その刻を挟んだ数日間、香港では、そぼ降る雨が止むことはなかった。 1997年6月30日深夜、チャールズ皇太子、パッテン総督とその家族を乗せた帆船ブリタニア号は雨降る漆黒の海に向かって英国海軍基地岸壁を離れた。植民地最後の総督を務めたパッテンの手には、1842年に締結された南京条約によって植民地となって以来1世紀半近くに亘って香港に翻っていたユニオン・ジャックが抱かれていた。やがて時計の針が夜中の12時を過ぎると、植民地としての香港に幕が引かれた。 明けて7月1日、香港は中華人民共和国特別行政区として生まれ変わる。当時、権力の絶頂期にあった江沢民主席は主宰者として特別行政区発足式典に臨み、「香港という中国の土地が紆余曲折を経て、ついに祖国の内懐に戻ってきた」と胸を張ってみせた。毛沢東も鄧小平もなしえなかった偉業の達成に、江もまた興奮に酔い痴れたことだろう。 思い返せば、今年は世界中の耳目を集めた香港返還(中国は「中国回帰」と呼ぶ)から数えて15年になる。
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