワイトハウスは耳を貸さなかったと疑われたのだ。
1970年のケント州立大学での銃撃事件からほどなく、ニクソン大統領はホワイトハウスに建設労働者の一団を招いた。……
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