「アウシュヴィッツは空から降ってこない」――日常の延長線上にある「悲劇」を知るために最適の書

ヘンリー・オースター、デクスター・フォード(大沢章子・訳) 『アウシュヴィッツの小さな厩番』(新潮社)

執筆者:清水潔 2024年12月18日
タグ: ドイツ
エリア: ヨーロッパ
アウシュヴィッツ第二収容所ビルケナウの「死の門」(写真は筆者撮影)

 死と隣り合わせの過酷な労働を乗り越え、3つの強制収容所を生き延びた少年の奇跡の実話『アウシュヴィッツの小さな厩番』が話題になっている。著者はドイツのケルンに生まれたハインツ・アドルフ・オースター(後にヘンリー・オースターと改名)。幸せな日常が、ある選挙の日を境にゆっくりと変わり始め、やがて山肌を転がり落ちる巨石のようにスピードを増し、ホロコーストにまで至る様を少年の目を通して克明に描いている。ドキュメンタリー番組の取材でアウシュヴィッツを訪れた後、本書を「貪るように一気読み」したというジャーナリストの清水潔氏は、イスラエルが批判されている今こそ本書を読んでほしいという。

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「アウシュヴィッツは空から降ってこない」。

 今年6月、テレビ番組取材のために訪れたアウシュヴィッツでこの言葉の存在を知った。かつて収容されていた人物が発したものだが、正直、最初は私にはピンと来なかった。しかし帰国後に出会った一冊の本によりこの言葉の深意に触れることができた。『アウシュヴィッツの小さな厩番』(新潮社)である。

 著者のハインツ・アドルフ・オースターはドイツの都市・ケルンで生まれ育ったユダヤ人だ。一家はドイツ人として幸せに暮らしていたのだが、1933年、彼が5歳になる年に行われた選挙により社会は変貌していった。ヒトラー政権が誕生し、ラジオからは彼の演説が流れはじめ、鉤十字の赤い旗が配られたという。翌年、ハインツ少年は何かがおかしいと感じる事態に直面する。小学校に初めて登校した日、ヒトラー・ユーゲント(ナチ党の青少年組織)とその下部組織の子どもたちから襲撃を受けたのだ。ユダヤ人学校の生徒を狙ったものだった。

 そして39年にはドイツが第二次世界大戦を巻き起こす。隣国ポーランドへ侵攻し大勢のユダヤ人を迫害していった。ハインツ少年が12歳の時、オースター一家はポーランドに作られた「ゲットー」という収容エリアに強制的に送られる。街の一角を塀で囲みユダヤ人を押し込んだのだ。しかも一部屋に21人が押し込められ、食料は乏しく、伝染病が蔓延した。家も仕事も失った父親は体調を崩して死亡する。そして翌年、ナチス親衛隊が「最終的解決」としてユダヤ人虐殺を加速させるために作った施設が絶滅収容所・アウシュヴィッツだった。ハインツ少年と母親はそこに送られたのだ……。

 はじまりは小さな差別だった。それを権力者が利用し、国民が見逃し、あるいは迎合すれば、あっと言う間に社会は傾き、大量殺人にまで転がっていく。本書を読むと、そのことがよく分かる。

「アウシュヴィッツは空から降ってこない」という言葉はそういう意味だった。

「出口は煙突しかない」

 今も、広大な敷地が広がるアウシュヴィッツ第二収容所のビルケナウ。レンガを積み上げ作られた「死の門」の先には、錆びた線路が延びる広い停車場(ランペ)があった。かつてここにユダヤ人を満載した貨車が次々に到着した。人々の7割以上はホームの先に建っていた火葬場(クレマトリウム)へと直行させられた。労働力にならない子どもはほぼ全員だ。ユダヤ人を部屋へ詰め込むと、天井の穴からチクロンBという毒ガスが入った缶が放りこまれる。隣は遺体を処理する火葬場だった。ここでは「門を入ると出口は煙突しかない……」と囁かれていたという。

 アウシュヴィッツで殺されたユダヤ人の子どもは21万6000人とも言われていると、今回の取材で知った。とてつもない人数である。

 44年8月。ハインツと母親はこのホームに降り立った。「男は右、女は左へ」と振り分けられた。母親はそのままガス室へ。子どもだった彼も同じ運命を辿るはずだったが、たまたま背が高かったため、馬の世話係を命じられる。当時のドイツ軍にとって軍馬は重要で、ユダヤ人の命より大切にされていたという。とりあえず助かったものの、待っていたのは過酷な労働や、極貧の食事という最悪の環境だった。すぐ隣で毎日のように人が死んでいく。一度、銃殺されるグループに入れられマシンガンの掃射を受けたこともあった。ハインツは運良く被弾しなかっただけだ。

 ある日、馬車から落ちたパンを拾ったのをドイツ人将校に見られて、怒鳴られ短鞭で殴られる。絞首刑になるかもしれないと怯えたハインツはドイツ語で必死に謝り続けた。なぜドイツ語ができるのかを問われ「ぼくはドイツ人だからです。ドイツ系ユダヤ人です」と答えた。すると自身もケルン出身だという将校は驚き、周囲を気にして、怒鳴るフリを続けたもののハインツを赦し、最後にはパンとトマトを投げつけてよこした。「この出来事はドイツ人がわたしにしてくれた数少ない人間らしい行為の一つだった」とハインツは記している。差別とはいったい何なのか、考えさせられるシーンだ。

今も昔も変わらない権力者の手口

 ハインツはその後も、収容所を転々とする。列車での移動中にイギリス軍の戦闘爆撃機から誤射されたり、最後は餓死寸前にまで追い込まれるが、ついにドイツ軍は敗北。針の穴を次々に抜けていくような幸運の連続により、彼は生き抜くことができたのだ。

 それにしても改めて驚かされるのが、ホロコーストによる死者が600万人に及ぶことだ。殺された理由は、言ってみれば「ユダヤ人である」ということだけなのだ。第二次世界大戦の最中ではあるものの、実際には戦争と直結しない民間人の殺戮だった。親衛隊はユダヤ人が所持していた家や、金や貴金属などを奪った。果てはガス室から引き出した遺体の指輪や金歯まで抜き取りベルリンへ送り戦費にし、あるいは死者の頭髪を剃ってロープなどに再利用していたという。これではもはや組織的な強盗殺人ではないか。

 ユダヤ人への差別はヨーロッパを中心に戦前から長く続いていた。本書でもその歴史に触れているが、例えば14世紀には「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」などのデマが飛び交い残酷な仕打ちも行われたという。日本の関東大震災時における差別事件と同様の文言に驚かざるを得ない。ヒトラーは、人々の差別感情を徹底的に利用した。第一次世界大戦でのドイツの敗北や賠償金問題、異常なインフレと大恐慌以降の失業者急増など、ドイツが抱える諸問題の原因はすべてユダヤ人にあると話を捏造し演説を続けた。

 ハインツは記す。「独裁者やその他のさまざまなリーダーたちはしばしば、『ほかの集団』(略)による攻撃に曝されていると人々に信じ込ませることによって、自らの地位や権力を増大させる」。つまり、国民に不安を抱かせ、守れるのは強いリーダーだと洗脳し、造反する者は「愛国者ではない」として弾く。それは国民を戦争へと向かわせたい権力者たちが、今でも好んで用いる危険な手法だ。

差別の先にあるもの

 差別からホロコーストへ、ナチス・ドイツを突き進ませてしまった苦い経験から、ユダヤ人に対する偏見や嫌悪意識を「反ユダヤ主義」と呼び、ドイツを含む多く国々で差別を戒めてきた。ところが去年の10月に起こった新たな戦争で様子が変わりはじめている。きっかけはパレチスナのイスラム組織ハマスがイスラエルにテロ攻撃を仕掛けたことだ。しかしイスラエルの反撃はあまりに凄まじかった。ガザ地区への猛攻撃は1年以上も続き、すでに4万人以上が死亡した。死者、行方不明の約半数近くが子どもだという。彼らは「ガザに生まれた」という理由だけで殺されたのだ。この無差別攻撃に対し世界各地から「虐殺だ」という声があがり、デモも起きた。これまでも中東では戦争が繰り返されてきたが、今回のガザ侵攻によって「あのユダヤ人が今度は虐殺する側に……」という批判につながっているようなのだ。

 かつて、リトアニアの外交官だった杉原千畝は、逃げ道を失ったユダヤ人に対して「命のビザ」を発給、約6000人を救った。ところが昨今、その行為に対してまで「こんな残虐なことをするユダヤ人をなぜ救ったのか」という、言いがかりのような声までがネット上に躍るのだ。しかし当たり前だが、当時のユダヤ人=イスラエル軍では決してない。

 アウシュヴィッツの悲劇から80余年。人種や属性で人々を切り分け差別する負の力は、最後は殺戮にまで向かう。あの戦争で人間はそう学習したのではなかったのか。進行中のガザでの虐殺行為はもちろん許されないが、批判のなかに差別意識が紛れ込めば、収拾は遠のき、社会は再び傾いていくだろう。

 アウシュヴィッツは空から降ってこない――。本書を読み、この言葉の深意を今こそ噛み締める時なのではなかろうか。

ヘンリー・オースター、デクスター・フォード(大沢章子・訳)『アウシュヴィッツの小さな厩番』(新潮社)
  1. ◎清水潔(しみず・きよし)

1958年、東京都生れ。ジャーナリスト。新聞社、出版社にカメラマンとして勤務の後、新潮社「FOCUS」編集部記者を経て、日本テレビへ。記者、チーフディレクター、特別解説委員などを努めた。現在、早稲田大学ジャーナリズム大学院非常勤講師。著書に『桶川ストーカー殺人事件――遺言』(新潮文庫)、『殺人犯はそこにいる――隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(新潮文庫、新潮ドキュメント賞、日本推理作家協会賞)、『騙されてたまるか――調査報道の裏側』(新潮新書)、『「南京事件」を調査せよ』(文藝春秋)、『鉄路の果てに』(マガジンハウス)などがある。

  1. ◎ヘンリー・オースター Henry Oster

1928年、ドイツのケルンに生まれる。ウーチ・ゲットー、そしてアウシュヴィッツ、ビルナケウ、ブーヘンヴァルトの強制収容所を奇跡的に生きのびた。戦後、おじを頼ってアメリカに渡り、検眼士として働く。2011年、ケルンから強制移送された2011人のユダヤ人の最後の生き残りとして、かつて二度と戻らないと誓ったドイツを70年ぶりに訪れた。2019年、90歳で死去。

  1. ◎デクスター・フォード Dexter Ford

作家。

カテゴリ: 社会
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執筆者プロフィール
清水潔(しみずきよし) 1958年、東京都生れ。ジャーナリスト。新聞社、出版社にカメラマンとして勤務の後、新潮社「FOCUS」編集部記者を経て、日本テレビへ。記者、チーフディレクター、特別解説委員などを努めた。現在、早稲田大学ジャーナリズム大学院非常勤講師。著書に『桶川ストーカー殺人事件――遺言』(新潮文庫)、『殺人犯はそこにいる――隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(新潮文庫、新潮ドキュメント賞、日本推理作家協会賞)、『騙されてたまるか――調査報道の裏側』(新潮新書)、『「南京事件」を調査せよ』(文藝春秋)、『鉄路の果てに』(マガジンハウス)などがある。
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