二つの民族間で揺れるベルギー王室の挑戦

執筆者:大野ゆり子 2010年1月号
エリア: ヨーロッパ

[ブリュッセル発]フランクフルト発ブリュッセル行きの飛行機に乗ったときのこと。私の一列前のエコノミークラスの席に、上品な物腰の夫婦が座った。通り過ぎる客室乗務員に「ボンジュール」と声をかけ手を差し出している。挨拶するのは普通でも握手をする人は珍しい。何気なく見るとベルギーの皇太子夫妻だった。王室でも私用では節約のために格安航空券を購入する時代。先日もスペイン王妃が十五ユーロのチケットを予約したとニュースになった。皇太子妃が読んでいる雑誌が何か覗きこみたい欲求にかられたが、思いとどまったのは、周りの乗客が誰も特別な視線を向けていないからだ。写真を撮る人ももちろんいない。
 ベルギー人が王室のプライバシーに関心を寄せないことは、現国王アルベール二世に庶子の存在が明らかになった時のエピソードからも窺い知れる。イタリアから嫁いだ王妃と国王は一九六〇年代に別居していた時期がある。この間、国王はある貴族の既婚女性との間に娘をもうけていた。娘が三十歳になるまで伏せられていたこの事実は、一九九九年十月、オランダ語圏のジャーナリストが書いた王妃の伝記の中で突然明らかにされる。王室広報官は当初、沈黙を守り続けたが、やがて仏「パリ・マッチ」誌などに娘自身が登場すると、国王も国民に何らかの説明をする必要が出てきた。恒例になっているクリスマスの国民向けメッセージで、アルベール二世は突然この件について口を開いた。
「クリスマスというのは、家族に思いを馳せる良い機会です。思い返すと王妃と私には幸福な時期も、三十年ほど前に危機を迎えた頃もありました。二人で力を合わせて危機を乗り越え、お互いに深い愛情を取り戻したのです。最近、あの時期を思い起こさせられる機会がありました。私生活の範疇であるこの話題について長々と述べるつもりはありません。ただ、もし皆さんの中に今、似たような問題を抱えておられる方がいらしたとしたら、私たちが今こんなに幸福になったという生きた実例をご覧いただいて、希望を持っていただけたらと思います」
 この有名なスピーチでスキャンダルは終結したのだった。

カテゴリ: カルチャー
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執筆者プロフィール
大野ゆり子(おおのゆりこ) エッセイスト。上智大学卒業。独カールスルーエ大学で修士号取得(美術史、ドイツ現代史)。読売新聞記者、新潮社編集者として「フォーサイト」創刊に立ち会ったのち、指揮者大野和士氏と結婚。クロアチア、イタリア、ドイツ、ベルギー、フランスの各国で生活し、現在、ブリュッセルとバルセロナに拠点を置く。
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