「閉塞感」を打ち破った日立のオープンMRI――医療機器産業の可能性を探る 3

執筆者:船木春仁 2010年2月号

 第一号機は、三つの部位に分けられて別々の工場で作られていた。それぞれが完成したのは、搬入当日の未明のことであったという。すぐに東京・新宿にある東京女子医大に運ばれ、そこで最終的に組み立てられた。日立製作所のMRI(磁気共鳴画像装置)一号機「G-10」が、誕生した瞬間だった。一九八四年のことだ。「一時は開発断念の危機にさえ直面したプロジェクトだっただけに、喜びは格別のものだった」。プロジェクトリーダーであった小泉英明・日立製作所フェローは懐しげに振り返る。現在、日立では研究専門職の最高位(役員待遇)であるフェローになってもなお忘れることのできないほど、厳しいプロジェクトだった。

カテゴリ: 経済・ビジネス
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