“熱帯への進軍”最前線を歩く(11) 人民政府前で考えた「不正・腐敗」という中国人の本質
ミャンマー北部・東北部と国境を接する雲南西部辺境を歩くと、清朝末期の中国への進攻に賭けたイギリスの野望の痕跡がみられる。そこでイギリスが1899年に領事館を置いた騰冲(かつては騰越と呼んだ)へ向かうことにした。
「滇緬公路は、龍陵の街を貫いて東山の前方に延び、そこで三叉路になる」
「右へ行けば拉孟に至る。左が騰越へ行く道である」
と作家の古山高麗雄が『龍陵会戦』(文春文庫、2003年)で綴っているように、龍陵市街の中心を貫く大通りを東に抜け、突き当りの三叉路を左折して進めば騰冲に行けると考えていた。だが、現地の案内役の話では、龍陵から騰冲の間の道路事情が悪く、走行は無理とのことだった。

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