Bookworm (14)

佐江衆一『エンディング・パラダイス』

評者:縄田一男(文芸評論家)

2018年3月25日
エリア: 北米

戦争の記憶への危惧とは
戦後を問う“近未来小説”

新潮社/1944円
さえ・しゅういち 1934年東京生まれ。コピーライターを経て、60年、短編「背」で作家デビュー。代表作に『黄落』『江戸職人綺譚』など。古武道杖術師範でもある。

 日本をはじめとして、中国、アメリカが軍事と経済面において、ますます寛容さを失い、世界が剣呑になりつつある、ほんの少し先の近未来、戦後79年の初夏の事(作中に記されているこの近未来は、かなり正鵠を射ていると思われる)。
 88歳の沼田昭平は、背に“同行二人(どうぎょうににん)”と書いた白衣1枚、すげ笠を被って、豪華客船〈太平象牙(タイピンシアンヤー)号〉で旅に出た。
 行先は、南太平洋はパプアニューギニアの奥地、チン・セピック川を遡ったタントゴラン村。昭平の目的は、この地で死んだ戦友たちの遺骨を収集してほしいという父の遺言を果たすこと。昭平は、船中で知り合った、まるで年齢を超越して生きているような日系アメリカ人のツルコと共にタントゴラン村に到着。かつて瀕死の父を救けてくれた部族の末裔に会う。
 そして昭平が目にしたものは、現実・非現実を超越した、日米両兵士の無念に朽ち果てた遺骨や霊。
 一体に、戦場体験と戦争体験は違うといわれている。昭平の父が体験したのは、正しく彼が晩年まで語ろうとしなかった戦場体験。そして昭平が少年のとき、身をもって味わったのは、東京大空襲での惨状と、その中で見失った(恐らく黒コゲの死骸になったであろう)弟との別れ。
 タントゴラン村の奥地に未だ息づく死せる兵隊たちの鬼哭と少年の目に焼きつけられた忘れようとしても忘れられない、東京大空襲の記憶――この2つの地獄が昭平の中で見事に重ねられる箇所は、異様な迫力に満ちている。
 ここで終わってもこの1巻は、すばらしい小説として完結しているが、それでは終わらない。胡乱(うろん)な中国人・黄(ウォン)が村に出没しはじめる頃になると、アメリカ、日本、中国の大企業の天然ガス採掘がはじまり、平和な桃源境タントゴラン村の日常が破壊される危機に――。
 いまや、村の男の秘儀(クモヤン)を終え、部族の長老となった昭平は、この事態と戦うことを決意する。
 作者は、御高齢故現在はどうだか分らないが、かつて、熱帯雨林に樹を植えに行ったり、自然保護活動を行っていた。
 さぞ大変であろうと私が、「なぜなさるのですか」と問うと、「こういうことは作家がやらないとね」と、一言、明快なまでの答えが返ってきた。
 私は肚の底から感動した。
 本書は、そんな作者が、薄れゆく戦争の記憶への危惧と、世界規模で進む環境破壊の恐ろしさを託した、渾身の1巻なのである。

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