ドイツでは9月26日に連邦議会選挙が行われる。アンゲラ・メルケル首相の後継者が決まる、重要な選挙だ。選挙戦では当初緑の党が優勢だったが、6月以降は支持率が急落している。最大の理由は、緑の党がマニフェストの中で炭素税の大幅な引き上げを打ち出し、有権者が地球温暖化対策の「値札」の高さに気づき始めたからだ。
緑の党の支持率が急落
公共放送局ドイツ公共放送連盟(ARD)が6月10日に公表した政党支持率調査の結果によると、緑の党の支持率は前月の26%から6ポイント減って20%に下落した。逆に保守政党キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)の支持率は、前月の23%から28%に増えた。
引き金はマニフェストに関する報道
緑の党の支持率が急落した最大の理由は、6月に入ってから同党のマニフェストに関するメディアの報道・分析が増えたことだ。この報道により、市民の目に「緑の党が政権入りした場合に、生活がどのように変わり、環境保護のためにどの程度コストが増えるか」について具体的なイメージが浮かび上がってきた(マニフェストの草案は今年4月からネット上で公開され、6月の党大会で採択された)。
端的に言うと、緑の党はドイツを「エコロジー中心の社会」に変えようとしている。同党はマニフェストの中で、ドイツで「エネルギー革命」を起こし、交通、暖房、製造業、農業などあらゆる分野で環境保護を重視することを宣言している。特に重要な課題は、地球温暖化・気候変動に歯止めをかけることだ。同党は、2015年のパリ協定に基づき、地球の平均気温の上昇幅を、工業化が始まる前に比べて1.5度に抑えることを目指している。そのために現政権の気候保護目標をさらに厳しくする方針だ。
たとえばメルケル政権は、2030年までにGHG(温室効果ガス)排出量を1990年比で65%減らし、2045年までにカーボンニュートラル、つまりGHG排出量が実質ゼロの状態を達成するという目標を持っている。
だが緑の党は、「現在の目標は不十分」として、マニフェストの中で2030年までにGHG排出量を1990年比で70%減らすという目標を掲げた。
またメルケル政権は、全ての褐炭火力・石炭火力発電所を2038年までに全廃することを決めているが、緑の党は「我々が政権入りした暁には、脱石炭を8年早めて2030年までに断行する」と主張している。
緑の党は脱石炭の前倒しを可能にするために、再生可能エネルギーの拡大を加速する。たとえば陸上風力発電の設備容量を毎年7~8GWずつ増やす他、2035年の洋上風力発電の累積設備容量を35GWに増やす。さらに法律を改正して、新築の建物の屋根に、太陽光発電パネルの設置を義務付ける。緑の党は、「この措置により、2025年までに約150万台の太陽光発電設備を新設する」と公約している。
さらに鉄鋼、化学、アルミニウム業界などが使っている化石燃料を、再生可能エネルギーから作った水素によって代替し、製造業由来のGHGも大幅に減らす方針だ。
国内短距離航空路線の廃止も提言
また緑の党は、交通部門の非炭素化も加速する。同党はマニフェストの中で、2030年以降、ディーゼルエンジンやガソリンエンジンを搭載した新車の販売を禁止するという公約を打ち出している。つまり緑の党の政策が実行された場合、自動車メーカーは2029年を最後に、純粋な電気自動車(EV)以外の新車を売れなくなる(党員からは禁止時期を2025年に早めるべきだという意見も出たが、党執行部は「過激すぎる」として前倒しを阻止した)。
また現在ドイツの高速道路(アウトバーン)には、一部に速度制限がない区間がある。実際この区間では、多くの市民が時速200キロを超えるスピードで走っている。高速道路に速度制限がない区間を設けている国は、世界でも極めて珍しい。だが緑の党は、「我々が政権入りした場合には、アウトバーンの全区間で最高速度を時速130キロに制限する」と約束している。この政策が実現した場合、ドイツの交通史上に残る、大きな変化となる。
さらに緑の党は、鉄道網を整備・拡充して運行する列車の数を増やすことにより、国内の旅客機の短距離便の運航を禁止する方針だ。たとえばミュンヘンからフランクフルト・アム・マインまで飛ぶ便(飛行時間は約60分)などは、廃止される。つまり同党は、排出されるGHGの量を減らすために、市民に飛行機の短距離便を使わず、列車に乗り換えるように促しているのだ。
最大の焦点は燃料の炭素税引き上げ
緑の党の公約の中で、いま最も大きな論争を引き起こしているのが、炭素税(カーボン・プライシング)引き上げである。
現在ドイツの炭素への価格付けは、2通りの方法で行われている。1つは欧州連合(EU)の域内排出量取引制度(EU-ETS)。この制度に基づきEU域内の電力会社、製鉄、化学、セメントなどの製造企業は、CO2を排出する際に、排出権を購入することを義務付けられている。その価格は、7月2日の時点でCO2排出量1トンあたり約57ユーロ(7410円・1ユーロ=130円換算)である。
もう1つはドイツが今年1月1日から独自に始めた国内の交通・暖房部門向けのカーボン・プライシング制度だ。車のガソリンや軽油、暖房用の灯油・重油などを買う際には、CO2排出量1トンにつき、25ユーロ(3250円)の炭素税が課されるようになった。この結果、ドイツでは今年初めから燃料代が増えつつある。
緑の党は、「炭素価格を180ユーロ(2万3400円)前後に引き上げなくては、CO2を本格的に減らせない」と主張してきた。このため、緑の党はマニフェストの中で「我々が政権に参加した暁には、EUと交渉してEU-ETSを、運輸と暖房部門にも拡大させる。同時に、市場で流通しているCO2取引権の数量を大幅に減らして、価格を引き上げる」と宣言している。つまり緑の党は、EU-ETSの改革によって、欧州全体で炭素価格を一気に引き上げることを目指している(その具体的な数値は明記されていない)。
さらに緑の党は、国内でのカーボン・プライシングについても野心的な改革を公約した。現在の法律によると炭素税は初年度(2021年)の1トンあたり25ユーロから4年後に55ユーロに引き上げられ、2026年以降は入札によって決められる。入札の最低価格は55ユーロ、最高価格は65ユーロである。
現在の法律によると、2023年の炭素税は1トンあたり35ユーロになる予定だが、緑の党はマニフェストに「2023年の炭素税を60ユーロに引き上げる」と明記した。つまり、現行規定に比べて71.4%もの増加だ。
しかもアンナレーナ・ベーアボック首相候補は、「2023年にはガソリンは現在に比べて1リットルあたり16セント、ディーゼル用の軽油は18セント高くなる」と述べ、車の燃料が高騰することを認めた。
つまり緑の党は、車の燃料代をあえて高くすることによって、市民が現在使っている内燃機関の車をEVに買い替えたり、鉄道など公共交通機関の利用を促したりすることを狙っている。化石燃料を使うことのコストの引き上げにより、化石燃料の消費を減らそうという作戦だ。
マイカー通勤者には打撃
だがこの公約は多くのドイツ市民に衝撃を与えた。この国では大都市の家賃が高いので、職場から40~50キロメートル離れた地域に住んで、毎日車で通勤している人が少なくない。彼らにとっては、車の燃料の大幅な値上げは可処分所得の減少につながる。2020年春にコロナ・パンデミックが始まってからは、郊外から大都市に向かう通勤列車の利用者数が約80%減り、車で通勤するケースが増えた。
ドイツの論壇では、「マニフェストの細部に関する報道が増え、市民が緑の党の気候保護政策がもたらすコストに気づき始めたことが、同党の支持率低下の最大の原因」という指摘が目立つ。
ガソリン・軽油にかかる炭素税の引き上げが政治家の支持率を引き下げた例は、他にもある。2018年にフランスのエマニュエル・マクロン大統領が燃料の炭素税を引き上げる方針を打ち出したところ、全土で市民の抗議デモが起こり、パリでは一部の暴徒が商店を破壊したり凱旋門などの歴史的建築物を損壊したりする事態に発展した。フランス政府は燃料価格の引き上げが、マイカー通勤者の可処分所得を減らすことについて十分配慮しなかったのだ。
もちろん緑の党は、マニフェストの中で燃料価格の引き上げによる市民の経済的負担の増加を相殺するために、「エネルギー手当」を国民全員に供与すると公約している。たとえば同党は現在ドイツの電力料金にかけられている再生可能エネルギー賦課金を削減することなどにより、電力コストを減らすと約束している。
だがマニフェストには、いつどの程度エネルギー手当を供与するのかが明記されていない。「2023年の炭素税を60ユーロに引き上げる」という記述に比べると、負担の相殺のための政策が具体性を欠いている。負担の相殺の時期や金額を明記しなかったことは、緑の党の戦略的ミスだ。
エネルギー業界には、「NIMBY」という言葉がある。英語のNot in my backyard(私の家の裏庭に建てるのはやめてくれ)というフレーズから来ている。多くのドイツ市民は、原子力発電所や石炭火力発電所を廃止するために、再生可能エネルギーを拡大することに賛成している。だが風力発電プロペラが自宅の裏に建設されるとなると、「地価が下がる」とか「騒音が気になる」などという理由で反対する。つまりNIMBYとは、エネルギー転換という総論には賛成するが、自分の生活に影響が出ると「各論反対」になる態度のことを指す。
多くの有権者は、地球温暖化に歯止めをかけるためにGHGを減らすという緑の党の政策には賛成している。このため同党の支持率は、今年5月にはドイツで最も高かった。だがマニフェストに関する報道が増えるにつれて、緑の党の政策の「値札」が市民の目に見えるようになってきた。いわば「総論賛成・各論反対」の市民が増えてきたのだ。
数値目標をあえて示さないCDU・CSU
保守政党CDU・CSUは、緑の党の弱点を衝く戦略を採っている。同党はマニフェストの中で炭素税の引き上げ、褐炭・石炭火力発電所の廃止時期の前倒し、短距離国内線の禁止、高速道路の全区間での速度制限の導入、内燃機関を使う新車の販売禁止などに一切触れていない。
CDU・CSUのアルミン・ラシェット首相候補は、「緑の党は法律によって多くの禁止措置を導入し、市民や企業の負担を大幅に増やす。まるで社会主義国の計画経済だ。そのような党にドイツの舵取りを任せてはならない」というメッセージを有権者に送っているのだ。
ドイツの政界には、「正直さでは票を増やせない」という警句がある。べーアボック首相候補は具体的な数字や禁止時期をマニフェストに明記して、国民に対して「エコロジー経済を実現するには、費用がかかる。我々は今の生活を変えなくてはならない」と正直に訴えた。だがこの正直さが、彼女にとって「命取り」になるかもしれない。
逆にラシェット首相候補は、具体的な数字を含まない、曖昧模糊としたマニフェストをあえて公表することによって、緑の党との違いを強調している。彼は選挙前に、数字を含んだ政策の細部を有権者の前でさらけ出すことが得策ではないことを知っている。
この「正直さ」は、財政政策についての公約にも表われた。ドイツでも21世紀に入ってから所得格差が拡大する傾向があるが、パンデミックによるロックダウンは、格差をさらに広げた。緑の党は所得格差を減らすために、所得税の最高税率を45%から48%に引き上げ、高額所得者を対象とした富裕税を復活させると公約した。
これに対しCDU・CSUは「増税や富裕税の復活は行わず、経済成長によって財源を増強する。コロナ危機で苦しんだ企業を助けるために、企業向けには減税を実施する」と訴えている。ここでもCDU・CSUは、「緑の党は増税党」という印象を有権者に与えようと試みている。
べーアボック氏の著書に「盗用」騒動
この他にもべーアボック首相候補には、脇の甘さが目立つ。同氏は臨時収入を連邦議会事務局に申告することを忘れたり、党のウェブサイトに公開している経歴が不正確だという指摘を受けたりしていた。さらに同氏は6月に社会変革に関する有権者へのメッセージを込めた新著『今・我々はいかにしてこの国を変えるか』を上梓したが、本の中に、ニュース週刊誌シュピーゲルや他の緑の党の党員の著作、政治教養センターのウェブサイトから、引用の断り書きなしに書き写した部分があった。「盗用」の批判に対してべーアボック氏は、「私は博士論文を書いたわけではない。こうした些末な問題ではなく、政策について議論してほしい」と反論している。
これらの「ミス」は政治家としての根本的な信頼性や政策の根幹にかかわるような、致命的な落ち度ではない。だがミスに関する報道が重なると、有権者の政治家に対する好感は減っていく。
2017年からノルトライン・ヴェストファーレン州の首相を務めているラシェット氏とは異なり、べーアボック首相候補は、大臣はおろか地方自治体の首長の経験すらない。メディアが暴露したミスは、同氏が首相候補としてメディアによって一挙手一投足を監視されているという事実を甘く見ていたことを示している。
ただしこれらの問題は枝葉末節であり、緑の党とCDU・CSUの戦いの勝敗を決する本質的な要素ではない。
倫理か経済か
より重要なのは、「倫理」と「経済」をめぐる両党の対立だ。ドイツの科学界には「コロナ・パンデミックは気候変動が人類にもたらす非常事態の、リハーサルにすぎない」という見方がある。気候変動がさらに悪化した場合、世界中の経済・社会に多大な影響が及ぶ。たとえばマダガスカル南部では気候変動のために2年前から雨が降っておらず、114万人以上が食糧不足、1万4000人が壊滅的な状況だという。将来アフリカや中東での飢饉が深刻化した場合、2015年の難民危機を上回る数の難民がヨーロッパに押し寄せるかもしれない。緑の党は、「ドイツは短期的な懐具合よりも、長期的かつグローバルな公共利益を守るという視点から、政策の舵を切るべきだ」と主張している。気候変動は、欧州の安全保障にも関わる問題なのだ。ここには1980年の結党時からの緑の党の特徴である、公共倫理を重視する姿勢が反映している。
「ドイツが必要としているのは冒険や急激な変化ではなく、安定と継続だ」というラシェット氏。「気候変動を放置すると、将来の世代が苦しむことになる。エコロジーを政治と経済の中心に据える大胆な改革を実行しよう」というべーアボック氏。どちらのメッセージが、有権者の心をつかむだろうか。