戦後の日本の発展パターンが用意周到に政治能力の喪失化を図ったという仮説にこだわってみる必要がある。なぜ政治の分野に、内部革新も起こらず人材を生み出す広い基盤の形成もできないのか、また国民の一人ひとりが置かれた環境から共通の思いを抽出できないのか、という根本問題が浮上せざるをえないのだ。直近の二人の首相がいずれも一年足らずで政権の投げ出しを行なったからである。ここは歴史を戦後の出発点にまで遡って考えるべきであろう。でなければ日本社会の軸の歪みを正すことはできまい。 戦後の出発に当たって日本国民には、政治の意味を極小化させるという点で共感があったといえよう。「焼跡闇市」「欲望民主主義」は戦中の凶暴な軍国主義からの解放過程において、抑圧的政治から距離を置くことができるようになった小市民の拠りどころとさえなった。「小さい政治」の設計が一人ひとりの国民にとって救済でさえあったといえよう。日本は占領下におかれ、講和条約が調印された一九五一年は朝鮮半島で戦争が繰り広げられていた。日本の独立は日米の安保条約という、占領体制のもとでの米軍基地と米国兵をそのまま駐軍条約として抱え込むという枠組の公認が前提となった。日本の安保体制は冷戦構造のまっただなかで選びとられることになったのだ。
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