ウクライナ讃歌
ウクライナ讃歌 (22)

第4部 ヴィクトリヤの軌跡(6) ジャーナリズムなき荒野

執筆者:国末憲人 2025年10月1日
エリア: ヨーロッパ
ドミトロ・ヒリュク(中央)はロシア軍の侵攻開始からまもなく自宅で拉致された。最初から狙われていたと考えられる[捕虜交換でウクライナに帰国したヒリュク=2025年8月24日、撮影地は非公開] (C)REUTERS/Maksym Kishka
捕虜交換の対象だったはずのヴィクトリヤは、臓器の一部を失った身元不明の遺体として帰国した。ロシアが死因の特定をできないように解剖したと指摘される。謎に包まれた死亡直前の経緯について、つい先日の9月24日には、ヴィクトリヤがウラル山脈のふもとの街キゼルまで移送されて死亡したとの新事実が報じられた。ロシアではいま、アレクサンドル・マルケヴィッチのメディアグループのような政権の宣伝機関が急伸長し、一方では居場所すら判明しないケースも多い26人のジャーナリストの拘束が続いている。ジャーナリズムなき荒野で、ジャーナリストたちの戦いは続いている。

 

 使命感にかられるあまり、自らの安全も省みずに占領地に突っ込んでいったヴィクトリヤ・ロシナ(1996-2024)は、見方次第で常識外れのジャーナリストだといえるだろう。もし日本だったら「自己責任」との非難が出たかもしれない。

 ただ、ヴィクトリヤがロシア占領地で受けた待遇は、特異ではあっても、決して例外的ではない。むしろ典型的である。ロシア占領地に残されたジャーナリストたちのほぼ全員が同じ問題に直面しているからである。

「ヴィクトリヤの例は確かにドラマティックですが、他にも似たような例はあります」

 パリに本部を置く「国境なき記者団」のウクライナ地域マネジャー、ポリーヌ・モフレ(30)は語る。

「国境なき記者団」のウクライナ地域マネジャー、ポリーヌ・モフレ

26人が拘束

 モフレは、ヴィクトリヤの軌跡を追う調査報道専門ニュースサイト『スリドストヴォ・インフォ(調査情報)』の記者ヤニナ・コルニイェンコ(29)の取材に協力する一方で、占領地で記者らが置かれた状況について以前から調査を続け、警告を発してきた。彼女によると、占領地で拘束されたジャーナリストは、2014年から占領されているクリミア半島や紛争状態にある東部ドンバス地方も含めると、2025年8月7日の取材時点で28人に及んでいた。その結果、独立したジャーナリストは占領地に1人も残っていない。

「現地でジャーナリストと称する人は、ロシアの偽情報をばらまく人とか、親ロシア派のブロガーとかに限られます。停電も頻繁なことから、人々は多様な情報へのアクセス手段を奪われている。泡の中に閉じ込められ、他の世界から孤立させられた状態です」

 ジャーナリストが置かれた状況を示す一例は、ザポリージャ州南部の中心都市メリトポリで起きた出来事である。

 占領から約1年半を経た2023年8月20日の明け方、この街のジャーナリストら少なくとも4人が拉致された1。その後しばらく行方がわからなかったが、ロシアの体制側テレビは10月29日、この4人を含む6人の記者やメディア職員が拘束されている映像を放映した。6人はオンラインニュース『RIA-メリトポリ』とテレグラムニュースチャンネル『メリトポリ・ツェ・ウクライナ(メリトポリそれはウクライナ)』の記者や職員で、テロの呼びかけやテロ正当化、テロのプロパガンダ、反逆、スパイ行為の罪に問われた2

 ロシア南西部ロストフにある南部軍管区の軍事裁判所は2025年9月2日、そのうちの1人で『RIA-メリトポリ』の管理者ヘオルヒー・レウチェンコ(36)に禁固16年の判決を言い渡した。彼のメディアが「反ロシア親ウクライナのプロパガンダに携わったほか、ロシア軍の展開に関する情報をウクライナ情報機関に連絡し、月2万フリブニャの報酬を得ていた」と糾弾された。

 続いて3日には、『メリトポリ・ツェ・ウクライナ』の管理者の1人ウラディスラウ・ヘルション(27)がテロの罪で禁固15年の判決を言い渡された。彼は判決前に家族に当てた手紙で「毎朝が地獄だ」と綴り、収容状況の過酷さを示唆していた。

「国境なき記者団」東欧中央アジアデスク長のジャンヌ・カヴリエは「これは、裁判ではなく政治的見世物だ。占領地での独立ジャーナリズムを犯罪として扱うために、ロシアは法制度を利用している」と批判するコメントを発表し、拘束されたジャーナリストらの即時解放を要求した3

 拘束された記者らの大半はクリミア半島や東部ドンバス地方、南東部ザポリージャ州などロシア占領地の地元ジャーナリストだが、1人だけ首都キーウ近郊の人物がいた。ウクライナの民間通信社『ウニアン通信(ウクライナ独立通信)』の記者ドミトロ・ヒリュクである。

カテゴリ: 軍事・防衛
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執筆者プロフィール
国末憲人(くにすえのりと) 東京大学先端科学技術研究センター特任教授、本誌特別編集委員 1963年岡山県生まれ。85年大阪大学卒業。87年パリ第2大学新聞研究所を中退し朝日新聞社に入社。パリ支局長、論説委員、GLOBE編集長、朝日新聞ヨーロッパ総局長などを歴任した。2024年1月より現職。著書に『ロシア・ウクライナ戦争 近景と遠景』(岩波書店)、『ポピュリズム化する世界』(プレジデント社)、『自爆テロリストの正体』『サルコジ』『ミシュラン 三つ星と世界戦略』(いずれも新潮社)、『イラク戦争の深淵』『ポピュリズムに蝕まれるフランス』『巨大「実験国家」EUは生き残れるのか?』(いずれも草思社)、『ユネスコ「無形文化遺産」』(平凡社)、『テロリストの誕生 イスラム過激派テロの虚像と実像』(草思社)など多数。
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