無極化する世界と日本の生存戦略
無極化する世界と日本の生存戦略 (24)

第2次トランプ政権の2025年国家安全保障戦略を読む(後編)――アメリカの「絞り込まれた国益」とは何か

執筆者:森聡 2025年12月19日
エリア: 北米 グローバル
アジアのセクションでは経済重視の姿勢が表れている[APEC首脳会議のため訪れた韓国で米中首脳会談を行ったトランプ大統領(中央左)と習近平中国国家主席(中央右)=2025年10月30日、韓国・釜山](C)EPA=時事
今回の国家安全保障戦略で最も重視されたのは、西半球における地域覇権の確立だ。ロシアは安全保障リスクとして扱われず、欧州については右派の伸長により「文明の消滅」を回避して、ロシアに向き合うべきだとされている。中国はアメリカから不当に富を奪い、社会・政治に干渉して「絞り込まれた国益」に直接的な害悪をもたらしているとみなされた。ただし、台湾問題では必要以上に刺激せず、集団防衛のコストを同盟国やパートナー国と分担する方針を強調した。トランプ政権は米中関係を勢力均衡のイメージで捉えており、これは対中姿勢の振れ幅に不確実性が残ることを示唆している。

 

ポストプライマシーの戦略

 経済と並ぶ「絞り込まれた国益」の柱である本土の安全保障、すなわち本土防衛の最優先化は、ジョージ・ワシントン政権以来、すべての政権がやってきたことなので、なにも異例なことではない。第2次トランプ政権の地域関与については、これまでも本土・西半球が最優先化され、それに次いでインド太平洋、そして欧州・中東などが続くといわれてきた。事実、欧州と中東へのアメリカの軍事的関与を後退させる方針が示されたが、第Ⅳ章第3節に示された地域の序列化については、大きなサプライズはなかったといえよう。

■「関与を強化する地域」と「後退させる地域」を選別

 むしろ興味深いのは、地域ごとに関与の論理と形態が大きく異なっているということであろう。世界各地で地政学的な影響力を確保し、貿易・投資・金融で経済的な優位を維持するプライマシーの戦略から、関与を強化する地域と後退させる地域を選別するポストプライマシーの戦略へと転換を図ろうとしている。これが思惑通りに進むかどうかはさておき、差し当たり注目すべき点として以下を挙げたい。

 第一に、地域安全保障は、第一義的には地域諸国の問題であり、アメリカは自らの利益が脅かされる範囲で相応の関与を行うという意識が見える。この文書では、地域の集団防衛において、同盟国やパートナー国が第一義的な責任とコストを負うべきだということが強調されている(12頁)。また、アメリカは「負担分担ネットワーク」を組織し、地域安全保障における役割を拡大する国々に対しては、商業面での優遇、技術の共有、防衛装備品の調達などで協力・支援するとしている(12頁)。

 第二に、他方でこの政権は「柔軟な現実主義」なる標語の下で、政治・社会体制の異なる国との良好な関係を追求することに問題はないという立場をとっている(9頁)。しかも「より大きく、より豊かで、より強い国家が持つ過大な影響力は、国際関係において時代を超えてみられる現実である」とも述べられている(10頁)。したがって、アメリカは自国の重要な利害があると考える地域(西半球とアジア)への関与は強化ないし維持するが、基本的に欧州の安全保障は、欧州諸国のロシア問題であり、アジアの安全保障は、アジア諸国とアメリカの中国問題であり、西半球の安全保障は、アメリカの勢力圏問題であるという理解があるように見える。

 第三に、NSS2025の根底には、国際機関や覇権国の支配といった、主権国家の独立を制限する要因さえ除去されていれば、主権国家が各々の利益を追求してしのぎを削り合うものの、そこから自ずと平和と発展の道が開かれるという、語られざる前提がありそうだ。これは「小さな政府」を前提に、個人の自由と自己実現の機会が保障されていれば、個人や企業、ひいては市場・経済が発展するという共和党がアメリカにみる原風景に符合する、いわば消極的自由の世界観とでもいえよう。それがどのような世界なのかについては、引き算の定義しかないので、ビジョンと呼ぶべき要素はやはりない。戦略全体を通して、貿易や民間投資への言及が随所にあり、世界はアメリカのビジネスの舞台としてみなされ、地政学的競争の将棋盤という意識は、インド太平洋地域を例外として希薄である。

地域覇権と勢力均衡の戦略

 まずトランプ政権がアメリカの「核心的な安全保障上の利益」があるとみる地域には、軍事的関与を

フォーサイト最新記事のお知らせを受け取れます。
執筆者プロフィール
森聡(もりさとる) 慶應義塾大学法学部教授、戦略構想センター・副センタ―長 1995年京都大学法学部卒業。2007年に東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。法政大学法学部准教授、同教授を経て2022年より現職。著書に『ヴェトナム戦争と同盟外交』(東京大学出版会)、『国際秩序が揺らぐとき』 (法政大学現代法研究所叢書、共著)、『ウクライナ戦争と世界のゆくえ』(東京大学出版会、共著)、『アフターコロナ時代の米中関係と世界秩序』(東京大学出版会、共著)、『アメリカ太平洋軍の研究』(千倉書房、共著)などがある。博士(法学)。
  • 24時間
  • 1週間
  • f
back to top