「イチローの笑顔」を生んだアメリカの「受容」という美質

執筆者:梅田望夫 2004年11月号
タグ: アメリカ 日本

 十月でアメリカにやってきて十年になる。シリコンバレー生活二年目が終わる頃から始め、休まず続けてきたこの連載も九年目に入り、今回も含めあと三回で百回となる。一九九七年に興したミューズ・アソシエイツは早いもので八年目に入り、二〇〇〇年に共同創業したパシフィカファンドというベンチャーキャピタルは五年目に入った。この二つの仕事を立ち上げるにあたっての経緯や葛藤については、この連載でもずいぶん詳しく書いてきた。「渡米した時に、シリコンバレーでの起業を計画していたのか」とよく問われるのだが、勤めていた米国企業の本社への転籍という形でシリコンバレーにやってきた私には、異国の地で起業する自信など微塵もなかった。新しい環境でベストを尽くしてサバイバルするという以上の計画など持つべくもなかったのだ。しかし後から振り返れば、渡米からわずか二年半で会社を辞めている。アメリカが、シリコンバレーが私を変えていったのである。

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