ミャンマー「平和構築」を阻み国際リスクを高める「歪な国家構造」
ミャンマーで危機が続いている。2月1日に勃発したクーデターの後、抗議する市民たちへの弾圧が激しい。死者数は700人を超え、拘束者は3000人を超えている。
4月24日のASEAN(東南アジア諸国連合)首脳会議において、政治的解決を求める東南アジア諸国の立場がまとめられた。国際社会全体の意向を代表した声だったと言ってもよいだろう。しかし、ミャンマー国軍が実質的な政策転換を図る可能性は乏しい。
ジャカルタでのASEAN会合には、ミャンマー国軍最高司令官のミン・アウン・フラインも、自らの見解を披露するために出席した。形式的に、民主化を進めるといった姿勢を見せるためだ。国軍と敵対する勢力を徹底的に排除したうえで、融和的な勢力のみを残す仕組みをとり、骨抜きの形だけの選挙を実施する方針のようだ。国際的には、民主化に戻す、という主張は維持する。ただしそれは、国軍の意向に反する勢力を徹底的に排除した後でのことになる。
ミャンマーでは、過去10年ほどの間に民主化が進んだことになっている。だが、突き放した見方をすれば、それはまやかしに過ぎなかった。長期に亘る制裁対象になって40万人の国軍関係者の特権的地位を維持することが難しくなった国軍が、外国投資を誘致するためのポーズでしかなかった。過去10年間においても、実質的な権力が国軍から離れたことはなく、国軍が民主化を進める真剣な意図を見せたこともなかった。
結局は、金を得るために国際社会をしばらく騙していただけだった。民主化が過熱気味になれば、ギアを変えて調節を入れるのは、当初からの予定通りだった。せっかく存在を認めてやったのに、向こう見ずな態度を見せたアウン・サン・スー・チーらNLD(国民民主連盟)勢力のせいでクーデターを起こさざるを得なくなっただけだ、と本気で思っていることだろう。
しかし人心をもてあそぶかのような国軍の態度は、民主化の果実を知ってしまった民衆に受け入れられていくのか。クーデター直後の激しい民衆の抵抗は、おそらくミン・アウン・フラインの計算を超えた規模であった。
日本では、国軍絶対主義的な見方が根強い。国軍が市民を弾圧し続けて権力を維持する以外のシナリオはありえない、という見方である。これは1日でも早くミャンマーに平時に戻ってもらい、ODA(政府開発援助)を通じた経済活動の回復を果たしてほしいという日本側の願望の表れでもあるだろう。
もちろん、市民に対する国軍の実力の部分での絶対優位は自明だし、少数民族武装集団が国軍を軍事的に圧倒するようになる可能性も低い。しかし国軍の力の優位を強調しさえすればミャンマーの長期的な安定が確保できる、という見方も、一面的すぎる。
本稿では、ミャンマーの繰り返し不安定化する要因が、独立以来の国家構造の歪さにあることを指摘する。そして国際社会の側も、大局的な視点を持った対応をとるのでなければ、長期的にはかえってリスクを高める恐れがあることを論じる。
植民地圧制者の役割を演じる中央政府
ミャンマーは、他のいくつかの旧植民地地域と共通する点が観察できる特徴を持っている。
まず国境線が人工的だ。植民地政府の政策上の事情で作られた国境線を、踏襲せざるを得なかった。その結果、エーヤワディー川(旧称イラワジ川)流域の広大なデルタ地帯であるイラワジ平野に居住する、全人口の約7割を占める最大民族集団・ビルマ民族と、強権的な支配だけでは完全に統合されない、山岳地帯に居住する135とも言われる少数民族(人口の約3割を占める)が、同じ国家の中に併存することとなった。
王朝時代からの長い歴史を持つビルマ民族の一体性と優位は、絶対に揺るがない。しかし国境を越えて他国の少数民族との文化的紐帯を持つ少数民族が、完全にビルマ民族の覇権に従うこともない。この構造の中で、中央政府は、国家の完全統一を果たすことができないまま、独善的な軍事独裁主義をとりがちである。
もともと植民地時代の圧政と分割統治だけが近代国家の記憶であったりするため、ビルマ民族主導の中央政府の振舞いは、いつも植民地圧制者の模倣という要素を孕む。
それにしても、政治的権力と経済的利潤を少数の軍幹部が独占する寡占支配体制は、特異だ。その背景には、軍事独裁政権しか国家の統一性を維持する方法はない、という多数派のビルマ民族へのアピールもあった。
ビルマ民族の市民たちも、たびたび圧政に抵抗して民主化運動を起こしてきたが、そのたびに弾圧されてきた。
継続的な抵抗運動を行ってきたのは、山岳部の少数民族集団だ。険しい山岳地帯の地形は、自然の障壁として、ぎりぎりのところで少数民族を守り続ける。ミャンマーでは、少数民族を基盤にした約20もの武装集団が存在するとされる。1948年の独立以降、民族問題が解決されたことはなく、ミャンマーは「世界最長の内戦」が続いている国だと評されることも多い。
NUGは「連邦制」で少数民族を取り込むが
今回のクーデター後に、選挙で当選した議員がCRPH(連邦議会代表委員会)を形成したうえで「国民統一政府(NUG)」という「バーチャルな」政府を樹立した。所在地が判明すると国軍に弾圧されるため、各人が居所を隠したままオンライン上で政府を作り、国際的なコミュニケーションの母体ともしている。大変に斬新な試みだと言える。ただし実態面では、これまでにミャンマーで繰り返されてきたパターンの踏襲でもある。国軍が選挙の実施を認めた後に、その結果を無視する、という行動を繰り返すので、「並行政府」の樹立と言われる事態が過去にも発生していた。
1988年の、3000人の死亡者が出たといわれる国軍による民主派大弾圧の後に、アリバイ作りのように行った1990年選挙では、国軍は結果を無視し、代わりに勝利したアウン・サン・スー・チーを拘束するなどの行動に出た。
国軍に抵抗した勢力の一部は、当選していた議員の1人であるセイン・ウィンが首相となった政府の存在を主張した。このときセイン・ウィンらが潜伏したのは、有力な少数民族集団であるKNU(カレン民族同盟)の支配地区であった。今回もまたCRPH幹部が潜んでいるのは、主にKNU支配地域と見られている。
NUGは、大統領と国家顧問を、拘束中のウィン・ミンとアウン・サン・スー・チーが務めるという形式をとっているので、副大統領職と首相職が重要ポストである。前者はカチン民族のドゥワ・ラシ・ラが、後者にはカレン民族の副大統領代行も兼務するマン・ウィン・カイン・タンが就任した。
この流れを受けて、現在までカレンのKNUや北部の有力な少数民族集団であるカチンのKIA(カチン独立軍)などが、NUGへの参加を表明している。NUGは、少数民族集団により多くの権限を与える連邦制を導入した憲法の樹立を目指す宣言をしており、実態としては、これらの少数民族集団が存立基盤になっている。
NUGは、連邦制の旗を掲げて、国軍に反対する勢力の大同団結を目指し、イスラム教徒であるロヒンギャへの過去の迫害に対して無力であったことを謝罪する立場もとっている。真の連邦制をとるというミャンマーの国家の基本構造に関する理念を前面に出して、広範な支持の獲得を狙う戦略だろう。
これが、ビルマ民族を含む広範な層からの支持を獲得しているようである点を見ると、理にかなった戦略であったと言えよう。
中国の支援を得ている武装集団も
ただしNUGが全ての少数民族集団の支持を得られているわけではない。国軍を支持してNUGと敵対する集団はないが、いくつかの有力な少数民族集団は、中立的な立場をとっている。中国との国境に近いワ州のUWSA(ワ州連合軍)や、ロヒンギャ迫害の急先鋒であるラカイン州の人々が国軍と対立しながら形成しているAA(アラカン軍)などが、代表例である。
これらの中立的な勢力は、中国と接する国境付近や、中国が建設したパイプラインの敷設地を支配地域にしているため、中国の支援を得て活動しているとされる。彼らの目標は、自己の支配地域の独立性の維持だけなので、国軍と敵対しつつも、ミャンマー全土の事柄にはあえて関与しようとしない(ちなみに日本のメディアでは、中国が国軍だけを支援しているかのような報道が目立つが、現実には中国はリスクを分散させる行動をとっている)。
なおミャンマーはアヘンの生産地としても知られるが、必ずしも民族主義的な主張を持たない、アヘンを扱う武装犯罪集団も乱立している。国軍はこれらの民兵勢力を懐柔することによって、不法ビジネスで利潤を出す間口にもしてきた。こうした勢力の動きは、イデオロギー的理由では決まらないため予測ができないが、今後のミャンマー情勢を見るうえで1つの重要要素ではあるだろう。
いずれにせよ、ミャンマーの恒常的な不安定性が、こうした国家構成の歪さによってもたらされてきたことは確かだろう。国軍の満たされることがない強権政治ですらも、その国家構成の歪さの副産物だと言える。
国軍の強権政治は、繰り返されてきた短期的な対症療法であるかもしれないが、長期的には問題を悪化させているだけの面もある。ミャンマーという国家の安定は、国軍の独裁的な強権政治によって解決されることはない。長期的な視野に立った安定を目指す政策的視座は、国際社会の側にも常に必要だ。日本では欧米の制裁外交への冷ややかな意見が多いが、長期的な視野に立てば、理にかなっている点もある。
「内戦の危機」レトリックの陥穽
4月23日、明石康・元国連事務次長ら国連高位職経験者や元大使らが連署して、茂木敏充外務大臣にミャンマー外交に関する意見書を提出した。
その内容は、具体的な助言というよりは、ASEANと協力して、ミャンマー和平に日本が役割を果たすべきだ、という檄文のようなものであった。その問題意識の出発点は、ミャンマーに「内戦の危機」が訪れている、というものであった。
だが、甚大な弾圧が行われている人権侵害の状況が、最大の危機である。それにもかかわらず、「内戦の危機」の回避を優先して強調して訴えるのは、少なくとも結果としては、かなり国軍寄りの見方の表明になっていると言わざるを得ない。
国軍は、治安作戦だと説明して市民を弾圧している。治安維持を優先すべきだと主張することは、国軍の弾圧正当化を認めているように見えてしまう。市民がデモ活動を止めれば、内戦は回避できる、ということになってしまうからだ。
それにしても、そもそもまず、「内戦の危機」は果たして正確な現状認識なのだろうか。日本でも疑問の声があがっている。
まず考えておかなければならないのは、ミャンマーでは、「内戦」は独立以来70年以上にわたってずっと続いている、ということである。今回のクーデターと市民弾圧が、その「内戦」構造に新しい様相をもたらしているとは言えるとしても、内戦がなかったところに、いま新たな内戦が生まれつつあるわけではない。
たとえば紛争分析の専門組織である国際的NGO「国際危機グループ(International Crisis Group:ICG)」は、国家機能の深刻な脆弱化が懸念されるという意味で「国家失敗(state failure)」という言葉で、ミャンマーの将来を見通している。
国連安全保障理事会でICGのリチャード・ホーシー氏が意見陳述した際に「国家失敗」という表現で訴えたのは、国民の国軍に対する信頼が地に落ち、弾圧が続く混乱状態で、様々な社会経済活動への悪影響が懸念される、ということだった。
ところが、ミシェル・バチェレ国連人権高等弁務官が、
「ミャンマーはシリアのように全面戦争になる」と派手な言葉遣いで危機を煽る言葉を無根拠に使い、これがニュース性を帯びて流通してしまった。
同氏は、紛争分析では素人だろう。率直に言って、人権問題に目を向けさせるために、常に最大限のインフレ気味の言葉を使おうとする人権機関の長の行動は、無責任なものだと言わざるを得ない。結果として、人権を擁護するどころか、内戦回避のために国軍の弾圧を容認する国際的な風潮を高めてしまった。日本の元大使らの国軍寄りの提言は、そうした流れの中にある。
すでに述べたように、ミャンマーの危機の根本原因は、国家構成の歪さにある。今回の危機でそのことにより一層注意が払われることになったのは、当然だ。近視眼的な国軍寄りの表層的な解決は、その場限りの取り繕いでしかない。流血の事態を少しでも防いでいくための外交政策は必要だが、その場限りの国軍寄りの対応は、国際社会の側にもかえって長期的なリスクを負わせる恐れがあることは、冷静に考えていくべきだろう。