遠い昔、大和朝廷は唐の制度に学んで中央集権の国家体制を作った。ところが学ぶというのは始末におえないもので、長所と共に短所も学ぶ。寡聞にして「日本賄賂史」といった研究書は未見だが、私はひそかに官吏腐敗の淵源はシナからの学習にあると睨んでいる。 知事の弟が調整した福島県の談合、梶原拓知事時代の岐阜の役人が行なった裏金づくり――とどのつまりの五百万円現ナマ焼却などは、いまに始まったことではないはずだ。 平安朝、すでに内親王や才女たちを運んだ牛車の納入をめぐって、談合が行なわれていたのではないか。また平清盛が西八条の館で催した大宴会の支払い伝票は、半分くらい後白河上皇にツケ回しされたのではないだろうか。
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