日米の違いを押さえて読むべき世界標準のジャーナリズム書
ビル・コバッチ、トム・ローゼンスティール(澤康臣・訳)『ジャーナリストの条件 時代を超える10の原則』
ジャーナリズムの危機が叫ばれて久しいが、原因はどこにあるのか。米メディア界の精鋭たちが真剣な議論を重ね、いつの時代も変わらないジャーナリズムの「10の原則」を導き出し、今後のジャーナリズムとメディアのあるべき姿を提示したのが『ジャーナリストの条件 時代を超える10の原則』(ビル・コバッチ、トム・ローゼンスティール著/澤康臣訳)だ。ジャーナリズムを学ぶための基本書として世界中で読まれ、何度も改版して内容を磨き上げている。今回翻訳された最新第四版では、インターネットやSNSの普及によるメディア環境の劇的な変化も捉え、日本のメディアにとっても示唆に富む。政策とメディアを専門とし、最近では「エモい記事」批判でも注目を集めた日本大学危機管理学部教授の西田亮介氏が、日米のメディア環境の違い指摘しつつ、本書の読みどころを解説する。
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本書は、アメリカ・ジャーナリズムのオピニオンリーダーの手によって著され、版を重ねてきた500ページを超える重厚なマニフェストの待望の邦訳だ。
ジャーナリズムは科学ではない。規範であり、態度であり、蓄積(歴史)であり、手段である。そしてそうであるからこそ科学とはまた異なる難しさを抱えている。それがジャーナリズムというものだ。
本書前半ではメディア環境と伝統的なジャーナリズム観のすり合わせが試みられ、中盤以後テクニカルな記述が続く。ネットがメディアの主流になり、トランプ米大統領の誕生や本格的な生成AIは登場以前だが「ビッグデータ」と呼ばれていた頃のネットとネット上の言論の状況を踏まえた自由民主主義社会のジャーナリズムの「世界標準」の範を示す。
近年の諸データによればデジタルメディアの台頭が顕著である。Pew Research Centerの2021年の調査によると、アメリカ人の半数弱がソーシャルメディアからニュースを入手しているという1。日本でも携帯電話回線は2億回線を上回り、その多くがスマートフォン。60歳未満層では95%以上がネットに接続し、SNSももはや若者だけのものではなくなった。
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「注釈係」としてのジャーナリズム
しかし、メディアと報道を取り巻く環境が大きく異なる「日本標準」と本書の拠って立つ前提はかなり違う。比べていけば、あまりに当てはまらないことが多すぎて困惑するかもしれない。しかし、だからこそメディア関係者、業界志望者必携といえよう。
ジャーナリストはいまもジャーナリズムの主要な担い手だ。本書によれば、「新しいジャーナリスト」の役割は「注釈係」なのだという(p.58)。注釈係はより具体的には「真実証明係」であり、「理解を助ける人」であり、「目撃証人」であり、「監視犬」(ウォッチドッグ)を主たる役割とする。さらに「情報を集約する者」「コミュニティを作る者」など6つの役割を見出している。
「注釈係」という言葉はかつての「関門係」との対比で用いられている。「関門係」という言葉はメディア論やメディア研究をかじったことがある読者にとっては、「ゲートキーパー」という英語のカタカナ表現のほうが馴染むのではないだろうか。私的利益や市場の利益と公益を峻別する重要な役割を担った。人々が知るべき情報とそうでない情報を人々の信頼を得ながらゲート(関門)を開け締め「できる」(と見なされる)存在だったのである。
だが本書は「新しいジャーナリストがやろうとするのはもう、関門係としての古典的役割、つまり人々が何を知るべきかの判断ではない」とすがすがしいまでに断言する(p.58)。留意すべきは、ここでいう「新しいジャーナリスト」は読者、視聴者との情報の非対称性を前提としていないという点にある。市民やときにはAIも看過できない存在となっているからといえる。それどころか、情報接触手段が多様化したことで、読者や視聴者がジャーナリストを上回る情報を有している可能性すら想定したうえで、改めてジャーナリストの存在理由を提示しているのだ。筆者のいう「注釈係」の意図するところは下記のとおりである(p.58)。
取材相手やテクノロジーと力を合わせ、読者・視聴者の知識を整理し、行動を可能にする。これは単に、ニュース報道に解釈や解説を加えるという意味ではない。そうではなく、もっと独自の、もっと多様な仕事を行うことだ。それらは、ニュースの担い手としてより丁寧に理解することで、もっと優れた形で行えるようになる。
本書におけるこれらの主張は、すでにネットがメディアの主役となった社会におけるジャーナリズムとジャーナリストを念頭に置いていることは明らかだ。ところが、日本はそうはなっていないのである。だから違和が生じる。ネットが中心になった社会におけるジャーナリストの場合、記者個人が重要な存在だ。その記事を誰が書いているかが重要ということだ。
海外ジャーナリズムの残念な実態
読者諸兄姉も耳にしたことがあるかもしれないが、メディアやジャーナリズムの文脈では、しばしば海外のそれらが礼賛される。だが実態は案外そうでもない。政治や現代社会、メディアの問題を専門とするこの書評の筆者は、関連して海外メディアの取材を受ける機会がそれなりにある。インタビューを担当するのは、現地契約の記者(やインターン)であることが大半で、プロパーの社員記者が担当することは滅多になかったりする。
また海外メディアは公開前にインタビュイー(インタビューの受け手)に原稿をチェックさせないのが慣習だ。この点をもって「海外メディアは取材対象から独立していて優れている。それに対して日本のメディアは!」と対比されがちだが、公開された記事を見ると、まったく見当違いの直接引用がなされていることも珍しくないのである。日本語から英語への翻訳というワンクッションを挟む場合には頻繁に認められる。どちらが優れているだろう?
公開前にインタビュイーに確認させた方がクオリティがあがる場合もあるはずだ。なぜこうなっているのかというと、欧米の報道機関ではネットやSNSの台頭以前に、すでにコストカットが進んでいるので「やむを得ない」ということに過ぎない。それゆえ記事のバイネームが「まともな記事」を判断するうえで重要になってくるというわけだ。結局は欧米型ジャーナリズムも環境依存の産物に過ぎないのだ。そのことをなぜか横文字の海外動向が好きな最近のジャーナリストたちは看過しがちである。自分の目とアタマを使ってこそのジャーナリズムのはずだ。
日本の幸せで不幸なメディア環境
それに対して日本はどうか。組織ジャーナリズム、しかも新聞、テレビという2つの伝統的なマスメディアが未だに「主流」を自任できている。日本ではストレートニュースの担い手は今も昔も新聞社であり、放送事業者のままであるし、そのように認識されている。
今でも我々はそれなりの信頼感をもって、新聞(紙)を読むし、テレビを眺めている。我々にとってはそれほど違和はないが、新聞社や放送事業者もネットを主戦場としつつある世界の状況と比べてみればこれはかなり珍しい状況だ。
ある意味幸せなことであり、同時に不幸なことである。前者は信頼できる蓋然性の高い情報基盤(小欄の筆者は最近「トラストな情報基盤」と呼んでいる)を現在でも伝統的なマスメディアが担うことができているという意味であり、後者はまったくと言ってよいほどネットを中心とした報道メディアが存在しないことである。それどころかオピニオンメディアですら安定的に存続できないことが明らかになってしまった。
報道はメディアにとって端的にコスト部門である。支局を配置し、記者を育成し、デスクを置いて情報を精査し、クレーム対応をしなければならず、誤報があれば社会問題になりかねない。日本の「インターネット元年」と呼ばれる1995年以後、何度もネットメディアが試行錯誤されてきたが、本格的なニュース媒体、オピニオン媒体はおろかブログ等のコンテンツを集めてくるアグリゲーションサイトも2010年代後半から閉鎖、統合、規模縮小が相次ぐなどなかなか成功モデルが登場しないままだ。
例えば、かつて人気を博したキュレーションメディア「NAVERまとめ」は2020年9月にサービス終了、ニュースアプリ「SmartNews」は2023年に4割の人員削減をすると報道された。また、2023年には「BuzzFeed Japan News」が「ハフポスト日本版」に統合されるなど、ネットメディアの苦戦が続いている。
2020年代半ばに差し掛かった現在では、既存事業者も日本経済新聞などを除くとネット対応が進まず、売上も減少する一方である。日本新聞協会の調査によると、2022年度の新聞社の総売上高は1.3兆円で、10年前のおよそ2兆円から大幅に減少している2。
報道も影響を受けている。新聞社では支局の閉鎖、記者を中心とする人員削減、コストカットも続き、まるでネットコンテンツと見紛うばかりの、エビデンスや公益性との関連が定かではないナラティブな記事(「エモい記事」)が紙面を飾るなど苦境に立たされている。
「規範のジャーナリズム」から「機能のジャーナリズム」へ
このことは何を意味するのか。日本のメディア環境も大きな転換期にある。私見では伝統的なメディアの信頼性を維持しつつ、新しい時代に適応したジャーナリズムのあり方を模索する必要がある。情報が量的に少なかった時代から情報過剰の時代となり、「取材、速報、告発」という情報量を素朴に増加させることを当然視した「規範のジャーナリズム」から「整理、分析、新たな啓蒙」を視野に入れた「機能のジャーナリズム」が求められているように思われる。
このような課題に対して、日本の諸メディアはまさにこれから進むべき/歩むことができる道を見出していく必要に迫られるはずだが、本書はそのための重要な示唆を与えてくれる。ただし、彼我の差を踏まえつつ日本の現状に即しながらその知見を咀嚼して適用していくことが求められる。
1 About half (48%) of U.S. adults say they get news from social media “often” or “sometimes,” a 5 percentage point decline compared with 2020. More than half of Twitter users get news on the site regularly.(https://pewrsr.ch/2Z9vmwh)
2 日本新聞協会「新聞社の総売上高の推移」( https://www.pressnet.or.jp/data/finance/finance01.php)
- ◎西田亮介(にしだ・りょうすけ)
日本大学危機管理学部教授、東京工業大学特任教授。1983年京都生まれ。博士(政策・メディア)。専門は社会学。著書に『メディアと自民党』(角川新書、2016年度社会情報学会優秀文献賞)、『コロナ危機の社会学』(朝日新聞出版)、『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください 17歳からの民主主義とメディアの授業』(日本実業出版社)など多数。近著に安田洋祐(大阪大学教授)との共著『日本の未来、本当に大丈夫なんですか会議』(日本実業出版社)。
- ◎ビル・コバッチ Bill Kovach
『ニューヨーク・タイムズ』ワシントン支局長、『アトランタ・ジャーナル・コンスティトゥーション』編集者、ハーバード大学ニーマン・フェローシップ運営代表を歴任。憂慮するジャーナリスト委員会の創設者・議長を務めた。
- ◎トム・ローゼンスティール Tom Rosenstiel
アメリカ・プレス研究所専務理事、「ジャーナリズムの真髄プロジェクト」の創設者・理事、憂慮するジャーナリスト委員会副議長を務めた。『ロサンゼルス・タイムズ』メディア批評担当、『ニューズウィーク』議会担当キャップを歴任。4冊の小説のほか、ジャーナリズム論を中心に多数の著作があり、ビル・コバッチとの共著に『インテリジェンス・ジャーナリズム』(ミネルヴァ書房)、『ワープの速度』(未邦訳)がある。
- ◎澤康臣(さわ・やすおみ)
ジャーナリスト、早稲田大学教授(ジャーナリズム論)。1966 年岡山県生まれ。東京大学文学部卒業後、共同通信記者として社会部、ニューヨーク支局、特別報道室などで取材し「パナマ文書」報道のほか「外国籍の子ども1万人超の就学不明」「戦後憲法裁判の記録、大半を裁判所が廃棄」などを独自調査で報道。「国連記者会」(ニューヨーク)理事、英オックスフォード大学ロイター・ジャーナリズム研究所客員研究員なども務めた。著書に『事実はどこにあるのか』(幻冬舎新書)、『グローバル・ジャーナリズム』(岩波新書)など。