東京電力福島第一原発の構内で生じる汚染水の「処理水」(ALPS処理水・処理途上分も含めタンクに約134万トン)の海洋放出が8月24日に始まった。東電が「30年程度」という間、海水で希釈して福島県浜通りの原発沖に流し続ける。放出後の監視検査で海水、魚ともトリチウム濃度は「検出限界値(1リットル当たり10ベクレル程度)未満」で推移しているが、放出に反対する中国による日本の水産物輸入禁止が国内に影響を広げ、「風評」の実害も報じられている。福島県浜通り・相馬の漁協組合長は「問題を何年も先延ばしにし、最後も当事者を置き去りにした」と国の姿勢を憤りながら、世代を超えた新たな重荷を背負う覚悟で向き合う。何が問題だったのか? 震災復興もいまだ遠い被災地の浜から報告する。
中国の全面禁輸を「想定していなかった」
「驚いている。(全国とは)全く想定していなかった」。処理水放出を理由に、日本の水産物の輸入を全面的に停止する――との中国の税関当局の発表(8月24日)を受けて翌日、野村哲郎農相が閣議後記者会見でこう述べ、毎日新聞などが報じた。中国は2011年の東日本大震災、原発事故の後、被災地である福島と宮城両県を含む東日本10都県の農林水産物輸入を全面停止しており、その対象地域を日本中に拡大した形だ。
中国政府は7月上旬から日本から入る水産物の全量調査(放射性物質検査)を始め、これによって輸出は滞り、日本からの生鮮魚輸入が前月比で半減するなど、既に実質禁輸状態だった。その強硬姿勢が「放出開始」でさらにエスカレートすることは目に見えていた。
8月3日の河北新報は、東北のホタテ産地、青森県の二木春美漁業協同組合連合会会長が西村康稔経済産業相を訪ねて放出の計画延期を求めた――との記事で〈放出前にもかかわらず、既に中国や香港に輸出できない状況だ。今放出すれば、事態は一気に悪化する〉との懸念を報じた今月3日の同紙はさらに、同県内のホタテ加工業者たちが宮下宗一郎知事に「かつてない苦境」を訴え、ある業者は既に100トンの対中国輸出を断念した事態を伝えた。ホタテを例に取れば、函館税関の発表で7月の北海道から中国への水産物輸出は半減(大半がホタテとみられる)。放出前に取材した宮城県石巻市の養殖漁業者も、「処理水の風評でホタテの相場が1キロ当たり600円から400円に下落する実害が生じており、輸出先を失った大産地のホタテが国内に出回れば、さらに値崩れが進む。秋に出荷を控えるカキやワカメにも影響は広がりかねない」と語り、三陸など復興途上の被災地への打撃を案じた。
農相の地元、鹿児島県からも中国へ輸出してきたブリなどの先行きを危ぶむ声が報じられ(8月25日の南日本新聞など)、「驚き」「想定外」はあまりにお粗末ではなかったか(注・また帝国データバンクは同25日、影響は中国への食品関連輸出企業727社に及ぶ可能性あり――との調査結果を発表した)。
WTO敗訴、「ホヤ」の教訓は学ばれたか
宮城県はホヤの特産地だ。震災前は1万トン近い水揚げの7~8割を韓国に輸出。海鮮料理やキムチの材料に人気を集めた。東日本大震災の津波で養殖施設は壊滅し、復活したのが14年。ところが、原発事故後の汚染水流出を契機に韓国が前年から東日本8県の全水産物の輸入禁止を始め、ホヤも大市場を失った。生産過剰に陥ったホヤの焼却処分も行われた。前述した石巻の生産者は、ホヤに見切りをつけ、仲間と新たな養殖に転換するさなかにある。
「あの時と同じだ」という声を浜で聞いた。「禁輸」の壁にぶつかったホヤの生産者たちは、新しいファン開拓を模索しながら、禁輸解除を期待し続けた。政府が15年に「科学的根拠のない差別的措置」とWTO(世界貿易機関)に禁輸解除を求めて提訴。1審の小委員会は18年、言い分を認めて「必要以上に貿易制限的」とホヤなど28魚種の禁輸撤廃を促した。が、韓国が上訴。海でつながる環境で、汚染水処理や廃炉などの事故処理が終わらない隣国の現状に対する懸念を訴え、翌年、最終審の上級委員会が日本を逆転敗訴とした。
福島、宮城など被災地の水産物は国内市場でも原発事故後の風評にさらされ、放射性物質について各漁協などが国の基準を上回る、世界一厳しいと言える出荷前検査を行ってきた。最終審に先立ち、政府筋や日本のマスコミも「韓国の敗訴濃厚」と楽観視していた。
日本逆転敗訴の報が流れると、当時の吉川貴盛農相は記者会見で「食品の安全性は否定されていない」「日本産食品は科学的に安全との1審の事実認定が維持された」と強弁するのみで、当事者たちは何の説明も詫びも聞けぬまま置き去りにされた(注・その後の自民党水産部会では「外交の敗北だ。外務省は油断していた」など厳しい指摘が続出したと報道された)。
当事者に向き合わなかった政府
「漁協の水産物直売所はこの夏、土産物を求める客でにぎわったが、処理水が放出された当日(8月24日)は、目に見えて客が減ったそうだ」。相馬市・松川浦漁港にある相馬双葉漁業協同組合(組合員約800人)の組合長で、自身も漁業者の今野智光さん(65)は影響を心配した。「24日放出」が関係閣僚会議で決定された22日の夕、西村康稔経産相はいわき市を訪れて福島県漁連幹部らと面会、今野さんも出席した。前日の21日に岸田文雄首相が全国漁業協同組合連合会の坂本雅信会長と会談したことを西村氏は報告。「(放出に)一定の理解を得られたと判断した」「廃炉完遂となりわいの継続に向け、国が全責任をもって取り組むことを約束した。これからも漁業者の皆さんに寄り添う」と今野さんらに説明したという。
そのトップ会談では全漁連会長が放出に反対し、「国の説明に漁業者の理解は深まってきたが、安全と安心は異なり、風評は現に起きている」と訴えたと報じられた。が、首相は「理解」を言質に取り、西村氏の発言にもなった。河北新報(23日付)は1面に『「理解前提」約束空文化』、社説に『禍根残す「なし崩し」の決定』の見出しを掲げた。
「政府の放出決定のやり方は唐突だった」と今野さんは振り返る。「われわれ漁業者は会社のような組織でなく、組合員個々が事業者。組合長も全漁連会長も『窓口』でしかない。(担当の)経産相も首相も早くから浜に足を運んで直に話を聴き、向き合ってほしかった」
今年3月11日、岸田首相は福島県の追悼行事に出席し、復興支援でできた相馬市の子育て支援施設も視察しながら、漁業者がいる浜には訪れなかった。その日の会見で「関係者の理解なしに海洋放出はしないとの約束は順守するが、特定の人を関係者としたり、理解の程度を数値によって判断したりするのは困難」と当事者の存在をぼやかす発言をした。全漁連会長との会談前日には福島第一原発を視察しながら、地元に向けた発信を最後まで避けた。
先送りされてきた政治決断
「理解」とは何を指すものだったか? これは東電が15年8月25日付で野崎哲・福島県漁連会長あてに福島第一原発の汚染水対策の回答文書に記した文言だった。
〈漁業者をはじめ、関係者への丁寧な説明等必要な取組を行うこととしており、こうしたプロセスや関係者の理解なしには、いかなる処分も行わず、多核種除去設備で処理した水は発電所敷地内のタンクに貯留いたします〉
当時、相馬双葉漁協の小型船主会長だった今野さんらは、福島第一原発の汚染水との苦闘のさなかだった。原発事故直後に東電が放出した大量の汚染水のため漁自粛を強いられていた。魚介の安全を一種ずつ確かめる試験操業を始めて間もない13年7月、汚染水の海洋流出事故が発生。漁協が初出荷中のタコの値が暴落し、取引停止も起きた。流出事故隠蔽も発覚し、責任を追及された東電は汚染水を減らす対策に追われた。核燃料デブリの露出した原子炉建屋への地下水流入を防ぐ対策とともに、汚染水から放射性物質を除く「ALPS」(多核種除去設備)を稼働させた。問題は貯留された処理水の処分方法に移り、今に至る。
「海洋放出」は13年9月、日本原子力学会の原発事故調査委が最終報告案で「自然の濃度まで薄めて放出」を初めて提案。16年4月に政府「トリチウム水タスクフォース」が、地層注入、海洋放出、水蒸気放出、水素にしてから大気放出、固化・ゲル化し地下埋設――の案から、「海洋放出が最も短期間、低コスト」と試算した。以後、閣僚らの「放出やむなし」発言が相次いだが、政府は決断せず、さらに処分検討を政府小委員会に預けて時間を費した。何が被災地に負担をかけぬ方策かを慮ったのでなく、政府がもとより選択したいのは海洋放出案だった。18年になって福島や東京で意見聴取会を始めたが、不安や反対が多数を占め世論づくりは進まず、政府はまた決断を先送りした。
「海洋放出が現実的と判断した」と、菅義偉首相(当時)が発表したのは21年4月。処理水貯留の限界が近く切羽詰まった事情や、夏の東京五輪、秋の衆院選への影響など政治を優先し、当事者たちとの対話も、国民的「理解」醸成もないままの「2年程度後の放出」の基本方針決定だった。
待っていたIAEAの「錦の御旗」
『政府「錦の御旗」手に/反対、不安 沈静化狙う』。7月5日の河北新報の見出しが伝えた記事は、「処理水放出計画は国際的な安全基準に合致する」とした国際原子力機関(IAEA)の包括報告書を岸田首相が受け取り、国内外への説明を加速させる――との内容で、首相が待ちに待っていたものだった。放出に対し政府や国内世論の反発が強い中国、韓国への理論武装とし、経産相や復興相は相次ぎ東北の各県漁連へ説明に飛んだ。
しかし、放出決定直前の「錦の御旗」にどんな説得力があったのか。国と東電が原発事故と廃炉に最後まで責任を負う立場である以上、「原発事故がもたらした汚染水、さらに処理水の問題で漁業者たちは当事者であり、救済するのは当然だ。理論武装し、外堀を埋めるようにして決断を迫るのではなく、まず謝罪をして政治的解決に取り組むのが首相の責任で、その機会を政府がいたずらに先送りしてきたのは不誠実。それが、漁業者たちが反対の姿勢を崩さなかった理由ではないか」。被災地の浜の実情を調べ、福島県地域漁業復興協議会で試験操業以来、漁業者の取り組みに助言してきた濱田武士北海学園大学教授(水産政策論)は指摘する。
問題解決のため漁業者や国民に協働を求め、不安を抱く近隣の国々を主体的に説得しにゆくのを避けてきた理由の根は、安倍晋三首相(当時)が汚染水流出事故のさなかの13年9月、東京五輪招致の際に世界に宣言した「アンダーコントロール」(汚染水は完全に制御されている)発言にあったのではないか。それが政府を縛り続け、問題の露出を躊躇させたのではないだろうか。
地元漁師が何世代も生きる海
今野さんが組合長を担う相馬双葉漁協は、小型漁船が大半を占める。「当事者」たる理由は、漁場が浜通りの広野町から宮城県境の沿岸まで、福島第一原発の処理水が放出される海域そのものだからだ。「風評被害が他地方では数年で収まったとしても、地元の相馬双葉の私たちは最後まで取り残される。廃炉まで30~40年も放出は続き、渦中の海域で一生どころか、何世代も漁を続けるのが自分たち。その声をじかに聴いてほしかったのだ」。
放出が実施されても、「汚染水流出事故の時のように、漁を中止にしない」と漁協内で話し合ったという。経産省は風評で魚介の値が下落した場合の買い取り、冷凍などに300億円、漁業継続のための新漁場開拓や燃料負担増の支援に500億円を盛る基金を新設した。だが、それも全漁連など漁業団体を対象とする基金で「福島枠」などなく、風評が全国で起きれば個々への支援額は微々たるものとみるが、今野さんは前を向く。
「この漁協では原発事故後、水揚げした魚の放射性物質の有無を魚市場の検査室で調べ、50ベクレル/キロを超えた場合は出荷を停止する態勢にある。国の基準(100ベクレル/キロ)より厳しいレベルで安心安全に食べてもらえる魚を出荷してきた。厳しい検査結果が一番確かな安全の証明だ。また苦しい時期につながった消費者との信用が強みになる」
相馬双葉漁協では震災後に漁船に乗った後継者が約100人もいる。高齢化と担い手減少が悩みの漁業現場では異例である。今野さんら父親世代は津波襲来時に船を沖出しして100隻余りを救い、原発事故にも屈せず海のがれき掃除、漁獲ゼロからの試験操業を貫徹した。
「私の息子も、同世代の仲間たちも苦境の時に船に乗り、後継者になった。地元の海は魚介が豊富で、温暖化で従来の魚が獲れなくなっても、トラフグやタチウオなど新顔の水揚げが増えている。魅力も可能性もある宝の海だ。若い世代が未来まで展望を抱ける支援を、国は真剣に考えてほしい」
首相にとっては「政治日程」の一つかもしれないが、漁業者には何世代も生きる海を「宝」のまま守れるかどうかの問題なのだ。