「自称ジャーナリスト」に騙されないために知っておきたいジャーナリズムの原則

ビル・コバッチ、トム・ローゼンスティール(澤康臣・訳)『ジャーナリストの条件 時代を超える10の原則』

執筆者:石戸諭 2024年8月9日
タグ: 日本 アメリカ
ジャーナリズムで大事なことは、いかに取材を尽くして事実を集め、適切に価値づけ、適切に伝えられているかという一点だ (C)Pixel-Shot/shutterstock.com

 ジャーナリズムの危機が叫ばれて久しいが、原因はどこにあるのか。米メディア界の精鋭たちが真剣な議論を重ね、いつの時代も変わらないジャーナリズムの「10の原則」を導き出し、今後のジャーナリズムとメディアのあるべき姿を提示したのが『ジャーナリストの条件 時代を超える10の原則』(ビル・コバッチ、トム・ローゼンスティール著/澤康臣訳)だ。ジャーナリズムを学ぶための基本書として世界中で読まれ、何度も改版して内容を磨き上げている。今回翻訳された最新第四版では、インターネットやSNSの普及によるメディア環境の劇的な変化も捉え、日本のメディアにとっても示唆に富む。毎日新聞社からBuzzFeed Japanを経て、今はフリーとして活躍し、『ニュースの未来』の著作もある石戸諭氏が、本書の読みどころを解説する。

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 フリーランスとして独立したばかりの頃である。誘われるがまま東京大学で非常勤講師の仕事を2年ほど引き受けることになった。「年の後半、ジャーナリズムをテーマに100分の講義を週1回担当してほしい。細かいテーマ設定は任せるが、例年マスメディアの実務経験者が担当しているので現場の話をぜひ盛り込んでほしい」――そんな依頼だった。

 講義のために資料を読んでいて驚いたことがある。

 ネットも含めたマスメディア志望の学生もいるだろうと思ったので、現代社会におけるニュースメディアやジャーナリズムとは何かを考えられるような一冊を相応の時間をかけて探してみたが、なかなか見つからなかったことだ。

 一冊、あるいは一本にまとまった優れたジャーナリストによる優れた作品はたくさんある。継続的につづけ、社会にインパクトを与えた優れた報道もある。古典もあれば、今後の規範となるような最先端の報道もある。しかし、使い勝手がよく、教科書にふさわしい一冊がなかなか見つからない。

 日本のジャーナリズム論の多くは記者の手柄話や成功に至るまでの取材の方法に¬焦点を当てたものが多く、しかも「古き良き過去の話」が多かった。メディア論として優れている本、時代を超えた良書はあるが、今度は現場の話やインターネットメディアの現状までカバーはできなくなってしまう。

 あれこれ悩んだ結果、最終的に私は一から作っていた講義ノートをもとにニュースの基本形とは何か、インターネット時代の「良いニュース」とは何かを考察した『ニュースの未来』(光文社新書)という本を書くことになった。

 もし、講義を受け持っていたとき本書『ジャーナリストの条件 時代を超える10の原則』(2021年版)が出ていれば、私はこれほど苦労することはなかっただろう。この一冊を紹介し、読んでおけば事足りるからだ。本書の完成度はそれほどに高く、少なくともニュースメディアで仕事をしている現役、ニュースを仕事にしようと思うプロを目指す層、あるいはSNSなどでマスメディアの報じ方を批判したいという人たちもまず読む必要がある。

 ちなみに当時も2001年発行の初版が『ジャーナリズムの原則』(日本経済評論社)という邦題で出ることは出ていたのだが、まだ勃興したばかりのインターネットメディアについての記述がやや薄く、時代の経過を感じさせた。

 今回の改訂版においてこれらデメリットは完全に解消されており、初版から貫かれている原則がより説得力を持って立ち現れている。

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「不偏不党」や「中立」はジャーナリズムの原則ではない

 10の原則について全体は本書をあたってもらうとしよう。私がいくつか強調したいのは、日本ではことさら特別な扱いを受けている権力監視は第5の原則にようやく登場するくらいで、マスコミ報道批判でも繰り返し出てくる「不偏不党」や「中立」は言葉すら出ていないことだ。反対派と賛成派、中立派の意見を等分に並べましょうとか、それぞれの候補の見解を同じ時間きっちりと報じる、そうすれば中立が保たれたというような安直な判断はジャーナリズムの原則とは何の関係もないのだ。

 私なりにまとめると、10の原則から導かれるジャーナリストの仕事、その最大の意義は民主主義に貢献することにある。ニュースに接した人々、主権者が何かを考える材料を得て、ある事象への理解を深めていくために必要なのだ。

 想起するのは『ジャーナリズムの起源』(別府三奈子著、世界思想社)に記されていた、ちょうど100年前の話である。1924年、米国新聞編集者協会会長のキャスパー・ヨストは協会が定めた倫理綱領を広めるために、『ジャーナリズム原理』という著書を出した。

 ヨストによれば、「news」という言葉はサンスクリット語に起源があり、「人間が思考するために必要な糧」を意味するという。そのうえでヨストは、ジャーナリズムを「news」と「views」(論説)を兼ね備えたものであると定義し「『newsに対する論説での批評、出来事に対する意味解釈、情報と関連づけての見解、事実に基づいた意見などをあわせて提供することで、読者の理解や読者自身の意見形成を手助けすること』といった説明を加えている」(別府前掲書)。

 この100年、ジャーナリズムの役割は実は大きく変わっていない。だが、担い手の一部であるジャーナリストの今はどうだろうか。10の原則の中から、私が特に大切だと思う原則を二つ抜き出して、もう一度確認しておきたい。

ジャーナリズムを他のコミュニケーションと分ける「規律」

 第三原則:ジャーナリズムの本質は、事実確認の規律にある

 第四原則:ジャーナリズムの仕事をする者は、取材対象から独立を保たなければならない

 事実確認の規律はジャーナリズムの根幹である。なぜなら「結局は事実確認の規律が、ジャーナリズムと、エンターテイメントやプロパガンダ、フィクション、芸術とを区別する(p.174)」からだ。

 コバッチらが指摘するのは、たとえばエンタメは何が最も人の気を引くかに重きを置き、プロパガンダは事実を恣意的に用いるか、でっち上げるかして自分たちを信じさせることに使う。フィクションは「真実と呼ぶもの」を感じ取れるようにシナリオを作り上げるという点でジャーナリズムとは違う。

 ジャーナリズムはそれらとは異なり、「起きたことを正しく捉えるためにどんなプロセスを経るか」を重視することでオリジナリティを獲得する。彼らは議論をさらに推し進め、ジャーナリズムをより強くするために規律を保つ方法、「報道の科学における知の原則」を導き出す。それが以下の5つだ。

・もともとなかったものは決して付け加えない

・読者・視聴者を決して欺かない

・自分の方法と動機をできるだけ透明に開示する

・自分自身の独自の取材に依拠する

・謙虚さを保つ

 さて、ここでSNS空間を想起してみよう。権力に立ち向かっているかのようなポーズをとり、自分が確認できていない真偽不確かな情報に寄りかかり発信している「ジャーナリスト」がいないだろうか。事実確認の規律が緩んでいる記事を発信して悦に入る「ジャーナリスト」がいないだろうか。そして、政治的立場が同じであるがために彼らこそ「真のジャーナリスト」であると賞賛している人々がいないだろうか。そんな人々には謙虚さのかけらもなければ、規律もない。

 ジャーナリストが自分の信念を持つことも、特定の問題について考えを持つこともいい。だが、ニュースは全体像を歪めてはいけないし、事実確認しないまま流すことは許されない。

 事実確認の規律は「ジャーナリズムを他のコミュニケーションの分野とは違うものにし、ジャーナリズムが存続するための経済的な力ともなる」が、規律を緩めてしまった瞬間に一部の「ジャーナリスト」を自称する人々が拍手喝采と収益を集め、ジャーナリズム全体の経済的な力を弱める地盤沈下が始まるものだ。

 ジャーナリズムは一部のコミュニティや一部の政治的主張を持つ人々の奉仕者ではない。取材対象からは独立していなければいけない。ジャーナリストがどのような価値観を持つことも自由ではあるが、人々に物事を知らせること以上に踏み込んではいけない。それ以上の踏み込みは運動家の領域であり、一歩間違えばプロパガンダを広める仕事となんら変わらない職業観へと接近する。

「ジャーナリストの目標は、市民としての問題を社会みんなで考えるようにすることだ。政治活動家や宣伝家の目標は、信じさせること——決まった政策や政治的結論を支持するよう、人々を得心させたり操作したりしようとすることだ(p.293)」

 現代のインターネットは「政治活動家」の主戦場であり、自分を信じさせようという言説はあらゆるところで広がり、分断も生まれる。ある程度、政治に興味を持っている人のほうが極端なオピニオン、果ては陰謀論に流れていくリスクが高い。分断の問題は、対立陣営を打ち負かすコミュニケーションにばかり時間を割かれてしまうことにある。ジャーナリストがこうした分断に加担し、当事者になってしまうようなことがあってはいけないのだが逸脱は目立つように思う。

重要なのは説得的な表現

 最近、朝日新聞のウェブサイトや紙面を中心に科学的根拠やデータが大切か否か、エピソード主体の記事は必要かどうかという話題が上がっていた。ジャーナリズムの原則に照らし合わせれば、問いは極めてクリアになる。結局のところ大事なのは、いかに取材を尽くして事実を集め、適切に価値づけ、適切に伝えられているかという一点だ。

 取材によって集めなければいけない事実の中にはケースによっては科学的なエビデンスもあれば、適切な方法によって得られたデータもある。現場を歩くことによってしか手にいれることができない人々の語りもある。エピソードが主体であっても規律ある事実確認を経て、ニュースの全体像が過不足なく記事の中に提示され、なぜそれがニュースなのかが切に読者や視聴者に伝わっていれば大きな問題はないはずだ。

 ジャーナリズムには科学的な方法に親和性がある記事もあれば、その記者でしか得ることができない、つまり再現性の低い記事もあるということに過ぎない。いずれも大事なのは説得的な表現になっているかだ。批判が出る時点で、単に下手な記事だったということを自覚しなければいけないのだが、新聞社はこうした自省ができるだろうか。

 本書の始まりは1997年に25人のジャーナリストが集まって議論を始めたところにある。20回超の公開討論で、実に300人を超すジャーナリストが意見を語り、その要素をアカデミズムの世界に生きる研究者たちとも連携しながら第一版につなげた。このような議論の日本版も必要になってくるだろう。

 いずれにせよ「原則さえ踏まえれば」という但し書きはつくが、ジャーナリズムの世界は思われているよりはるかに自由だ。その自由さを、原則に反してはいるが人気を集める自称ジャーナリストたちが、原則外れの記事を量産するジャーナリストがこぞって狭めていないか。さしあたり、今の日本で問われているのはそこである。

ビル・コバッチ 、トム・ローゼンスティール著 、澤康臣訳『ジャーナリストの条件 時代を超える10の原則』(新潮社)
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  • ◎石戸諭(いしど・さとる)

記者、ノンフィクションライター。1984年、東京都生まれ。立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年、BuzzFeed Japanに移籍。2018年に独立し、フリーランスに。2020年、「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。主な著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)『ルポ 百田尚樹現象:愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)『ニュースの未来』(光文社)『視えない線を歩く』(講談社)『東京ルポルタージュ』(毎日新聞出版)がある。

  • ◎ビル・コバッチ Bill Kovach

『ニューヨーク・タイムズ』ワシントン支局長、『アトランタ・ジャーナル・コンスティトゥーション』編集者、ハーバード大学ニーマン・フェローシップ運営代表を歴任。憂慮するジャーナリスト委員会の創設者・議長を務めた。

  • ◎トム・ローゼンスティール Tom Rosenstiel

アメリカ・プレス研究所専務理事、「ジャーナリズムの真髄プロジェクト」の創設者・理事、憂慮するジャーナリスト委員会副議長を務めた。『ロサンゼルス・タイムズ』メディア批評担当、『ニューズウィーク』議会担当キャップを歴任。4冊の小説のほか、ジャーナリズム論を中心に多数の著作があり、ビル・コバッチとの共著に『インテリジェンス・ジャーナリズム』(ミネルヴァ書房)、『ワープの速度』(未邦訳)がある。

  • ◎澤康臣(さわ・やすおみ)

ジャーナリスト、早稲田大学教授(ジャーナリズム論)。1966 年岡山県生まれ。東京大学文学部卒業後、共同通信記者として社会部、ニューヨーク支局、特別報道室などで取材し「パナマ文書」報道のほか「外国籍の子ども1万人超の就学不明」「戦後憲法裁判の記録、大半を裁判所が廃棄」などを独自調査で報道。「国連記者会」(ニューヨーク)理事、英オックスフォード大学ロイター・ジャーナリズム研究所客員研究員なども務めた。著書に『事実はどこにあるのか』(幻冬舎新書)、『グローバル・ジャーナリズム』(岩波新書)など。

カテゴリ: IT・メディア
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石戸諭(いしどさとる) 記者、ノンフィクションライター。1984年、東京都生まれ。立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年、BuzzFeed Japanに移籍。2018年に独立し、フリーランスに。2020年、「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞。主な著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)『ルポ 百田尚樹現象:愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)『ニュースの未来』(光文社)『視えない線を歩く』(講談社)『東京ルポルタージュ』(毎日新聞出版)がある。
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