Bookworm
Bookworm(43)

藤井太洋『ハロー・ワールド』

評者:杉江松恋(書評家)

ネット情報技術の最先端を
題材に“未来の可能性”を描く

ふじい・たいよう 1971年、奄美大島生れ。2012年、電子書籍で個人出版した『Gene Mapper』が話題となり、翌年、完全版刊行。『オービタル・クラウド』で日本SF大賞受賞。

 ドイツがまだ東西に分断されていた1983年、歌手のウド・リンデンベルクは「パンコウ行き臨時列車」の歌詞に当時の東ドイツ最高権力者エーリッヒ・ホーネッカーの名を出し、俺を東ベルリンで歌わせろよ、と挑発した。西側のラジオでウドの曲が流されれば、東側でも聴く者は出る。ベルリンの壁は電波まで遮断できず、情報は国境を越えて飛び交った。そして1989年、壁が壊されてドイツの統一がなし遂げられる。
 情報の自由な流通が体制を揺るがす最も効果的な方法だということを前世紀の劇的な体制の変化は証明した。世界に普及したインターネットは、そのための最大の武器である。
 だがインターネットは、いつも壁を壊すために使われるわけではない。逆に壁を強化し、情報を統制するための道具になることもある。そこは永遠に自由な場所ではないのだ。
 藤井太洋『ハロー・ワールド』は、インターネットの自由を守るために何かをできないか、と考える技術者たちの物語だ。5篇から成る連作短篇集であり、それぞれがブラウザアプリ、ドローン、ウェブニュース、SNS、仮想通貨といった話題を扱っている。情報技術の今を知るために読むのも、もちろんありだ。
 SNSについて書かれた「巨象の肩に乗って」は2017年に雑誌発表された全短篇の三指に入る作品だと私は考えている。情報技術者の文椎泰洋(ふづいやすひろ)はある日、ツイッターが中国でも使えるようになったことを知り衝撃を受ける。それは運営会社が、中国当局に利用者の情報提供を始めたことを意味するからである。ツイッターの勝利どころか敗北だ。体制の支配から離れた自由な場を確保できないかと考えた文椎は、ある着想を実行に移す。それがどんな影響を引き起こすかは、まるで考慮せずに。
 題名の「巨象」は実在するプログラム、マストドンのことである。マストドンについてのわかりやすい解説が導線となって、読者は物語の中に引き込まれていく。現実にはまだない、しかし存在してもおかしくない技術が描かれ、それによって作り出された状況が展開していく。1つの技術を通じて現実と虚構が物語の中で接続するのである。
 巻末の「めぐみの雨が降る」は、情報技術の恩恵が一部に独占されている現実を指摘し、それを広い層に開放しようとする物語である。各篇に共通するのは、未来はまだ技術によって改変可能であるという強い信念だ。ありうべき世界はそこにあると藤井は言い、ハローと呼びかける。

 

様々な文化に寛容でい続けるには 評者:都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)

 自分自身であり続けるって、こんなに難しいことなんだ。12歳のとき、父親の仕事の都合でオーストラリアにやって来た真人(まさと)は、マットと名前を変えて現地に溶け込もうとする。けれども上手くはいかない。高校生になった彼に立ち塞がるのが、転校生であるもう1人のマットだ。

 彼は真人を「ジャップ」と罵り、蔑みの目を向け、教師に隠れて彼に暴力を振う。ついにこっそり真人の自転車に小便をかけていることがわかると、彼は我慢できずにマットを殴りつけてしまう。
 マットはただの人種差別主義者ではない。太平洋戦争中、ダーウィンの街を攻撃した日本軍はマットの祖父の人生をめちゃくちゃにした。その怒りを注ぎ込まれて育ったマットは、全ての日本人に対して強い嫌悪感を抱いているのだ。
 事情を知った真人は複雑な心境に陥る。確かに歴史を知らなかった自分も悪い。だがかつての日本軍と自分を同一視して憎む、というマットの姿勢はあまりにも無理解、かつ暴力的ではないか。「ジャップ」という差別語は真人の心の中で響き続け、彼から生きる力を奪っていく。
 岩城けいは一貫して、オーストラリアに住む移民がどういう心境の変化を通過するかを描いてきた。複数の文化を生きることの血を吐くような苦しみと喜びを、日本語でここまで書いている作家はいない。
 マットに対して真人は思う。「ひとつの名前だけでなんでも済んで、ひとつの言葉だけを操って他の言葉に操られたことなんかなくて、ひとつの国、自分の国だけでぬくぬく生きてきたあいつなんかに、これだけは、絶対に文句言わせない」。そしてこの言葉は、日本に住む我々にも突き刺さる。
 ホロコーストを生き延びた老人、自殺する中国人の級友など、様々な人々と出会いながら真人は考え続ける。そして、どうしたら寛容でい続けることが出来るのかを学ぶ。彼の気づきは我々にとっても貴重だ。

 

江戸の経営コンサル所「唯力舎」
を舞台に描く“人情の機微”  
評者:縄田一男(文芸評論家)

 往年のTV時代劇に近衛十四郎主演の「素浪人花山大吉」があった。足の向くまま気の向くまま旅をする大吉の稼業は相談屋――つぶれそうな旅館があれば再建してやり、流行らない居酒屋があれば繁盛店にしてやる。現代風にいえば正に経営コンサルタントだ。

 それから幾星霜、ここに再び経営指南を伝授する唯力舎(ゆいりきしゃ)なるコンサル所が登場した。主は小普請(こぶしん)・一瀬(いちのせ)家の養子、一瀬唯力(ゆいりき)。彼とタッグを組むのは、やはり、小普請・紗六(しゃろく)家の当主で謎の武術・馬律(ばりつ)流(バリツといえばシャーロック・ホームズが体得していた東洋の武術ではないか⁉)の宗家の道場主でもある新右衛門だ。
 さて、唯力が登場するや、たちまちにして米屋の営業不振と、紗六家の財政危機を解決してしまう。
 それだけではない。この唯力、鉄火場のもめごとから、汲み取り料のトラブルまで次々と解決。
 その間に、「私が(経営)指南する時には、必ず、お金儲けの先にあるものを考えてもらっています」と箴言(しんげん)めいたものを吐くから只者ではない。
 この他にも、紗六家の中間(ちゅうげん)で小兵(こひょう)ながら馬律の達人・又三、馬律流門人で五条家の娘・智佐(ちさ)、人斬り稼業に堕ちるところを唯力舎の用心棒に拾ってもらった近藤助次郎ら多彩な人物が登場、物語はどんどん面白くなっていく。
本書の底流には、見栄を張って強がっていても、作中人物が抱えている人情の機微がそこはかとなく流れており、万人にお勧めできる1巻となっている。
 そして、吉原の元幇間(ほうかん)で、危うく鉄漿溝(おはぐろどぶ)に沈められそうになった飛車の四平を救けるや、物語はいよいよクライマックスへ――。
 最終章でこれまでの挿話がすべて伏線として回収されていくさまは見事という他はない。
 読んでいて思わず微笑まずにはいられぬ1巻だ。

 

「実録」の世界を生んだ
脚本に込められた気迫 
評者:碓井広義(上智大学教授)

 脚本は映画の設計図であり海図だ。制作側も出演者も、そこに書かれた物語と人物像を掘り下げ、肉付けしながら完成というゴールを目指す。

 1973年に公開された映画『仁義なき戦い』は脚本家・笠原和夫の代表作だが、監督した深作欣二、俳優の菅原文太や松方弘樹にとっての代表作でもある。それまで約10年にわたって人気を得ていた「任侠映画」に代わる、「実録やくざ映画」という新ジャンルの出現だった。
 本書には『仁義なき戦い』『同・広島死闘篇』『同・代理戦争』『同・頂上作戦』のシリーズ4作をはじめ、名作『県警対組織暴力』や未映画化作品の『沖縄進撃作戦』『実録・共産党』などが収められている。
 特に第1作の『仁義なき戦い』は脚本で読んでもスクリーンの熱気が伝わってくる。いや、逆だ。脚本に込めた笠原の気迫が熱い作品を生んだのだ。テンポのいい場面展開。人物たちの動きがよくわかる簡潔な「ト書き」。そして強い印象を残した名セリフがそこにある。
 若衆頭の坂井鉄也(松方)が、ふがいないくせに威厳だけは保とうとする組長、山守義雄(金子信雄)を叱りつける。「あんたは初めからわしらが担いどる神輿じゃないの。組がここまでなるのに、誰が血流しとるんや。神輿が勝手に歩けるいうんなら歩いてみないや、のう!」
 また映画のラスト。坂井の葬儀に現われた主人公の広能昌三(菅原)が、祭壇に向かって銃弾を放つ。意地で一喝する山守に、拳銃を持ったまま振りかえった広能が静かに言うのだ。「山守さん……弾はまだ残っとるがよう……」
 公開の翌年、作家の小林信彦が『キネマ旬報』に寄稿した、「『仁義なき戦い』スクラップブック」という文章がある。その中で「実録とは人間喜劇」という笠原の言葉通り、この映画の面白い部分は「裏切りが続出し、だれがどっち側か分からぬ」ところにあると喝破していた。

(『週刊新潮』11月8日号より転載)

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