超金融緩和で支えたマネー市場に「アメリカ景気回復」という皮肉なリスク

1.9兆ドルの経済対策法案に署名するバイデン米大統領。21年のアメリカ経済は6.5%成長の見通し(C)EPA=時事

3月29日、野村ホールディングスは米子会社と顧客の取引で約2200億円の損害が生じる可能性を発表した。日米欧の国際金融のプロたちが総掛かりでコロナ禍対応の超積極財政と超金融緩和のセットで経済を支える中、株式・債券市場の水面下では米中対立、米景気回復がもたらす金利上昇、そしてサウジアラビアによる原油市場の価格操作といった火種が燻り続けている。

 ブロック取引(証券会社との間の大量取引)による嵐のような売りが、3月26日の米国株市場を揺さぶった。引き金はゴールドマン・サックスによる大口売り、モルガン・スタンレーなどが後を追った。大手投資会社のアルケゴス・キャピタル・マネジメントが先週、保有株の下落で打撃を被り、ゴールドマンを通じて105億ドル(約1兆1500億円)もの株式を投げ売りしたという。

 そんななか週明けの3月29日、野村ホールディングスが米国の顧客との取引で巨額損失が生じる可能性を発表した。3月26日の市場混乱が引き金で、野村からその顧客に対する請求額は26日時点の市場価格ベースで約20億ドル(約2200億円)にのぼる。

 野村はヘッジファンドに対して金融サービスを提供するプライムブローカレッジと呼ばれる業務のアクセルを踏んでいた。アルケゴスに対しても融資などの形で関与していただけに、巨額損失を出したとしても不思議ない。それにしてもアルケゴスの保有していた百度(バイドウ)など中国銘柄に対する売り背景には、米中対立によりこれら中国企業が米証券取引所で上場停止となる可能性が指摘されている。

 売りの火砕流に飲み込まれたアルケゴス保有銘柄には、バイアコムCBSやディスカバリーなど人気だった米メディア銘柄もある。2008年9月のリーマン・ショックの前にも、ゴールドマンはウォール街の大手金融機関のなかで早くからまとまった株式の売りに出ていた。今回もゴールドマンのブロック取引の大量売りは気になるところ。市場変調の兆しなのだろうか?

「異次元緩和」がなければ過去8年は「ゼロ成長・ゼロインフレ」

 今回の騒動の背景にあるのは、「証拠金債務(マージン・デット)」つまり株式を購入するための借り入れの積み上がりである。つまり、①投資家がある株を100買い、それを担保に50の資金を借り同額の株を買う、②そして、それを担保に25の株を買う、③さらに、それを担保に12.5の株を買う……。これを続けると、投資家は結局は元手の2倍まで株を買える。株価が上昇すれば、担保価値が上がるので、さらに借り入れができる。逆に、株価が下がれば、担保価値が下がって追証(追加担保)の差し入れが必要となる。

 この証拠金債務は今年2月には前年同月比で50%も急増している。最高値圏にある米国株は、総額8000億ドル(約88兆円)に達する証拠金取引の上に築かれた「カードの家」である。株価の上昇には乗り遅れたくないが、いったん空中の楼閣から足元を見ると借金の山に目がくらむ。米国の投資家たちは今、そんな心境にある。

 良い話と悪い話、どちらから聞きたい? バブルのリスクを承知で株式を買い上げている投資家の気休め材料があるとしたら、主要国の政策担当者に手慣れた面々がそろっていることだろう。2021年は国際金融のプロたちが要職を担う、一種の「惑星直列」が生じている。1枚の写真から始めよう。

黒田東彦日銀総裁、ジャネット・イエレンFRB議長(現、米財務長官)、マリオ・ドラギECB総裁(現、イタリア首相)。2017年8月、ジャクソンホールでの金融当局者会合で筆者撮影

 17年8月、米ワイオミング州のジャクソンホールで開いた恒例の金融当局者の会合である。会合は秘密会だが、コーヒーブレーク時に当時のジャネット・イエレンFRB(米連邦準備理事会)議長、マリオ・ドラギECB(欧州中央銀行)総裁、黒田東彦日銀総裁の3人が談笑する姿を報道陣にアピールしたのだ。スマホで撮影したその時の写真だ。

 ジャクソンホールの三銃士とその仲間たちが今ほど政策のカジ取りの前面に出ている時はない。ジャクソンホール・プット(市場の安定役)である。

「長短金利操作の誘導目標を変更するつもりはない」。21年3月5日の衆議院財務金融委員会で、黒田日銀総裁はそう明言し、日本の長期金利上昇に歯止めをかけた。折しもジェローム・パウエルFRB議長が米長期金利の急上昇をけん制し切れなかった後だっただけに、世界的な金融市場の動揺連鎖を日本で食い止めたともいえる。

 そして3月19日の日銀金融政策決定会合。日銀は上場投資信託(ETF)購入と長期金利誘導の微調整を決めた。株式のETFについては、年6兆円という購入のメドを取り払った。株高局面は購入を見送り、市場の混乱時に積極的に買う姿勢を明確にしたのである。

 長期金利の変動幅は0.05%ほど広げたが、これは金利が大幅に上昇する場面での「連続指し値オペ制度」と合わせ技だ。連続は無制限に切れ目なく、指し値は固定金利、オペは購入のこと。つまり国債を固定金利で無制限で買い入れる措置を連続して行うものだ。

 ともに金融緩和の長期化に備えた決定。黒田総裁の残りの任期2年もいわゆる異次元緩和を続けるメッセージといえよう。実は13年4月に黒田日銀が異次元緩和に踏み切ってこの方、この異形の金融政策が独りで日本経済を支えてきた。今の局面でハシゴは外せない。

 日銀の試算によれば、異次元緩和による実質成長率の押し上げ効果は年平均0.9~1.3%、消費者物価押し上げ効果は同0.6~0.7%だった。これを実際の日本経済と比べると、黒田緩和抜きでは、ゼロ成長、ゼロインフレだったことが判明する。

 アベノミクスの成長戦略とは何だったのかと批判する向きもあろうし、2回にわたる消費税増税が成長戦略に水を差したとの指摘もあろう。ここではその当否には立ち入らない。有効求人倍率、物価上昇率、米長期金利をもとにはじいた自然体の長期金利が1%程度となるところを、日銀は国債の大量購入で長期金利はほぼゼロ%に押し下げた。差し引き1%分、金融を緩めたとだけ記しておこう。

 この金利低下で景気を支えたのだが、日銀の分析によれば、その波及経路は企業などの資金調達コストの低下による分が33%、株価による分が36%、為替による分が20%である。黒田日銀が株式や為替など金融市場への働きかけを重視してきたことが理解できるだろう。これが「黒田プット」である。

欧州でも長期金利安定はメインテーマ

 さて写真で向かって右のドラギ氏。19年10月末までECBの総裁を務めた後、21年2月には母国イタリアの首相となった。「ユーロを守るためには何でもやる」。欧州政府債務危機のさなかの12年、ECB総裁だったドラギ氏はそう宣言し、14年にはマイナス金利政策を導入した。

 今またコロナ禍で経済が土俵際に立つイタリアの首相に引っ張り出され、欧州連合(EU)から救済資金を導入するための人的担保となった。現金なもので、ドラギ氏の首相就任を機にイタリア国債のリスクプレミアム(危険性の上乗せ分)が解消し、ドイツ国債との利回り格差が縮小した。「ドラギ・プット」である。

 そこまでならEU域内の話にとどまるが、今年21年はイタリアが主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の議長国である。G20サミットは21年10月にローマで開くが、コロナ禍で傷ついた世界経済の立て直しには、ドラギ氏の国際金融人脈をフルに動員するほかない。

 その筆頭格はECBでドラギ氏の後任総裁になったクリスティーヌ・ラガルド氏だろう。ラガルド氏は前国際通貨基金(IMF)専務理事。世界経済と国際金融の火消し役を務め、ドラギ氏とはツーカーである。ラガルド氏は「国債利回りを注視している」と述べ、コロナ禍で苦しい欧州の長期金利の安定維持に腐心した。有言実行。3月11日のECB理事会では資産購入のペースを速めることを決め、利回り上昇のけん制に動いた。

米景気の回復局面で燻るインフレリスク

 もうひとり写真真ん中のイエレン氏は今や米財務長官。FRB議長時代にはドナルド・トランプ大統領に散々いびられたが、バイデン政権の経済閣僚の要として、今や水を得た魚のような活躍をみせる。「アクト・ビッグ(大きくやろう)」。財務長官の第一声は積極財政を本気で推進する意思表明だった。コロナ禍で落ち込んだ雇用を回復させ、経済を成長軌道に戻すための「高圧経済」路線を掲げている。

 イエレン長官の相棒はパウエルFRB議長である。パウエル氏はイエレン議長時代のFRB理事とあって、これまた両者はツーカーの間柄である。イエレン長官が積極財政のアクセルを踏む傍らで、FRBが金融緩和で支え役となる。これが高圧経済路線の基本構図だ。ただしその路線には債券自警団が敏感に反応し、米国を筆頭に世界の長期金利が上昇しだしている。

 コロナ禍とワクチン開発と、財政・金融政策、マーケットの関係を整理すると、3つの段階に分けらる。まず①のコロナが拡大しだした20年春。ワクチンは存在しない。米国は財政拡大、金融緩和で対処し、長期金利はゼロ%台まで低下。あふれた資金は株式市場に流れ込んだ。

 次いで②のワクチン登場。20年11月に米ファイザー社などが開発に成功し、12月には米国での接種が始まった。経済活動再開への期待感からニューヨーク・ダウ工業株30種平均は初めて3万ドルの大台に乗せ、米長期金利は低位安定が続いた。いいとこ取りの局面だ。

 そして③のワクチン接種が進展しだした足元の局面。経済活動の再開が本格化しつつあるなかで、バイデン政権が大型の追加経済対策に踏み切った。景気回復と積極財政に反応して長期金利が跳ね上がり、株式相場が荒れ模様となっているのである。

 いいとこ取りから春の嵐への変化のきっかけになったのは、皮肉にも従来予想を上回る米景気の回復見通しである。景気が回復するなかでの高圧経済路線となると、圧力鍋の蓋が吹き飛ぶことにならないか。そんな心配を投資家たちが抱きだしているのである。

 ともあれ経済協力開発機構(OECD)が3月9日に発表した世界経済予測をみよう。21年の実質成長率は5.6%になる見通し。昨年12月時点の予測は4.2%だったから、1.4%ポイントもの大幅な上方修正である。

 先導役は米国で、21年は6.5%成長の見通し。昨年12月時点の予測3.2%に比べて2倍あまりである。米国は22年も4.0%成長の見通しで、これまた0.5%ポイントの上方修正だ。中国の見通しが21年は7.8%、22年は4.9%なのと比べても、米国の復活ぶりは目を見張る。

 バイデン政権による大型経済対策。議会が可決した対策は総額1.9兆ドル。円換算で200兆円にのぼる。国民1人当たり最大1400ドル(約15万円)の現金給付をはじめ、花咲か爺さんよろしく巨額の財政資金をばらまく。そのマネーがひよっとしてインフレをもたらさないか、というのが市場参加者のリスク感覚なのである。

サウジは「市場心理」を使った油価操作にシフトしている?

 インフレとの関係で注目したいのは、国際商品市場の動向、なかでも原油である。原油の指標となるWTI先物は足元では1バレル60ドル近辺で推移している。コロナ禍で世界経済のお先真っ暗だった20年4月には一時、マイナス40ドルという、常識外の値段を付けていたのが信じられないほどだ。

 WTI先物の価格がマイナスとなった昨年4月の異常事態は、先物取引の期限が来て万一、原油の現物を引き取らざるを得なくなった場合、保管場所や保管コストを考えると、とてもやっていけない。お金を払ってもいいので、頼むから誰か引き取ってほしい――という意味である。

 世界経済の回復とともに原油の需要が持ち直し、あふれるマネーが投資先を求めて石油市場に流れ込んだ。需要回復と過剰マネーが原油価格持ち直しの表の顔だが、供給側の仕掛けも見逃せない。石油輸出国機構(OPEC)とロシアなど非加盟の主要産油国でつくる「OPECプラス」の存在だ。

 例えば21年3月4日のOPECプラスの決定。1バレル60ドル台まで上昇していたので協調減産を緩めるとの観測が支配的だったなか、現行の協調減産を4月もほぼ維持すると決めたのである。一肌脱いだのはサウジアラビアで、大規模な自主減産の継続を打ち出した。決定を受け原油先物は、1年2カ月ぶりの高値をつけた。

 サウジはこのところ原油価格維持の仕掛けを繰り返している。21年1月5日にも、2~3月に日量100万バレルの原油を自主的に追加減産すると表明し、新型コロナウイルスに伴うロックダウン(都市封鎖)で需要回復が鈍るとの懸念に対処した。サウジの発表を機に原油先物は、10カ月ぶりに1バレル50ドル台を回復した。

 こうして見ると、毎月開催するOPECプラスの閣僚会合が、市場参加者の心理に働きかけることを通じて、原油価格を操作していることがうかがえよう。ちょうどFRBが年8回、米連邦公開市場委員会(FOMC)を開き、世界の金融市場を掌の上で操っているのとソックリである。OPECプラスの閣僚会議は原油版のFOMC、サウジのムハンマド・ビン・サルマン皇太子は原油版のFRB議長といえようか。

 背景にあるのはサウジの石油戦略の大転換である。米国のシェール革命を安値攻勢で潰そうと、OPECは14年末に需給調整を放棄して安値競争を仕掛けたが、無残な失敗に終わった。サウジを中心とするOPECがシェアを回復できなかったのだ。そこで16年秋、原油価格回復のために、OPECだけでなくロシアなどOPEC非加盟の産油国にも仲間を広げた。

 これがOPECプラスで、世界の石油生産に占める割合はOPECが3分の1あまりなのに対し、OPECプラスは半分を超える。生産シェアが高まった分、仲間の結束が維持できれば、原油価格への影響力も強まる。価格維持のための減産を渋る国に対しては、サウジ自身が率先して減産することで範を示すのである。

 19年7月にはウイーンのOPEC本部で、OPECと10の非加盟産油国で合同閣僚会議を開き、協力憲章を採択した。OPECプラスが制度化され、結束が固まった結果として、市場参加者はOPECプラスを重視することになる。いきおいサウジの一挙手一投足に原油価格は敏感に反応している。

 サウジはムハンマド皇太子が国家と経済の近代化計画「ビジョン2030」を掲げている。その実現には巨額の石油収入が必要なのはいうまでもない。原油については1バレル当たり60ドルどころか、80ドルから100ドルに押し上げたいのが胸の内だろうが、そうなると「惑星直列」を担う国際金融のプロたちとの間で正面衝突を起こす。

 そもそも日米欧の主要国はコロナ禍対策で大量のマネーをばらまいている。水と油ならぬマネーと油の問題だけに油断は大敵だ。

カテゴリ: 経済・ビジネス
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執筆者プロフィール
滝田洋一(たきたよういち) 1957年千葉県生れ。日本経済新聞社特任編集委員。テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」解説キャスター。慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程修了後、1981年日本経済新聞社入社。金融部、チューリヒ支局、経済部編集委員、米州総局編集委員などを経て現職。リーマン・ショックに伴う世界金融危機の報道で2008年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。複雑な世界経済、金融マーケットを平易な言葉で分かりやすく解説・分析、大胆な予想も。近著に『世界経済大乱』『世界経済 チキンゲームの罠』『コロナクライシス』など。
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