世界初・サプライチェーンの可視化をめざす「カテナ-X」が今秋ドイツで始動へ

執筆者:熊谷徹 2023年6月16日
エリア: ヨーロッパ
BEV拡大による脱炭素化が急激に進むドイツの自動車業界で、「カテナ-X」への期待は高まる(写真はミュンヘン市内で筆者撮影)

 コロナ・パンデミックなどにより部品供給網の途絶に苦しんだドイツの自動車業界は、サプライチェーンを可視化するデジタル連携システム「カテナ-X」を今年秋に始動させると発表した。デジタル技術による「第4次産業革命」の実現を目指してドイツが取り組んできた「インダストリー4.0」は、本格実装への最終コーナーを回った。

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 ドイツ中部のハノーバーで、今年4月17日から21日まで、世界最大の工業見本市ハノーバー・メッセが開催された。その第8ホールに設置された展示ブースは、各国の自動車産業の関係者から注目を集めた。ドイツの自動車メーカー、自動車部品メーカー、IT企業などが政府の支援を受けて2021年に創設した「カテナ-X・オートモーティブ・ネットワーク(CAN)」が、「カテナ-X」についてのプレゼンテーションを行ったのである。

原材料調達からリサイクルまでの過程を「見える化」

「カテナ-X」はドイツ製造業界で初めて、製品に関するバリューチェーン全体を俯瞰できるエコシステムを構築するプロジェクトだ。

 BMWグループやメルセデス・ベンツ、ソフトウエア企業SAPなどの発表によると、カテナ-Xは、自動車に使われる原材料の調達から部品・半製品の製造、自動車の組み立ておよび販売、さらにリサイクルに至るバリューチェーンの全工程をデジタル化し、データ・チェーンを構築する。カテナとは、ラテン語で鎖(チェーン)を意味する。

 CANは、カテナ-Xを実施・統括する推進機関である。同社のオリバー・ガンザー社長は、「我々は、グローバルなサプライチェーンのデジタル化という、ドイツの産業政策の方向性を示すプロジェクトを、ベータ・フェーズに移行させた」と発表した。ベータ・フェーズとは、ソフトウエアなどを本格的に稼働させる一歩手前、つまり準備期間の最終フェーズを意味する。この段階では、ソフトウエアの最終的な点検が行われる。CANは、今年秋にカテナ-Xを正式にスタートさせることを目指している。

 カテナ-Xに参加する企業は、可能な範囲でデータを他社と共有する。そのかわり、自動車部品に使われる原材料の在庫状況など、自社の生産活動にも影響を及ぼすデータに、自社のITシステムを通じてアクセスすることができる。いわばカテナ-Xは、自動車のバリューチェーンとサプライチェーンを起点から終着点まで1本の鎖として「可視化」する試みだ。

 カテナ-Xでは「データの主権性」が重視されるので、参加企業は他社とシェアするデータの範囲を自分で決めることができる。他社によってデータの共有を強制されることはない。また、自社の業務データ、顧客データなど機微な情報は他社とは共有されない。

 カテナ-Xは、ドイツとフランスが共同で開発している欧州独自のデータ流通基盤「ガイア-X」を使用し、EU(欧州連合)の厳しい個人情報保護法の要件を満たす。独仏政府は、「世界のクラウド市場はアマゾンなど米国や中国の大手IT企業の寡占状態にある。このため自社の機微なデータをそういったクラウドに保管すると、米中政府に情報が漏れる危険がある。欧州独自のクラウドが必要だ」という製造業界の要望に応えて、2019年にガイア-Xの開発を始めた。CANがこのクラウドを使うのは、カテナ-X参加企業に「データは厳密に保護される」という安心感を与えるためだ。

 カテナ-Xの最大の目的は、サプライチェーンの強靭化だ。世界中の製造業界は、2020年以来、グローバルなサプライチェーンの寸断、停滞に悩まされてきた。

 たとえば2020年、中国に端を発したコロナ・パンデミックと世界的な半導体不足、2021年3月にスエズ運河を6日間にわたりブロックしたコンテナ輸送船「エバー・ギブン」号の座礁事故、2022年のロシアのウクライナ侵攻がその例だ。

 ウクライナでは、ある工場が戦争の影響でケーブル・ハーネス(電力供給や信号通信のためのケーブルを束にした部品)を生産・供給できなくなったために、ドイツの自動車業界でも一時生産停止に追い込まれる工場が現れた。

 これらの出来事は、コストを最小限にするために世界中に張り巡らされた部品や原材料の供給網の脆弱さを、白日の下に曝した。

サプライチェーン途絶に対する「早期警戒」システム

 CANは、将来再びサプライチェーンの途絶・停滞が起きた時に、企業が迅速に対応して、生産停止などの悪影響を最小限にできるような態勢を整えることをめざしている。確かに、サプライチェーンの状況をリアルタイムで自社のITシステム、タブレットやスマートフォンでフォローできるシステムがあれば、OEMやサプライヤーは、早めに調達先の変更や多角化などの対策を取ることができる。つまりカテナ-Xは、自動車関連企業にとっての「早期警戒システム」の役割を果たす。

 実際、カテナ-Xが産声を上げたのは、コロナ・パンデミックのためにロックダウンに追い込まれたドイツでの、あるリモート会議だった。

 2020年12月に、ドイツ連邦経済・気候保護省が開いたリモート・ワークショップで、BMWのデータ・ドリブン・バリューチェーン部の部長だったオリバー・ガンザー氏が、初めて業界全体でのデータ共有を軸としたサプライチェーンの強靭化を提唱した。彼は当時このシステムを「Automotive Alliance(自動車連合)」と呼んだが、これがカテナ-Xの前身である。

 2021年5月にカテナ-Xを統括する推進機関(CAN)がベルリンに創設されると、ガンザー氏はCANの社長に就任した。

 彼は、「コロナ・パンデミックによるサプライチェーン危機、脱炭素化、デジタル化という課題への解答を見つけるには、従来の市場構造や伝統的な手法では対応できない。業界全体が力を合わせて、企業や業種の壁を超えた、データ主導型のエコシステムを創設することが不可欠だ」と説明した。ちなみにBMWの元幹部がカテナ-Xの推進機関の最高責任者を務めていることは、同社がこのプロジェクトの主導権を握る企業の一つであることの表れである。BMWは過去においても、個別のサプライヤーとの間でデータ共有を行っていたが、今回はデータ共有を業界全体に広げようとしているのだ。

 2021年の創設時にCANに所属していた中核企業は、BMWのほか、メルセデス・ベンツ、自動車部品メーカーZF、企業向けソフトウエアメーカーSAP、総合電子・電機メーカーのシーメンスだった。

 今年5月15日の時点でカテナ-Xに参加している企業は、日独仏、米中などの153社。欧州最大の自動車メーカー・フォルクスワーゲン・グループ、ボルボ、ルノー、フォード、自動車部品大手のロバート・ボッシュやシェフラー、コンチネンタル、IT企業グーグル、IBM、アマゾン、ファーウェイ(華為技術)、化学・素材メーカーのBASF、ヘンケル、研究機関としてはフラウンホーファー研究所やドイツ航空宇宙センターが参加している。日本からは富士通、NTTコミュニケーションズ、デンソー、旭化成、DMG森精機の独子会社「ISTOS」の5社が参加している。

トレーサビリティを利用して人権問題にも対応

 またCANは、「カテナ-Xの利点の一つは、トレーサビリティ(遡及可能性)の高さだ。たとえば製造業界でのデータ共有により、自動車のバリューチェーン全体からの二酸化炭素の排出量(カーボン・フットプリント)の測定や、製品の中に含まれる、リサイクル可能な重要原材料の量、強制労働や児童労働などの人権侵害が行われている国からの部品や原材料が使われていないことの確認なども可能にする」と主張している。

 部品や原材料サプライヤーの所在国が一目で把握できることは、近年世界中の企業にとって必須の課題である人権デューデリジェンスの観点から、極めて重要である。ドイツはすでに今年1月にサプライチェーン・デューデリジェンス法を施行し、大手企業に対し、サプライヤーが人権侵害や環境汚染などを行っていないことを常に確認することを義務付けている。EUはドイツの法律よりもさらに厳しい法律を準備中だ。

 カテナ-Xは、製造業のデジタル化を目指すドイツ政府にとっても重要な意味を持っている。連邦経済・気候保護省のロベルト・ハーベック大臣は、「カテナ-Xは、サプライチェーンのデジタル化のための、産業政策上の極めて重要なプロジェクトだ」と語っている。政府は、カテナ-Xを「ドイツの自動車業界の未来のための投資プロジェクト」として、1億1000万ユーロ(165億円・1ユーロ=150円換算)を投じて助成している。

 ドイツ政府と自動車業界は、カテナ-Xをこの国が2011年に公表した製造業界のデジタル化計画「インダストリー4.0」の最初の実装例とすることを目指している。たとえばカテナ-Xの技術開発陣は2024年までにManufacturing as a Service(MaaS)つまり「サービスとしての生産」のアプリケーションを完成させる予定だ。MaaSを利用すると、生産設備を持っていない企業でも、他社の遊休設備などを利用して、半製品などを生産することができる。

 具体的には、部品などを必要とする企業が自社の生産キャパシティーに余裕がない場合にも、カテナ-Xのプラットフォームを通じて、他社に生産を発注することができる。生産キャパシティーに余裕がある企業は、プラットフォーム上で価格・条件などについて交渉して、合意が成立すれば部品を生産する。これにより各社は、資本やキャパシティーの活用を最適化できる。製造業のサービス化を目指すMaaSは、インダストリー4.0の応用であるスマート・サービスの一環として開発された手法である。

 またCANは将来、製品や部品をバーチャル世界でデジタル化して、耐久性などに関する実験などを行う「デジタルツイン」の使用もカテナ-Xのデータ環境の中で可能にする方針だ。これもインダストリー4.0を通じて開発された技術である。

カテナ-Xの成否を握るのは中小企業

 カテナ-Xが成功するかどうかは、2つのポイントにかかっている。1つは、中小企業がカテナ-Xに参加するかどうかだ。ドイツの企業の99%は中小企業である。ミッテルシュタントと呼ばれるドイツの中小企業は、高い技術革新力を持ち、この国の自動車業界、部品業界で重要な役割を果たしてきた。

 問題は、多くの中小企業が自社のデータを他社と共有することに消極的であることだ。また中小企業では、ITエンジニアや資本力などのリソースが大企業に比べると少ない。これらの理由から、ドイツの中小企業ではデジタル化が大手企業ほど進展していない。このためCANは、中小企業向けに、カテナ-Xの利点を強くアピールしている。カテナ-Xへの中小企業の参加数が少なく、大企業だけのサークルに留まる場合には、カテナ-Xが不発に終わる危険もある。

 もう一つの鍵は、「カテナ-Xがサプライチェーン対策を超える付加価値を生めるか?」という点だ。カテナ-Xが部品不足などに対するレジリエンス強化、人権デューデリジェンス対策などのためのツールという役割を超えて、新しいビジネスモデルを生むことができれば、参加企業の数は飛躍的に増えるだろう。

 一般的に、日本のメーカーは他社とのデータ共有に消極的だ。これに対しCANは、他社との競争に関係ない分野についてはデータを共有することで、ビジネスの効率を引き上げようとしている。我が国の企業も、「カテナ-Xは日本のビジネスの慣行にそぐわない」と切り捨てるのではなく、このプロジェクトの今後の動向に注目する必要があると思う。

カテゴリ: 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
熊谷徹(くまがいとおる) 1959(昭和34)年東京都生まれ。ドイツ在住。早稲田大学政経学部卒業後、NHKに入局。ワシントン特派員を経て1990年、フリーに。以来ドイツから欧州の政治、経済、安全保障問題を中心に取材を行う。『イスラエルがすごい マネーを呼ぶイノベーション大国』(新潮新書)、『ドイツ人はなぜ年290万円でも生活が「豊か」なのか』(青春出版社)など著書多数。近著に『欧州分裂クライシス ポピュリズム革命はどこへ向かうか 』(NHK出版新書)、『パンデミックが露わにした「国のかたち」 欧州コロナ150日間の攻防』 (NHK出版新書)、『ドイツ人はなぜ、毎日出社しなくても世界一成果を出せるのか 』(SB新書)がある。
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