日露「文化・学術交流」「民間外交」が諜報と影響工作の起点になるリスク:ロシア情報機関の視点から(下)
制裁下の民間外交
2025年9月、ロシアのウクライナ全面侵攻を受けて日露政府間関係が停滞する中、日本財団の笹川陽平名誉会長が訪露し、ロシア正教会キリル総主教らと会談、「ロシアの知識人でつくる団体」ヴァルダイ討論クラブと学術交流に関する覚書を交わしたと報じられた。笹川氏はモスクワの在露日本大使公邸での会見で「民間レベルで教育や文化、芸術を通じた両国交流を続けることが重要だ」と訴えた24。
一方、ロシア側から見える風景は異なる。侵攻後、欧米や日本は外交官カバーで活動するロシアの諜報員を多数追放した。こうした状況で、ロシア情報機関にとって民間・文化交流チャネルの戦略的価値が相対的に上昇している。
先例は冷戦期にもある。1968年のチェコスロバキア侵攻、1979年のアフガニスタン侵攻を受けて、東西関係は冷却化したが、一部の西側知識人はソ連との学術・文化交流を継続した。諜報員養成のための国家保安委員会(KGB)の教本『諜報活動への訪問団及び観光の利用』は次のように指摘する。
諜報・工作環境が悪化し、資本主義諸国における「リーガル」駐在所[注:外交官身分の諜報員]の活動が困難な状況下で重要な意義を持つのは、観光、文化・学術交流などのチャネルでさまざまな期間にわたりソ連に滞在する外国人に対する諜報活動である25。
また、KGB教本は、文化・学術交流のチャネルを利用して西側の制裁を迂回し、諜報員やエージェントを海外に展開することの有用性も説いている。
大飢饉から始まったソ連の「民間外交」
2025年9月の日本の学者とサンクトペテルブルク国立経済大学との「学術交流」(「上」の「侵略戦争を支持する大学」参照)で、共催団体のサンクトペテルブルク国際協力協会のマルガリータ・ムドラク理事長は、現行の国際情勢を踏まえ民間外交(パブリック・ディプロマシー)の重要性が一層高まっていると強調した。ムドラクは、2019年の論文でも、民間外交を「外国のオーディエンスに影響を与え、情報発信・関与・影響力の行使を通じて、自国の国家的利益を推進する活動」と定義し、ロシアに次々と科される制裁という文脈でロシア国家指導部もその有効性を認めていると主張している26。
同協会は、今年創立100周年を迎えたロシア国際協力連合(RAMS)の傘下にあり、その前身は1925年創設の全連邦対外文化連絡協会(VOKS)に遡る27。その歴史を簡単に振り返ってみる。
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