カンボジア前首相との私的な会話で陸軍高官を批判
タイの連立政権を率いるペートーンターン・チンナワット首相が、進退を問われている。6月半ば、連立第2党の「タイの誇り党」(以下、誇り党)が離脱を表明し、アヌティン・チャーンウィーラクーン党首(副首相兼内相)以下8名が閣僚を辞任した。他の連立各党は残留したため、連立政権は国会下院の過半数を確保する見通しだ。しかし、政権運営は難航が予想される。国会内の争いに加え、司法が介入したためだ。国会上院は、ペートーンターン首相のフン・セン前首相に対する発言に違憲の疑いありとして首相解任の審理を憲法裁判所へ請求、憲法裁判所は7月1日に訴えを受理し、首相の職務一時停止を決定した。裁判所が違憲と判断した場合、首相は解職となる。
政局のきっかけとなったのは、誇り党離脱の直前にリークされたペートーンターン首相とカンボジアのフン・セン前首相との電話の内容であった。タイとカンボジアの間では、5月末から国境をめぐる対立が激化していた。そのさなかにペートーンターンとフン・センが電話で交わした私的な会話がカンボジア側から流出し、タイ国内で大問題となった。会話のなかでペートーンターン首相が国境防衛にあたるタイ陸軍の幹部を批判し、カンボジアの意向を尊重するかのような発言をしていたためである。この発言が火種となり、タイ国ではペートーンターン首相の辞任を迫る動きが広がりつつある。6月末には、反タクシン派の市民や政治家がおよそ10年ぶりにバンコク都内で集結し、1万人規模のペートーンターン首相の辞任を要求する集会を開催した。
タイ政治を分断する三つの争点
政局の根にあるのは、最大与党として首相を擁するタイ貢献党と、離脱した誇り党との対立である。両者の対立は、タイ政治を分断する三つの争点から読み解くことができる。①タクシン・チンナワット元首相への評価(タクシン派vs反タクシン派)、②軍事クーデタに対する賛否(②民主派vs軍政支持派)、そして③クーデタを許容する現体制への賛否(改革派vs保守派)の対立だ。
タイでは2000年代から政治対立が続いており、タイ貢献党と誇り党とはそのなかで相対する勢力だった。タイ貢献党は、2006年に軍事クーデタで政権を追われたタクシン元首相を実質的首領とする、いわゆるタクシン派である。タクシン失脚後、同派は軍事クーデタに反対する民主派として、軍政を嫌う有権者に支持され選挙の度に政権を獲得してきた。国軍・官僚や王室支持派の市民は、タクシン派を「数を頼みに国王へ挑戦する者」と見なした。彼らは街頭デモや司法の力でタクシン派の排除を繰り返し、2014年には再び軍事クーデタでタクシン派政権を打倒した。
一方、誇り党は地方有力政治家系を核とし、当初はタクシン派と反タクシン派の間を渡り歩く日和見政党であった。2014年に反タクシン派の軍事政権が成立すると、誇り党は軍政に接近する。2019年に行われた民政復帰の下院選挙では、軍政の受け皿政党であるパラン・プラチャーラット党(PPRP)の連立政権に参加し、野党となったタイ貢献党と対峙してきた。
長年反目してきたこれらの勢力が連立を形成したのは、双方にとって新たな脅威が現れたためである。それが現在のプラチャーチョン党(PP)に繋がる改革派だ。同派はタクシン派よりも徹底した民主化を求め、不敬罪の見直しなど、司法・政治制度の抜本的改革を主張した。PPRPやその背後にいる国軍・官僚、王室を支持する市民や政党にとって、改革派の要求は「国家への攻撃」であり決して許容できるものではない。
そこでPPRP連立政権は、タクシン派と一時休戦し、攻撃の照準を改革派に当てた。クーデタには反対するが王の権限にかかわる制度改革には消極的なタクシン派と手を組み、改革派を抑え込む戦略に出たのである。タクシン派のタイ貢献党もまた、改革派に反軍政票を奪われることを恐れて「休戦」に応じた。PPRP政権とタクシン派との融和に向けた動きを知った有権者はこれを拒絶し、2023年の下院選挙で改革派に票を投じて下院第1党に押し上げた。しかし、PPRPをはじめとする保守派は、改革派の首相候補ピター・リムジャルーンラットを憲法裁判所に提訴し、違憲判決を引き出すことで政権争いから排除した。
こうして2023年8月に成立したのが、PPRP、タイ矜持党など保守派と、タクシン派であるタイ貢献党からなる連立内閣であった。
「人質」としての「タクシンの娘」
タクシン派が保守派と連携したことで、タイ政治の対立軸は一見「改革派野党vs保守派連立与党」という構図に収斂した。しかし連立政権内では、タイ貢献党、誇り党、PPRPといった勢力が熾烈な争いを続けている。そのなかで、誇り党は着々と勢力を拡大してきた。
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