「陳平」「ボー・グエン・ザップ」の死――「民族解放の時代」の終焉

執筆者:樋泉克夫 2013年10月17日
エリア: アジア

 この「東南アジアの部屋」を始めてから程なく、

「いずれにせよ近い将来に陳平に訪れるだろう“死”はマレーシアの反政府武装闘争史の最終章を意味するだけでなく、かつて北京が華々しく展開していた武装闘争中心の東南アジア政策への晩鐘となるだろう」

 と記し、かつて“革命の輸出”を掲げていた時代の中国共産党の圧倒的支持を背景に、総書記としてマラヤ共産党(馬共)を率い、マレーシアとタイの両国国境にまたがる森林地帯で反政府武装闘争を率いた陳平が危篤状態に陥ったことを報告したことがある。

 福建省福清市の出身の客家を祖先に持つ陳平の本名は、王文華(ONG Boon Hua) 。1924年に現在のマレーシアのベラ州で生まれている。父親は自転車の販売と修理を生業としていたという。幼少期は華僑学校と英文学校で学んだようだが、10代の半ばに読んだ毛沢東の『持久戦論』に惹かれて40年にマラヤ共産党に入党し、マラヤ人民抗日軍を組織し、47年には23歳の若さでマラヤ共産党総書記に就任。以来、一貫してマラヤ共産党を指揮してきた。

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執筆者プロフィール
樋泉克夫(ひいずみかつお) 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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