習近平「建党百周年式典」に滲み出た「毛沢東の遺志」

執筆者:樋泉克夫 2021年8月6日
タグ: 中国 習近平
エリア: アジア
建党百年記念式典で演説をする習近平党総書記(C)時事
ここまで毛沢東化の道を突き進むなら、近い将来、習近平国家主席は長江を遊泳しかねない――7月1日に繰り広げられた共産党建党百周年記念式典のTVニュースを目にした時、こんな思いに駆られてしまった。その日の天安門楼上における習国家主席の振る舞いは、72年前の建国式典で同じ場所に立った毛沢東を彷彿とさせるに十分だった。

 

 

唯一者であることの表象化

 1949年10月1日、建国式典に臨んだ毛沢東は朱徳、劉少奇、周恩来ら共産党首脳陣に加え建国に尽力した民主諸党派幹部を従えるかのように、天安門楼上に、しかも南面して立ち、「今日、中華人民共和国中央人民政府が成立した!」と建国を宣言した。その瞬間、じつは昨日までの同志や支持者は臣下に格下げされてしまった。

 天安門楼上に南面して立つことが許されるのは、「天」の意思を地上に実現する使命を帯びた皇帝(=唯一者)のみ。この中華文明の伝統に則って毛沢東が建国宣言の場を選んだと想像するなら、建党百周年記念式典における習国家主席の振る舞いは、まさに毛沢東に一歩近づいたと思える。

 建党百周年式典に臨んだ習国家主席は、自らの左に前任者の胡錦濤を、右に国務院総理の李克強を従えて、天安門楼上に南面して立った。唯一者であることを表象化するかのように、習国家主席のみが人民服である。あの環境での人民服は、封建王朝体制における唯一無二の存在である皇帝のみが身に纏うことのできた龍袍と同じ効果をもたらしたに違いない。権力の表象化である。

 2月20日、習国家主席は「党史学習教育動員大会」に総書記として臨み、「まさに今こそ、党史学習教育を全党挙げて進めるべき時期であり、それは十分に必要である」と訴えている。これこそ建党百周年を目前にしての党史解釈権掌握の表明であり、毛沢東と同じように党と自分とを一体化させたことの確認でもあったはずだ。

 これまで党や国家の記念行事は午前10時開始が通例だったが、今回の建党百周年記念式典は習国家主席の都合から開始時間が2時間前倒しされたと伝えられる。習国家主席は唯一者のみに許される時間を支配する権限をも手中に収めたとも考えられる。

驚かされた胡錦濤の白髪頭

 建国宣言の日の毛沢東に重ね合わせるなら、建党百周年記念式典における李克強や胡錦濤の役回りは、習国家主席にとっての臣下に過ぎない。

 ここで驚かされたのが、久々に公の場に姿を現した胡錦濤の白髪頭である。在任時の威厳に満ちた仏頂面は消え失せ、まるで別人と見紛うばかり。一見して精力の衰えは隠せない。

 一般に中国の指導者の頭髪は年齢不相応に豊かで黒々としている。江沢民、朱鎔基、胡濤錦、温家宝など過去の指導者のみならず、習国家主席以下の現在の共産党政権最上層もまたそうである。誰もが精力の旺盛な自らの姿を内外に印象付けようとする。あのフサフサとした黒髪は、旺盛な権力を視覚化させるための小道具でもあるのだ。

 ここで疑問に思うのは、胡濤錦は黒髪に染めることを拒否されたのか、それとも敢えて自らの意思で白髪頭のまま登場したのか、ということである。

 拒否されたとするなら、習国家主席は共産党最上層において、自らに一切の異を唱えることを許さないほどまでに強固な権力を掌握していることを意味しよう。やはり臣下は唯一者には逆らえない。前任者の老いさらばえた姿を敢えて公に曝すことで、習国家主席は自らの力の誇示を狙ったとも考えられる。

 だが、胡錦濤が自ら進んで白髪頭を選んだとするなら、沈黙の意思表示、無言の抵抗とも受け取れる。あの白髪頭は強権を揮う習国家主席に対する不満の記号であり、一強体制は必ずしも盤石ではないことを物語っているようにも読み取れるのである。

習国家主席による第二の建国宣言

 建国式典で毛沢東は、「中国人民は立ち上がった(中略)。これで他から侮られることはなくなった」と説き、アヘン戦争以来の民族の屈辱を晴らしたことを内外に高らかに宣言した。かつて中華民族を凌辱し続けた旧列強諸国に対する復仇宣言であり、富強を目指した建国宣言と読み取ることが出来る。

 振り返ってみれば大躍進政策にしても文化大革命にしても、共に大失敗に終わったとはいえ、毛沢東が進めた数々の内外政策は本来的には中国の富強を志向していたと解釈可能だ。

 それから72年後の共産党建党百周年記念式典において、中国共産党総書記、国家主席、党中央軍事委員会主席――党、国家、軍を統括する最高権力者の立場に立った習国家主席は、「中華民族が引き裂かれ、屈辱に甘んじた時代は過ぎ去り、二度と戻ってくることは断固としてあり得ない。中国は“教師ドモ”のお為ごかしの説教を断固として受け入れない。中国を騙し、圧迫し、奴隷化しようとするなら、それがどのような外来勢力であろうとも、14億を超える中国人民の血肉で築かれた鉄壁の長城の手前で、必ずや頭を砕かれ血を流すことになるだろう」と、内外に向けて強硬な姿勢を見せつけた。

 この発言を「世界に向けての4項目の荘厳な宣告」と報ずる中国メディアもある。北朝鮮ならいざ知らず、世界第二の経済大国の指導者としては穏当さを欠いた大仰な表現としか言いようはない。

 だが「中国人民は立ち上がった(中略)これで他から侮られることはなくなった」「祖国の領土を防衛し、人民の生命財産を守り、人民の苦痛を取り除き、人民の権利を戦い取る……」との富強を希求した毛沢東の建国宣言と重ね合わせるなら、毛沢東の時代には考えらないほどの経済力、軍事力、科学技術力を背景にバージョン・アップされた、完全毛沢東世代のトップランナーとしての習国家主席による第二の建国宣言であり、復仇宣言と見なすことも出来る。

陳凱歌の述懐

 復仇と言えば、1990年代初頭に『さらば、わが愛/覇王別姫』を引っ提げて世界の映画界に衝撃的デビューを果たした陳凱歌の述懐が頭に浮かぶ。

「昔から中国では押さえつけられてきた者が、正義を手にしたと思い込むと、もう頭には報復しかなかった。寛容など考えられない。『相手の使った方法で、相手の身を治める』というのだ。そのため弾圧そのものは、子々孫々なくなりはしない。ただ相手が入れ替わるだけだ」(『私の紅衛兵時代  ある映画監督の青春』講談社現代新書 1990年)

 陳凱歌も習国家主席と同じ共産党幹部の子弟として北京で生まれ育っている。誕生は1952年で習国家主席より1年早いが、同じく毛沢東の神格化・絶対化を疑うことなく育てられた完全毛沢東世代である。であるとするなら、習国家主席が陳凱歌の述懐に見られるような信条を持ち合わせていると考えることも可能だろう。

 やはり中国トップ3期目を目前にした習国家主席は「正義を手にしたと思い込」んだのだ。ならば「もう頭には報復しかなかった。寛容など考えられない」といった心境に立ち至っているのかもしれない。

国家意思となった「告げる書」

 1921年の建党から55年が過ぎた1976年9月9日零時10分、毛沢東は83年に及んだ波乱極まりない生涯を閉じた。この時、習国家主席は陝西省の農村で過ごした下放生活に別れを告げ、慣れ親しんだ農民との惜別の写真を残し北京に戻り、清華大学化学工程系に学ぶ23歳の若者だった。

 毛沢東の死に際し中国共産党中央委員会、中華人民共和国全国人民代表大会常務委員会、中華人民共和国国務院、中国共産党中央軍事委員会は連名で「全党、全軍、全国各民族人民に告げる書」(以下、「告げる書」)を発表し、「毛主席は中国共産党、中国人民解放軍、中華人民共和国の創立者で英明な指導者である」と位置づけた後、「我われは断固として毛主席の遺志を受け継ぐ」と宣言している。

 ここで改めて「毛主席の遺志」を振り返っておくが、注目すべきは「告げる書」が党国体制の中国における最高権力機構によって「全党、全軍、全国各民族人民」に向けて連名で公式に発せられた文書であり、であればこそ当時の中国が内外に明らかにした至上の国家意思と考えられることだ。加えて現在に至るまで公式に、しかも明確に否定された様子は見受けられない。ならば「毛主席の遺志」は生き続け、現時点でも「全党、全軍、全国各民族人民」を縛っているのではなかろうか。

「告げる書」は先ず、「党の一元化指導を強化し、党の団結と統一を固く擁護し、党中央の周囲に緊密に団結する」。「労働者階級が領導する労働者と農民の連盟を基礎とする各族人民の大団結を固め、鄧小平批判を深化させ」、「ブルジョワ階級の法権(法律上の権利)を制限し、我が国プロレタリア階級の独裁をより前進させ」と記す。

 この内政面に次いで「毛主席の建軍路線を断固として執行し、軍隊建設を強化し、民兵建設を推し進め、戦備を増強し、警戒を高め、敢えて侵略を試みる一切の敵を殲滅する備えを常に怠らず。我われは断固として台湾を解放する」と軍事面が続く。

 最後に「毛主席の革命外交路線と政策を引き続き、断固として、徹底して推し進める。〔中略〕我が国人民と各国人民、特に第三世界の国々の人民との団結を強化し、国際社会において手を結ぶことのできる総ての勢力と連合し、帝国主義、社会帝国主義と現代修正主義との戦いを最後まで徹底する」と外交面が記されている。

 たしかに最高権力者たる習国家主席が抱く政治的野心・投機性が、現在の中国が進める内政面での一層の強権化と、外交面での頑ななまでの反米基調を形作っていると考えられるが、その根底に流れる「毛主席の遺志」の色合いを感じないわけにはいかない。

 完全毛沢東世代であればこそ、若き日の彼が「断固として毛主席の遺志を受け継ぐ」と誓った。いや「毛主席の遺志」を深く心に刻んだまま権力の階段を上り詰めた。だとするなら、その死から45年が過ぎた2021年7月1日、総書記として中国共産党建党百周年式典に臨んだ習近平の脳裏に「毛主席の遺志」が蘇ったとしても不思議ではないだろう。

 文革前夜、毛沢東は長江を悠々と泳ぐことで、内外に自らの強い政治的執念――断固として我が道を突き進む――を見せつけた。それはまた文革という舞台での最高権力行使への並々ならぬ決意表明でもあったのだ。

 はたして来年の第20回党大会を前に、習国家主席は毛沢東張りのパフォーマンスを見せることになるのだろうか。

 

カテゴリ: 政治 社会
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執筆者プロフィール
樋泉克夫 愛知県立大学名誉教授。1947年生れ。香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士課程を経て、外務省専門調査員として在タイ日本大使館勤務(83―85年、88―92年)。98年から愛知県立大学教授を務め、2011年から2017年4月まで愛知大学教授。『「死体」が語る中国文化』(新潮選書)のほか、華僑・華人論、京劇史に関する著書・論文多数。
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