ウイグル「7.5事件」がもたらした「民族間の決定的亀裂」

執筆者:藤田洋毅 2011年9月7日
タグ: 中国 香港 日本
エリア: アジア
2009年7月7日、ウイグル族に対抗して街頭デモを行なう漢族(c)AFP=時事
2009年7月7日、ウイグル族に対抗して街頭デモを行なう漢族(c)AFP=時事

「800番台の後半でした。ずいぶんたくさん、死んだんですねぇ……」――中国・新疆ウイグル自治区の区都ウルムチに住む筆者の友人(漢族)が打ち明けた。いきさつは、こうだ。  2009年7月5日夜、友人の家に、隣棟に住む同じく漢族の老人が息せき切って駆け込んできた。「孫を見かけなかったか?」と慌てふためいていた。  高校生になるこの祖父の孫は、沿海部に出稼ぎに行った両親と別居し祖父母と暮らしていた。学年末試験も一段落し、解放感に誘われたのだろう。この日の午後、孫は中学時代の同級生に会うと告げ、外出した。やがて午後6時過ぎ(時間表記はすべて北京時間、日本との時差は-1時間、現地はさらに-2時間の時差)、友人の自宅からも遠くない市中心部の国際大バザールや二道橋方面から、「ウオー」としか形容しようのない地鳴りのような怒号や悲鳴が響き渡ってきた。  東トルキスタン独立を求める「東突」、あるいは新疆ウイグル自治区独立を希求する「疆独」と中国当局から呼ばれる「テロリスト勢力」が、一斉に蜂起し漢族を襲撃した「7.5事件」の幕が切って落とされた瞬間だった。直前まで静かに日常が送られていたウルムチは一転、当局が後に「有予謀、精心策劃(事前に謀議を凝らし、念入りに画策した)」と非難する阿鼻叫喚の真っ只中に陥った。

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