ファンと舌禍と経営と 人間を通して掘り起こす「プロ野球」起死回生の深層
山室寛之『2004年のプロ野球 球界再編20年目の真実』(新潮社)

近鉄・オリックス合併、史上初のスト、楽天の新規参入、ソフトバンクによるダイエーホークス買収――セ・パ2リーグの枠組みが大きく揺らいだ「史上最大の危機」には、今なお大きな謎が残されている。『2004年のプロ野球 球界再編20年目の真実』(山室寛之著/新潮社刊)は、当事者による初証言と極秘文書の発掘で定説を一新する、「記者魂」の奇跡と呼びたくなるようなドキュメントだ。
そして「史上最大の危機」の渦中であがき抜いた企業人や選手たちの姿を通じて、本書は時代そのものの姿を見せてくれると、東大野球部出身のニュースキャスター・大越健介氏は指摘する。不透明な未来に不安を抱く私たちに、確かな足場になり得る現在地を示すという。
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山室寛之氏は、東京・代々木上原の粋な居酒屋で、わずかな肴と共にゆっくりと日本酒を味わう人だ。その語り口は終始穏やかである。帰りの電車の中もほろ酔いのまま、野球の話となるとお互い尽きるところがない。
ところがふと、ある種の気迫を、その温厚な表情の中に垣間見ることがある。読売新聞社会部記者として、長く一線で活躍した人だ。「生き馬の目を抜く」と言われる世界を走り続けた人が持つ、独特の気迫だ。
本書『2004年のプロ野球 球界再編20年目の真実』は、バブル崩壊後の経済低迷の中、プロ野球のオーナー企業が生き残りの道を探してあがき、あるいは暗躍した2004年という象徴的な年を、5年の歳月をかけ、綿密な取材と膨大な資料の読み込みによって浮き彫りにした、山室氏渾身の一作である。
カオスの中で浮上した「10球団1リーグ制」構想
この年、人気球団・巨人が属するセ・リーグに対し、経営難が目立つパ・リーグでは、近鉄とダイエーというふたつの球団の「身売り」話が、ほぼ同時並行で進んでいった。
6月、オリックスによる近鉄の合併構想が明らかになり、事態は大きく動き出す。近鉄球団の消滅による「セ6・パ5」の2リーグ制といういびつな形が具体的に想起されたことで、球界はバランスを失って一気に迷走を始めた。
そこに、西武の堤義明オーナー(以下、肩書は当時)による「パでもう1組の合併が進行中、実現後はパの4球団をセに加えてほしい」との哀訴。巨人の渡邉恒雄オーナーが賛意を示し、10球団による1リーグ制への流れができたかに見えた。
しかし再編劇は混乱を極める。球団数の現状維持を求める選手会が史上初のストに突入するという完全なるカオスである。そして事態が行き詰まる中、パ6球団目の座に楽天が名乗りを上げた。また、「もう1組」の合併の瀬戸際まで行ったダイエーホークスの買収を、こちらも新規のソフトバンクが決断した。
結局、終わってみれば「セ6・パ6」の体制は維持された。しかし、近鉄とダイエーに代わり、IT大手である楽天とソフトバンクが新たに加わったことは、日本の産業構造の重心の変化を先取ったかのような再編劇だったと言える。
オーナーたちの苦悩にも寄り添う
このノンフィクションに登場する数多くの企業人たちに対し、ときに山室氏は優しい視線を向ける。経営優先の立場から、大事な公共財としての野球の価値をないがしろにする悪玉。そんなふうに捉えられがちだったプロ球団のオーナーたちだったが、山室氏は騒動の渦中を奔走する企業人たちの苦悩にも寄り添っている。
近鉄本社社長・山口昌紀は、1980年、近鉄が日本一を逃した現場に、会長の秘書部長として随行していた。試合後、監督の西本幸雄に投手起用の疑問点をぶつけ、一喝されたエピソードを持つ。捕手の梨田昌孝には、盗塁阻止のための独特の捕球術を聞きだしたりもした。
「山口は自著で(中略)『私は野球も含めスポーツ大好き人間』『スポーツを心から楽しんでいる』と書いた。そうでなければ敗戦直後の西本に質問したり、梨田から選手の“秘技”を聞きだしたりはしないだろう」と、著者は苦渋の決断に踏み切った経営者の、ひとりの人間としての側面に温かな光を当てる。
渡邉恒雄の「千慮の一失」
その山口は、「球団を手放すためのカギ、キーマンはナベツネさんだ」と静かにつぶやくのが常だったという。そう、2004年の球界再編劇は、読売新聞社主筆にして、「球界の盟主」巨人軍のオーナーである渡邉恒雄の存在を抜きには語れない。
読売政治部の出身であり、政財界に太いパイプを持つ渡邉は、メディア界のみならず、プロ球界でも「ドン」の称号が似合う人物だ。社会部長などを経て1998年から3年間巨人軍の球団代表も務めた著者の山室氏自身、因縁浅からぬものがある。
そして、こうして拙い書評を書いている私(大越)は、2020年から2021年にかけて放送されたNHKの特集番組「独占告白・渡辺恒雄」でインタビュアーを務めた。実は、番組の中で球界再編問題を取り上げるにあたり、山室氏に渡邉評を語ってもらったことがある。少し脱線するが、番組で紹介された山室氏のインタビューの一部を引用する。
「オーナーになってからは、野球の細かいことは分からないと。ただし野球協約だけはちゃんと勉強しないとやっていけないんだということで、盛んにその協約を読んでいましたね。全部そらんじているというか、まあそらんじていたと言ってもいいでしょうね。(中略)他球団の人たちはたぶん、太刀打ちできないと思いますね」
渡邉オーナーは博覧強記の人であり、人心を掌握するのがうまかった。だが、野球愛とは無縁で、その強烈な個性は周囲に強圧的な印象も与えた。
2004年7月のオーナー会議で10球団による1リーグ制移行が現実味を帯び、選手会やファンからの反発が強まる中、渡邉が記者団に口にした「たかが選手」という言葉が激しい集中砲火を浴びた。これが、2リーグ制維持へと形勢が一気に反転していくきっかけとなる。
山室氏は、のちにオーナー辞任に追い込まれた渡邉の発言を、本書の中で「千慮の一失」と表現している。緻密かつ豪胆、そしてどこか憎めない渡邉が、球界再編の荒波のエンジンとなり、そして自ら翻弄されていく姿は、このノンフィクションの核心をなす部分と言っていい。
「結局は、野球を知らない人間には任せてはおけない」
そして本書の魅力の最たるものは、激動の中に身を置いた企業人たちの懸命の日々を追う中で、やはり野球の魅力はグラウンドにあるのだと気づかせてくれるところだろう。
ダイエーホークスの後戻りできない自壊は、2003年シーズン後、小久保裕紀(現ソフトバンク監督)を巨人に無償譲渡したことから始まったと山室氏は見る。球団社長が、球場での不適切な行動を指摘されたことで小久保に対して「逆切れ」し、あろうことか看板打者を巨人に放出してしまったのだ。経営の論理どころか、私怨によって選手心理やファン心理を踏みにじった罪の大きさは計り知れない。
一方、渡邉の舌禍事件が尾を引く中で行われた2004年オールスターの第2戦では、メジャー帰りの新庄剛志(現日本ハム監督)が果敢なホームスチールを成功させるなど大活躍。MVPを獲得すると「これからはパ・リーグです!!」と声を張り上げ、パ・リーグ各球団のファンの結束を高めた。
山室氏は、本書の中にしばしばこうした現場目線のストーリーを差し込んでいる。最も大事にすべきは野球を愛する心なのだ。「結局は、野球を知らない人間には任せてはおけないということですよね」。以前、代々木上原で日本酒のグラスを傾けながら山室氏から聞いた言葉である。
20年後に放たれる特ダネ
最後に、本書にうかがえる、新聞記者特有の視点にも触れておきたい。山室氏は、プロ球界の大きな岐路となった2004年を検証するにあたり、当時の膨大な記事を読み込んでいる。節目となるタイミングでどの社が特ダネを出し、どの社が追いかけたのか。各社の見出しの打ち方に見える取材の自信の度合いなど。私もNHKの記者時代、他社の書きぶりを大いに気にしながら生きてきただけに、その点は極めて興味深い。
そして、山室氏は本書の中に、自ら数多くの特ダネを放っている。そのひとつが、「『新規参入』20年目の新真実」と銘打たれた第6章に紹介されている。
2004年9月、「状況を変えるにはどこかが参入表明して、パが6に復帰するほか策はない」と考えたひとりが、当時、読売新聞グループ本社社長室次長兼法務部長を務めていた山口寿一(現同グループ代表取締役社長、巨人軍オーナー)だった。知人を介して楽天の三木谷浩史社長と「お昼のハンバーグをいただきながら」会談、電光石火の早業で参入への道を開いた。その描写は精緻である。一カ所からの情報だけでなく、複数のソースから確認を取り、原稿化する。山室さんの記者魂が伝わってくる一節だ。
プロ球界を舞台に渦巻くさまざまなプレーヤーたちの思惑、さらには挑戦と失敗を丹念に追うことで、時代そのものが見えてくる。不透明な未来に不安を抱く今だからこそ、少し時間を巻き戻すことで自分たちの現在地を確認したい。そのためにも、熟読したい作品である。

◎大越健介(おおこし・けんすけ)
ニュースキャスター 1961年新潟県生まれ。東京大学文学部卒。大学在学時は硬式野球部に所属。NHKに入局し、政治部記者、ワシントン支局長を経て、『ニュースウオッチ9』のキャスターを務めた。現在テレビ朝日『報道ステーション』のメインキャスター。著書に『ニュースキャスター』(文春新書)『ニュースのあとがき』(小学館)など多数。