ある朝起きてみると、鼻がなくなっている。鼻があるはずの場所は、のっぺりとしたパンケーキのようになってしまい、美男子を自任していた男は、呆然となり、他人を逆恨みし、やがて自分の「鼻先」をかすめて逃げ回る鼻を追い掛け回す――。 最低気温マイナス三十度まで落ちた一月中旬、モスクワに到着して、突然ゴーゴリの小説「鼻」を思い出した。通常の冷凍庫の温度設定がマイナス二十度。それよりも十度低い温度では、鼻はなすすべがない。ロシア人の友人が、耳まですっぽり隠れる毛皮の帽子を貸してくれたので、それを被り、靴下やセーターを重ね着し、手袋をはめ、マフラーをぐるぐる巻きにし、できる限りの防寒は心がけた。

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